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[特派員コラム]「明治産業遺産」の陰

登録:2019-12-06 02:27 修正:2019-12-06 07:03
貝島大之浦炭鉱で働く朝鮮人鉱夫=行政安全部提供//ハンギョレ新聞社

 2年前の夏、朝鮮人強制動員に関する取材のため、北海道芦別地域に行った時のことだ。芦別地域にはかつて三井財閥が運営していた炭鉱があった。

 案内してくれた芦別地域の日本人が、川の上にかかる鉄橋の向こうの川面を指差しながら言った。「あの川の周りに衰弱した朝鮮人労働者を埋葬したことがあったという証言がある」 さらに、このような言葉を付け加えた。「死にそうに見える(日本人)労働者を埋葬してしまうということは明治時代(1868~1912年)からあった」。

 最近、日本政府がユネスコに提出した世界遺産「明治日本の産業革命遺産(産業革命遺産)」の履行経過報告書の性格を有する「保全状況報告書」に、朝鮮人の強制労働についての記述や犠牲者を追悼するための措置が含まれていないことが明らかになった。日本が2015年にユネスコに登録した「産業革命遺産」は朝鮮人に対する強制労働で悪名高い長崎県端島(別名、軍艦島)を含め、日本国内の23カ所の炭鉱・製鉄所などを対象としている。

 日本政府は、明治維新のときに始まった産業革命を通じて列強に生まれ変わった日本の歴史の輝かしい部分を強調したいようだ。日本の文化庁はウェブサイトを通じて「明治日本の産業革命遺産」について、「西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを証言する産業遺産群により構成されている。19世紀後半から20世紀の初頭にかけ、日本は工業立国の土台を構築し、後に日本の基幹産業となる造船、製鉄・製鋼、石炭産業といった重工業において急速な産業化を成し遂げた」と説明している。しかし、日本政府が強調する産業革命成功の歴史の裏には朝鮮人と日本人労働者たちが残酷な環境で労働しなければならなかった暗い歴史がある。

 強制動員分野の専門家らは、朝鮮人が最も多く動員された場所として炭鉱を挙げる。炭鉱は暴力と虐待が横行する場所で、日本内でも悪名が高く、日本人にとっても忌避対象であり、人手不足だったためだ。「炭鉱に行くよりは軍隊に行く方がましだ」という言葉があるほどだ。

 日本政府は朝鮮人を「国民徴用令」という法的な枠組みを適用した「徴用」としての動員も行ったが、「募集」や「官斡旋」という名目を表向きには掲げ、実質的に強制動員したケースの方が多かった。特に炭鉱への動員は、形式的には「募集」や「管斡旋」の形で行われたことが多かったとみられる。

 太平洋戦争末期の1944年初頭には、日本政府が炭鉱従業員の「現員徴用」を議論したことがある。現員徴用とは、その職場に勤めている従業員を徴用する方式で、現員徴用が適用されれば、法的にも対象者は退職、転職ができなかった。しかし、同年1月18日、現員徴用が適用される軍需会社に、日本国内の主要重化学工業会社が指定された一方で、炭鉱はされなかった。当時、日本政府さえも、法的な徴用を適用するには当時の炭鉱の労働環境が負担だったのだ。岸信介国務大臣(当時)も炭鉱排除の理由について、炭鉱の労務管理に多くの改善の余地があるためと説明した。

 日本政府は今回の保全状況報告書で、その遺産に関する歴史を説明する情報センターを東京新宿区若松に設置すると明らかにした。工事はほぼ仕上げ段階に入ったようだが、どのような展示物を展示するのかは公開していない。日本政府が情報センターで朝鮮人強制労働、そして当時の日本人労働者たちの劣悪な労働環境についても十分に展示することを望む。明治日本の光とともに闇もまた見えるように。

//ハンギョレ新聞社

東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/919791.html韓国語原文入力:2019-12-05 18:19
訳D.K

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