最近、日本で参議院選挙が行われた。参院は米国に例えれば上院に当たり、両院制議会で法律案を確定する。日本の対韓国貿易制裁で噴出した韓日関係が悪化を繰り返す中、韓国でも選挙結果が大きな関心事だった。安倍晋三首相が選挙で圧勝した場合、自衛隊を明記する憲法改正が加速するなど韓日関係がさらに悪化しかねないという懸念が大きかった。安倍首相は選挙で勝利したものの、圧勝はできなかった。
長い間朝鮮半島問題を扱ってきた朝日新聞の吉野太一郎記者は、選挙後、安倍が様々な理由で改憲を推進するのは難しいと見ながらも、米国のドナルド・トランプ再選などが突発変数として作用しうるという記事を「ハンギョレ21」に送った。彼は1997年に朝日新聞入社後、国際部、社会部、朝日デジタル、ハフィントンポスト・ジャパンなどを経て、現在、朝日新聞が運営するオンラインメディア「DANRO」の副編集長を務めている。
■勝者なき参院選
今年は梅雨前線が停滞し、東京では7月前半、ほとんど晴れ空を見ることがなかった。低く垂れ込めた重苦しい雲の下で行われた参院選も、天気のように低調だった。与野党に目立った政策の対立軸がなく、盛り上がらない論戦。野党分裂の長期化で政権批判票の受け皿は分散し、行き場を失った有権者は棄権を選んだ。投票率は24年ぶりに50%を切った。
「選挙ムードが高まらなかった。弱い逆風を感じた。政権に不安を持たれている」。関東地方の選挙区で再選を決めた自民党の現職議員に、高揚感はなかった。「保守王国」と言われるこの県で、盤石なはずの現職議員が、野党統一候補に約9万票差。予想外の健闘を許した。「知名度の低い相手に、こんなに迫られてショックだ」。陣営幹部は頭を抱えた。
安倍政権は、自民党と公明党の連立与党で過半数は確保したが、野党分裂の中では予想された結果だった。事実上の勝敗ラインは「自民・公明+改憲志向政党で、憲法改正発議に必要な2/3を確保」だったが、超えられなかった。「勝者なき参院選」と言われる理由だ。
2021年9月、安倍首相の自民党総裁としての任期が終わる。それまでに憲法改正を実現できるのか。今回の選挙で事実上勝てなかったことで、その展望は、霧の中に突入した。
■支持されていない「改憲路線」
安倍晋三首相は今回の選挙戦で、憲法改正を積極的に主張した。「論争に終止符を打たなければいけない。憲法にしっかりと自衛隊を明記する」と、自身の持論である自衛隊明記案を街頭演説や討論会などで訴えた。
しかし有権者の反応は鈍かった。選挙後の朝日新聞の世論調査で「安倍政権に期待する政策」のうち、憲法改正がわずか3%に過ぎなかったことが、国民の関心の低さを如実に物語る。
安倍首相は2006年の第1次政権発足以来、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、戦後初となる憲法改正への野心を隠さなかった。数の力で党内・国会を押し切り続け、独善的な政権運営を続けた結果、約1年で崩壊した第1次政権を教訓に、2012年の第2次政権からは、長期政権を見据え安全運転を続けてきた。政権から転落後に分裂した野党・民主党の低迷にも助けられて「選挙に強い」ことが安倍首相の党内求心力となり、国会では「安倍一強」と言われる体制を築き上げた。
長期政権の目的は、衆参両院で2/3以上の議席に加え、国民投票で過半数の賛成が必要な憲法改正に長い時間がかかると考えたからでもある。では、そこまでして変えたい「戦後レジーム」とは何か。
■親子3代の夢
