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[寄稿]歯が外れた–2020年の年頭所感

//ハンギョレ新聞社

 また歯が外れた。グラグラしていた差し歯が外れたのである。過去10年間、次々に歯が損なわれ、頻繁に歯科医に通った。この間の費用負担、消費時間、精神的ストレスはまことに多大なものである。「だから丁寧に歯磨きするように、前々から言ってきたのに」と妻はしきりに嘆く。その嘆きに返す言葉はないが、私は心の中でこんなことを呟いているのである。「そうは言うけれど、こんな年齢まで生きているということは、僕の予定表にはなかったんだよ…」

大半の人々はこんな呟きに呆れ、腹をたてるかもしれないが、正直な気持ちだ。同感してくれる人もある程度は存在するのではないだろうか。

私の父母はいずれも60代の初めに亡くなった。その時、母はすでに総入れ歯で、常々「お前たちを次々に産んだせいで、栄養を取られて歯が抜けてしまった」と語っていた。私が子供だった頃は、歯の抜けた大人は珍しくなかった。京都市の一隅にあった工芸繊維大学の裏門近くで幼い頃の私は育ったが、そこの門番のおじさんは、近所の子供たちに総入れ歯を外して見せ、驚いた子供たちが走って逃げていくのを面白がっていた。その頃はたいへんな年寄りだと思っていたが、まだ50代だったのかもしれない。

私は1951年生まれである。その時、祖国では朝鮮戦争の真っ最中だった。思春期の頃、ヴェトナムでは無慈悲な殺戮が続いていた。大学に入学した頃、韓国は軍事独裁の絶頂期にあり、兄二人も投獄されていた。30歳を過ぎた自分自身の姿を具体的に思い描くことなどできなかった。万事が「臨時の生」であった。中長期的計画を立てて人生を設計することなど、できなかった。

50歳近くなって偶然に大学に就職した時、驚いたことの一つは、周囲の同僚たちが定年までの収入と支出を緻密に計算し、銀行ローンを組んで住宅を購入している姿だった。社会組織の中に組み込まれているマジョリティの「安定」というのは、こういうものかと思った。どこで生きて、どこでどう死ぬかも予測できないのに、老後に備えて歯を磨くなど、無理な相談だった。この年齢までどうにか生きてきたのは、数々の偶然の結果に過ぎないのである。

日本生まれである私は、日本社会しか知らないくせに、日本で人生を最後まで過ごすという考えにはなれなかった。そもそも日本国の側が在日朝鮮人を排除することに余念がなかった。私たちは1960年代末まで「国民健康保険」にすら加入できなかったのだ。

 あと1年で私は満70歳。勤務先も定年退職となる。文句なしに老人である。昔も今も、自分から死にたいと思ったことはないが、長く生きたいという望みを持ったこともない。そもそも長生きを人生の至高の価値とする考えに馴染めないのだ。生きることそれ自体を価値とする考えは、人生の自己目的化と言ってもよいだろう。人生の価値はそういう次元とは別のものであるはずだ。真実、美、正義、公正、平和その他、個々人の生を超えた価値のために人は生きるのではないか。若い時からそう考えてきた。

もちろん、その「価値」が偽物であったり、歪んでいたりする場合も多い。虚偽の「価値」が人々をコントロールし支配することに利用されてきた歴史を私たちは知っている。それでも、そのことを批判し、闘うことができるのは、そういう普遍的価値という「基準」を共有すべきだというタテマエが存在するからである。いま目の前に展開しているのは、そのタテマエすらかなぐり捨てられようとしている世界、「基準」が必要だという意識すらも失われようとしている世界である。

歴史意識と理想を欠いた世界では、手段を選ばず、目先の利益だけを追い求める人々が勝ち誇ることになる。その典型的な事例が、重大事故が起ころうが、原発再稼働に固執する人々である。核戦争の危機が迫ろうが、兵器の開発と売り込みに熱中する人々。地球環境破壊の悪影響がここまで明白になっているにもかかわらず、化石燃料の大量消費を止めようとしない人々などである。この人々の思考における時間尺度は短く、視野は狭い。自分が生きている短い時間、自分が生きている狭い国家しか眼中にない。米国のトランプ政権も日本の安倍政権も、このような人々の代表者である。

米国ではまた大統領選挙が近づいてきた。前回の選挙を前後して、私は何回か「悪夢」の予兆を語った。それが予兆ではなく現実になり、トランプ大統領が出現してしまって早くも4年近い歳月が経った。この短い期間に、どれほどの破壊と喪失が引き起こされたことか。中東地域では、パレスチナに対するイスラエルの不法な侵略と支配はトランプ政権の強い支持を受けて進行している。トランプ政権はイラン核合意から一方的に脱退し、新年早々イランの要人を公然と殺害した。生きるために必死で米国を目指した中米の難民はメキシコ−米国国境で阻まれ、多数が強制送還された。日本では天文学的価格の米国製兵器システムが気前よく購入される一方、住民の粘り強い反対にもかかわらず沖縄県辺野古の基地建設が強行されている。

トランプが北の核問題を「ディール」(取引)の材料としたことから、朝鮮半島の軍事的危機はいったん遠のいたように見えた。私自身を含めて、多くの人が安堵し、トランプ政権に一縷の望みをかけた局面もあった。だが、冷徹に現実を見ると、私たちは再び厳しい前途を予想し覚悟しなければならないようだ。全世界で横暴の限りを尽くしている政権が朝鮮だけは例外扱いするだろうと楽観する根拠はないからだ。

米国では過去4年間の無法の積み重ねの結果、トランプは支持を固めた。「あと4年!」という支持者たちのコールは、マタイ福音書にいう「(イエスを)十字架につけよ、つけよ」という「民衆」の野卑な叫びを連想させる。トランプは単独の悪人ではない。ヒトラーも安倍晋三も単独ではない。周囲に彼らに付き従い、そのおこぼれに群がる多数の人々がいる。理性と知性が衰弱した世界では、人々の行動を左右する基準は利己的な利益以外にないからだ。

ハンナ・アーレントは「イエルサレムのアイヒマン」で「悪の凡庸さ」という卓抜な考察を私たちに与えた。それは莫大な犠牲と引き換えに与えられた、平和のための考察だ。だが、それも、大小のアイヒマンたちが絶え間なく現れ出ることを抑止する力にはならなかった。国会で平気で嘘をつく政治家、資料を隠蔽して恥じない官僚、そのことをまともに報道しようとしないメディア、その状況を知りながら漫然と思考停止を続けている国民多数、日本社会の現実を見ていると、その思いがますます募る。日本政府は少子高齢化に伴い出来るだけ定年年齢を引き延ばそうとする一方で、医療費や社会保障費は抑制しようとしている。ケン・ローチ監督が映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2017年)で描いたような、老人と社会的弱者にとって地獄が待ち受けている。

 こんな年齢まで生きてしまったために「悪夢の時代」を目撃することになった。兄たちが獄中にいた軍事政権時代、「私はただ、両目をしっかりと開けてこの運命の成り行きを細部にわたって見届けるように自らに命じてきた」(「私の西洋美術巡礼」1991年)。今は歯の抜けた無力な老人となったが、30年以上前に述べたこの言葉をまた自分に言い聞かせている。歯はともかく、目だけはしっかりと開けて見届けるつもりだ。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク) 東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/928161.html韓国語原文入力:2020-02-13 18:11

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