本文に移動

[寄稿]日本人にとっての「現実」

登録:2019-10-27 16:50 修正:2019-10-28 18:28
山口二郎・法政大学法学科教授//ハンギョレ新聞社

 戦後の日本では、例外的な短期間を除き保守政党が権力を握ってきた。その中で、権力を持つ保守政党と官僚が現実主義的で、これを批判する野党や進歩派のメディア、知識人は理想主義的という図式が定着した。その含意をさらに掘り下げれば、野党や知識人はきれいな理想を叫ぶが、現実には何もできない無力な存在で、保守政党と官僚は現実を理解して、世の中を動かす力を持っているというイメージが貼りついていた。

 日本の現実主義者が言う「現実」が、権力者にとって都合の良い事実の一面でしかなく、現実主義的にふるまうことは既成事実への屈服でしかないことは、日本の政治学者、丸山眞男が70年前に指摘していたとおりである。それにもかかわらず、日本の政策決定者は自己中心的で片面的な現実主義の殻を脱していない。

 つい最近まで、北朝鮮は交渉不能な悪の権化という現実が日本人の常識であった。しかし、アメリカのトランプ大統領が金正恩と直接対話を始めると、とたんに日本の現実も変化した。今や安倍晋三首相は北朝鮮との対話を前提条件なしに進めたいと言い出した。より上位の権力者にとっての現実こそが現実だというわかりやすい事例である。

 今月中旬、来年の東京オリンピックのマラソンと競歩を東京ではなく北海道の札幌で開催するとIOCが言い出したことも、上位の権威によって現実がひっくり返され、政策決定者が右往左往している一例である。7月末から8月初めの東京は酷暑が続き、屋外のスポーツには向いていないというのが明白な現実である。しかし、経済刺激や都市開発のためにオリンピックを招致したい招致担当者はその現実を無視して、「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と立候補ファイルでアピールした。この文章は、今のはやり言葉を使えば「ポスト真実」であり、世界を欺いてオリンピックを東京に招致したと言うしかない。

 東京オリンピックの開催が決定したら、日本流現実主義はますます猛威を振るうようになった。財政負担が余りに大きくなることから、開催に反対する声もあった。また、今回IOCが述べたように、酷暑の中で選手や観客の中で熱中症が多発することを憂慮する声は最初からあった。しかし、日本の現実主義は、いったん決まったことにケチをつけるなと異論を封殺した。既成事実への屈服こそ現実主義の真骨頂である。あらゆる悪条件を克服あるいは無視して、遮二無二オリンピックを開催することこそ現実主義である。暑さ対策も話題にはなったが、水を撒くとか小さな日傘を頭にかぶるなど、冗談か本気かわからない方策が宣伝された。

 そして、IOCの札幌開催の声明が突如日本を揺るがした。仮想空間(バーチャルリアリティー)の中に閉じこもっている日本政府に対して、さすがにIOCも選手の健康を守り、競技の緊張感を保持するために、本当の現実を無視できなくなったわけである。大事なことは日本に任せておけないという不信感の表れでもある。

 最近、様々な事件に触れ、日本はもはや先進国ではなくなったのではないかという疑問を感じる。オリンピックをめぐる騒ぎは、日本の危機が最終段階に入ったことの象徴である。これにとどまらず、原子力発電をめぐる政策、大学入試の改革。どれをとっても事実を直視し、問題を解決するために合理的に物事を考えていくという政策決定に不可欠な知的作用が停止しているように思える。政策決定者にとって都合の良い現実に対して、本当の現実を突きつける対抗的な知性が必要とされている。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/914892.html韓国語原文入力: 2019-10-28 18:26:03

関連記事