第2次大戦で敗戦後、アメリカなど連合国占領期の1947年にアメリカ主導で制定された日本国憲法は、日本の軍国主義復活を警戒し、憲法9条で「戦争放棄」や「戦力の不保持」を定めた。1950年に発効した日米安保条約が、アメリカだけが日本の防衛義務を負う「片務条約」になっている理由だ。やがて冷戦が激化し、日本が経済復興を成し遂げると、アメリカは相応の軍事負担を求め続けたが、日本は憲法を根拠にかわし続け、経済成長を優先させてきた。ソ連に対抗したいアメリカの強い要求で1954年に自衛隊(当時は「警察予備隊」)が発足したが、存在そのものが憲法違反ではないかと、憲法学者の間で長いこと議論が続いてきた。
このアメリカの要求に呼応して1950年代後半に、積極的に憲法を改正し、堂々と日本軍を復活させようと主導した政治家の一人が、安倍晋三首相の祖父、岸信介・元首相だった。しかし1960年の日米安保条約改定は、国民の大規模な反対運動を呼び起こし、条約は改定されたが岸首相は志半ばで退陣した。安倍首相の言う「戦後レジーム」とは、憲法で軍事力の保持や行使に制約がはめられた現在の状態を指し、憲法改正は親子3代にわたる悲願ということになる。
■本音はアメリカつなぎとめ
憲法9条が改正されれば、日本は名実ともに軍事大国となり、朝鮮半島を再び侵略してアジアの覇権を狙う脅威になるーー。韓国人の多くは、こう考えるのではないか。実際に安倍首相を強く支持する保守系団体「日本会議」は、日本の軍事的存在感の強化を改憲の目的に掲げているが、国内世論で多数派とはいえない。ましてや1900年代前半のようなアジアへの領土拡大を主張する人など、皆無に近い。
多くの韓国人にとって70年以上前の日本支配の記憶がトラウマであるように、多くの日本人にとって、軍の暴走で無謀な領土拡大路線に走り、壊滅的な敗北を喫した第二次大戦の記憶はトラウマだ。まして大国化した中国とアジアの覇権を争う気力も体力も、少子高齢化と長期経済停滞に悩む日本には残っていない。
安倍首相ら改憲勢力の現実的な狙いは、在日米軍の負担を削減したいアメリカをつなぎとめ、「世界の警察官」に引き続き留まってもらうことで、中国やロシアに攻め込まれないことにある。敗戦から70年以上たっても、日本がアメリカの事実上の植民地である事縁だ。
だからこそ安倍政権は2015年、国民の大規模な反対を押し切って憲法の解釈を変え、海外での軍事力行使を一部可能にし、アメリカ軍への協力範囲を広げた。憲法が改正され、軍事的な制約が撤廃されれば、アメリカはさらに日本に軍事的な協力を求め、中東など世界各地の「アメリカの紛争」に巻き込まれていくことは明白だ。日本国民の多くが安倍政権での改憲に否定的な理由だ。
●改憲政局は見通し不透明に
安倍首相の自民党総裁としての任期は2021年9月まで。あと2年余りで憲法改正は実現できるのだろうか。安倍首相は選挙結果を受け「残された任期の中で、憲法改正に当然挑んでいきたい」と意欲を見せたが、実現は相当不透明になった。
それでも安倍首相はあえて、憲法改正を前面に掲げ、政局を積極的に仕掛けていくだろう。政権末期のレームダック化を避け、求心力を維持するためと、制定72年で一度も改正されなかった日本国憲法を改正した初の首相として、歴史に名を残したいからだ。だから自衛隊の明文化など反対の多い項目は見送り、「教育無償化」など、誰もが反対しない項目を書き込むことで「レガシー」を作ろうとするかもしれない。
日程を見ると、東京オリンピックが終わった2020年秋には、2017年秋以来の衆院解散・総選挙がカウントダウンに入る。改憲に積極的な勢力は、この衆院選と、憲法改正の国民投票を同時に実施する日程を思い描くが、課題は山積している。
