国防部が下半期に発行する「2018国防白書」で「北朝鮮政権と北朝鮮軍は敵」という文言を削除する方針を積極的に検討していることが分かり、保守系の野党とメディアが「時期尚早」として反対意見を表明した。彼らが掲げる反対の論理は至極はっきりしていて、古いレコードを繰り返しているという感じを受ける。南北は4月の板門店(パンムンジョム)宣言で一切の敵対行為を全面的に中止することにした。このような画期的な変化に歩調を合わせて国防白書の表現を変えるのは当然のことであり、論議の的になるものではない。
保守メディアは「敵対状況を解消するために努力するのと、現実で厳格に敵対状態が存在することは別の話」として「敵」の表現の削除を急いではならないと主張している。しかし、現実に敵対状態が存在するのと、その相手方を公に敵として規定するのは次元が違う問題だ。互いに信頼を構築しなければならない対話の相手方を「敵」と公言することは、対話しないことと違わない。保守系のメディアは北朝鮮労働党規約が「全国的範囲で人民民主主義革命課題完遂」という文面を変えていないのに我々だけ敵の概念を捨てるのかとの論理も、見当違いな話だ。労働党の規約に対応する我々の憲法は明確に「自由民主的秩序に立った平和的統一」を推進するとされている。国防白書を揺るがす状況ではない。
国防白書に「敵」の表現が入れられたのは南北関係が悪化した保守政府の時のことだ。1994年の北朝鮮の「ソウルを火の海に」発言の後、「主な敵」の概念が初めて入れられた、2000年の南北首脳会談以後、南北関係改善により2004年から「主な敵」の表現は抜け、「直接的軍事脅威」のような他の言葉に代えられた。それなのに2010年の延坪島(ヨンピョンド)の砲撃後、再び北朝鮮軍を敵として規定する文面が入れられた。しかし、これさえ2016年の国防白書では「北朝鮮の威嚇が継続する限り」という但し書きを付けた。板門店宣言で敵対行為を中止することにしたので「敵」という表現に固執する理由は消えたと見る。
国防部は5年ごとに発刊する軍の精神教育基本教材でも「北朝鮮=敵」という表現を削除する方針を検討しているという。この教材に「大韓民国を威嚇する北のシンパや親北朝鮮勢力、主体思想派」等の文言も入っているというが、イデオロギー論争をあおって軍の健全な精神の育成を害する古い言葉であるだけに、一緒に削除するのが当然だろう。