1998年、ウィリアム・ペリーはウクライナから手紙とひまわりの種を受け取った。2年前、彼が米国の国防長官であった時、ウクライナの核弾頭を除去し核物質を取り出し、ミサイルを分解して屑鉄にして、ミサイル基地を農地に作り替えひまわりを植えた。ひまわりの種は「剣を鋤に変えた証拠」であり、「脅迫を協力に変えた事例」であり、「非核化の希望」そのものだった。
1991年ソ連が解体されてから15年間、旧ソ連地域で5万人余りの核兵器科学者が職業を替え、多くの代替産業施設が作られた。核施設を解体するには、そこで働いていた軍人、科学者、労働者、住民に新たな生活を用意しなければならない。米国は剣を鋤に変えるために、旧ソ連地域だけで16億ドルを投資した。この事業を私たちは「協力による脅威の減少」(CTR:Cooperative Threat Reduction)と呼ぶ。リビアでも核開発技術者の職業転換教育が実施され、化学兵器生産施設をマラリア薬の生産工場に切り替えた。果たして北朝鮮でも可能だろうか?
北朝鮮核問題の解決で最も重要なことは協力だ。北朝鮮は、核兵器を安保の脅威に対応する抑止手段だと主張する。安保の脅威が解消されれば、核兵器を放棄することができるという立場だ。北朝鮮核交渉では、それを言葉対言葉、行動対行動の原則と呼ぶ。同時行動の原則で重要なことは「機械的均衡」ではなく、「関係の変化」だ。関係が変わってこそ、抑止の必要がなくなる。敵対関係から協力関係への転換速度が、結局は非核化の速度を決定するだろう。
核施設が密集している寧辺(ヨンビョン)に、「協力による脅威の減少事業」を具体的に検討する時が来た。北朝鮮も米国も「過去の失敗」を繰り返さないという。過去の凍結や不能化の水準を跳び越えて、今こそ寧辺の核施設を完全に解体しなければならない。当然、協力の水準も果敢にしなければならない。原子炉があった場所にチンダルレ(ツツジ)を植え、化学工場を肥料工場に切り替え、核工学者と軍人に新しい職業を提供しなければならない。
協力による脅威の減少は、制裁の緩和につながる。原則的な非核化合意ができる時までは制裁を継続しなければならないが、合意履行を始めるには制裁を緩和しなければならない。例えば、米国が寧辺に協力による脅威の減少のために予算を投じるには、制裁関連法律を改正したり廃棄しなければならない。制裁と支援は同時にできないためだ。
包括的合意事項の一つである関係正常化も同じだ。関係を正常化するには、敵性国との交易法も廃止しなければならず、テロ支援国指定も解除しなければならない。関係正常化は、単純に外交関係のみならず、経済関係を含むそれこそ包括的な関係の正常化を意味する。寧辺の協力による脅威の減少には、米国だけでなく、北朝鮮の核問題解決に利害関係を持つすべての国家が費用を分担する必要がある。
米国の協力による脅威の減少事業は、超党派的協力の象徴だった。民主党のサム・ナン議員と共和党のリチャード・ルーガー議員が共同で法案を作ったので、ナン・ルーガー法案とも呼ばれる。北朝鮮の非核化を望むならば、北朝鮮との協力だけでなく、韓国の協力も重要だ。政権の変化に関わりなく合意の持続性を保障してこそ、北朝鮮は核兵器を永遠に放棄することができる。韓国も米国もますます困難になっているが、超党派的協力が今後も重要な理由だ。
再び非核化の知恵を集めなければならない時だ。今こそ脅迫から協力に切り替えなければならない。脅迫すれば武器を握りしめ、協力してこそ脅威を解消でき、それでこそ武器を下ろすだろう。