まず、一口に「改憲勢力」と言っても、党によってその中身は相当異なる。自民党と連立政権を組んでいる公明党の離反を招く可能性がある。仏教系の新興宗教団体「創価学会」を支持母体とする公明党は、戦前に創価学会幹部が宗教弾圧を受けた経緯もあり、1964年の結党以来「平和の党」を名乗ってきた。自民党の改憲案に最初から否定的な理由だ。
安倍首相は既に、旧民主党が分裂した片方で、右派労働組合を支持母体とし、憲法改正への議論自体を否定しない国民民主党に、連携を持ちかけていくことを明言している。しかし、これもリスクをはらんでいる。国民民主党も憲法改正を巡っては一枚岩ではないのに加え、支持率1%台の党勢低迷が続く中、自民党との連携を強めれば離党者が相次いで党自体が崩壊し、旧民主党のもう片方で、安倍政権下での改憲に反対する立憲民主党が強化されかねないためだ。
■首相の求心力に陰り
何より、安倍首相の求心力に陰りが見える。先述の通り、2012年から長期政権を維持してきた安倍晋三首相の求心力は「選挙に強い」ことだった。しかし今回、野党分裂で優位なはずの選挙で勝ちきれなかった。
「選挙に強い」とは言っても、旧民主党政権への失望感で大勝した序盤を除けば、中盤以降は野党・旧民主党の分裂に助けられてきた。現在は、代案がない中での「消極的支持」に支えられているのが実態だ。朝日新聞の6月の世論調査で、内閣支持率は45%と高水準だったが、支持する理由は「他よりよさそう」が55%で突出していた。
今年秋には消費税が8%から10%に引き上げられ、消費の落ち込みが予想される。来年夏の東京オリンピックが終われば、建設業を中心にした「オリンピック特需」も一段落する。そもそも安倍政権のもう一つの看板だった「アベノミクス」は経済成長の実感に乏しく、予想される逆風に有効な対策は打てていない。国民年金などの資金を株式市場に投入して株価を上昇させる「気分の政策」の側面が大きく、成長産業への投資は進まなかった。低迷する日本経済を再浮上させるには役不足なのだ。
加えて、約7年の長期政権で安倍首相自身にも疲れが見える。朝日新聞によれば、安倍首相は側近に「もういろいろやった」「疲れた」と漏らす機会が増えているという。自民党内では既に、菅義偉(すが・よしひで)官房長官や岸田文雄・政調会長ら「ポスト安倍」のレースも水面下で始まっている。党内からは、党則を再び改正して「安倍4選」を可能にする案や、安倍首相に近い政治家をリリーフ登板させて、第3次安倍政権をめざす「メドベージェフ方式」などの案も出ているが、2020年秋以降、安倍首相の続投を望む声が党内外で高まるのかは見通せない。
■国際環境で激変も
国内的な要因だけ見れば、安倍首相の憲法改正に有利な材料はほとんど見当たらないが、国際情勢はさらに不透明で、これらの要素をすべてひっくり返してしまう可能性がある。最大の不確定要素はドナルド・トランプという人物の存在だ。
2017年に長距離ミサイルや核実験を巡って一触即発だったアメリカと北朝鮮が、2018年に突如、首脳会談を開いて非核化交渉を始めたように、北朝鮮を巡る東アジアの安全保障環境は、ある日突然、激変しうる。それは在日米軍の位置づけや役割にも大きな影響を与える。
「世界の警察官」を辞めて財政負担を削減したいアメリカのトランプ大統領は、イラン情勢などを巡っても、日本など関係各国にアメリカ軍の肩代わりを露骨に要求するようになった。トランプ個人と個人的に親密な関係を築いているとアピールする安倍首相だが、度重なるゴルフと炉端焼きの接待は、ビジネス的な取引の感覚で政治を動かすトランプ氏に効果を与えているかは不明確だ。来年秋の大統領選でトランプ氏が再選するのかも、日本の憲法改正の行方を占う上で目が離せない、重要な要素だ。