検察改革の要諦は、検察の力を削ぐことにある。検察の権限が弱まれば、政治的中立は自然について来る。検察の手に鋭利な刃物を握らせ、よく制御された「善良な刃物使い、正しい刃物使い」を作れるというのは、愚かな期待に過ぎない。
先週末、ソウル瑞草洞(ソチョドン)のソウル中央地検一帯に響き渡った市民の叫びは、「検察改革」が避けることのできない切迫した課題であることを明確に示した。憲政史上初の政権交替を果たした1998年4月、金大中(キム・デジュン)大統領は法務部を訪れ、自分を危機に追い詰めた検察に「検察を立て直してこそ、国が立つ」と述べ、検察はこの言葉を毛筆で書き最高検察庁の会議室にかけた。しかし過去20年間、検察は立て直すことができず、「検察改革」は意味のある進展を果たせなかった。なぜそうなったのか。検察改革の核心は何か。この質問に明確に答えてこそ、瑞草洞ろうそく集会の念願を現実のものすることができるはずである。
金泳三(キム・ヨンサム)大統領の特別指示でソウル地検に12・12(粛軍クーデター)と5・18(光州事件)特別捜査本部が設置された1995年12月、「私たちは犬だ。噛めと言われたら噛み、噛むなと言われたら噛まない」とある検事は自嘲的に言った。わずか数カ月前、「成功したクーデターは処罰できない」という珍奇な論理で全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)両元大統領に免罪符を与えた検察が、今度は彼らを捕らえるために「命運をかけた捜査」に入ったことについて言った言葉である。「検察は犬だ」。12月18日付ハンギョレに掲載されたキム・インヒョン記者のコラムのこの一節は、繰り返し「政治検察」の象徴として口にされた。
2003年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と平検事たちの前例のない直接対話で、検事たちが大統領に要求したこともそれだった。権力が検察を政治的に利用せず、検察を独立させて欲しい、大統領は人事に関わらず、検察総長に人事権を与えよ、政治権力と分離すれば、正しい検察に生まれ変わることができる…。
盧大統領は歴代のどの大統領よりも捜査に介入せず、検察と距離を置こうと努めたが、それでも「正しい検察」を作れなかったことは、私たちがよく知っていることだ。1980年代、華城連続殺人事件の「犯人」を多数作り出した警察の強圧捜査、そして情報機関の違法捜査が追いやられた席を、そっくりそのまま占めたのが、最高のエリートと法的論理で武装した検察権力だった。政治権力が検察を活用したが、ある瞬間、検察自ら与野党のあちこちを叩き、政権を判定する位置にまで上がった。検事出身のクム・テソプ共に民主党国会議員は、「検察改革の要諦は、検察の力を削ぐことにある。検察の権限が弱まれば、政治的中立は自然について来る」と述べた。米国と欧州で検察改革が問題にならないのは、検察が韓国のように強大な権限を持たないからであるという意味だ。
民主主義の国で捜査権と起訴権を併せ持つ司法機関は、韓国検察がほとんど唯一だ。過度な力を持つ集団は、その力を常には善良で正しく使わない。むしろ「政治的中立」という傘を使い、自ら「絶対権力」になろうとする。韓国検察は現在、そのような段階に来ているのではないだろうか。国会人事聴聞会の前に大々的な捜査を行い、長官の自主辞退を圧迫するのは、そのような兆候だと読める。
検察の手に鋭利な刃物を握らせ、よく制御された「善良な刃物使い、正しい刃物使い」を作れるというのは、愚かな期待に過ぎない。文在寅(ムン・ジェイン)政権もそのような幻想から脱することができなかったことを、冷静に振り返らなければならない。昨年1月、チョ・グク大統領府民情首席は「権力機関改革案」を発表し、「すでに検察が得意としている特殊捜査などに限り、直接捜査を認める」と巨大な規模の特捜部を容認した。その特捜部が今、大統領の人事権に介入し、国会の権限をまたいで法務部長官の適格可否を選り分けるとして、刃物を振るっている。なんとも逆説的である。
しかし、本当の逆説はこれからだ。チョ・グク長官を狙った検察捜査は、真の検察改革、すなわち検察の力を確実に削ぐ契機になりうる。文在寅大統領は数日前、「検察の民主的統制」を強調して刑事部と公判部の強化を指示した。検察の直接捜査の機能を縮小するという意味だ。ユン・ソクヨル検察総長は直ちに、ソウルなど3カ所のみ残して、残りの地方庁特捜部をなくすと明らかにした。ソウル中央地検には4つの特捜部の他にも、公正取引調査部などの名前で直接捜査を行う部署がいくつかある。看板だけ取り替えたり、中心であるソウル中央地検特捜部をそのまま維持するならば、地方特捜部をいくつか無くすことに大した意味はない。ユン・ソクヨル総長が「特捜部縮小」を打ち出せたのは、より大粒の雨を避けるという意図かもしれない。一時的変化で終わらせないようにするには、大統領令改正などを通じて、法務部長官が緻密に根気よく制度改革を推進しなければならない。
ユン・ソクヨル総長の傲慢がなければ、検察主義者の真の姿を国民が見る機会もなかったし、数十万人が検察庁舎を取り囲み「改革」を叫ぶこともなかったはずだ。歴史はいつも予定された道にばかり流れはしない。