天皇制国家の痕跡は今も日本人の精神、慣行、制度に色濃く残っている。安倍首相が母方の祖父である岸信介元首相を通じて受け継いだのも、天皇制国家の精神だ。これは日本が天皇制から始まった問題点を解決しない限り、一定の限界から抜け出せないだろうことを示唆する。
日本がグローバル社会に明確に寄与できることは幾つもある。まず、超高齢化社会のモデルだ。日本はすでに2006年に65歳以上の人口が全体の20%を超えた。こうした社会は、人類の歴史上初めてだ。日本が新たな道をどのように歩んでゆくのかにより、人類の営み全体が大きな影響を受けることになりうる。
近くて遠い国。
正しく見れば韓国の周辺ににあるすべての国に該当する言葉だ。中国がそうで、何より北朝鮮がそうだ。ロシアも違わない。それでも、この表現が主に日本に対して使われるのは、歴史的・心理的理由だけではない。日本は朝鮮戦争以後にも米国という覇権国を通じて韓国と政治的・軍事的に緊密に関連してきた。日本は韓国の産業化の一つのモデルであり、今も経済的に密接だ。だが、英国がヨーロッパ大陸と一つになることを嫌って、ヨーロッパ連合(EU)からの脱退を決めたように、同じ島国である日本もアジア大陸と十分に混じることはできない。大陸と海洋、先進国と開発途上国の間の掛け橋国家を指向する韓国とは距離がある。
安倍晋三首相が常勝疾走している。すでに満5年の在任を記録した彼は、歴代最長寿首相を視野に置いている。米日同盟の強化と軍事一体化を基に、本格的な軍事大国化の道に入ったことが彼の最大成果だ。念願の課題である改憲に向けても、ゆっくりとはいえはっきり一歩を踏み出している。経済面では彼が就任した2012年12月から始まった景気回復傾向が59カ月続いている。成長率は高くないものの、完全雇用に迫るほど働き口が増えたことは10年前には想像しがたかった。彼が現職に留まりうる最大期間である2021年9月まで在任するならば、日本社会は彼の登場以前に較べて大きく変わっているだろう。
日本の近現代史を説明する40年周期説という話がある。40年ごとに国運の上昇期と逸脱・停滞期が繰り返すという歴史観だ。1860年代の開国から1905年の露日戦争のまでが1次上昇期で、近代国家を完成した時期だ。その後1945年までは軍国主義が勢力を伸ばし、世界を相手に戦争を行い惨めに負けた逸脱期だ。日本はその後、経済発展に集中して1980年代には米国の地位まで脅かす名実共に経済大国になる。2次上昇期であるこの時期は、80年代末から始まったバブル崩壊とともに長期停滞期に変わり、この時期は今も続いている。安倍政権は停滞期の後半部にいる。すなわち停滞を加速する事もでき、後に続く上昇期の基盤を磨き上げる役割を果すこともできる位置だ。
各時期の終わり頃には次の時期の端緒が現れるはずだ。例えば、1次上昇期の後半部である19世紀末には、朝鮮半島の植民化と対中国対決が執拗に試みられた。そうした試み自体が、上昇の核心内容の一つでもあった。また、1次逸脱期の後半である1930年代初めから続いた満州事変と中日戦争、太平洋戦争は、日本帝国主義の没落を予告する傲慢の極致であった。2次上昇期の決定的契機は、米国の占領と民主化改革、朝鮮戦争による経済ブームだ。朝鮮半島はこの時も自身の苦痛と犠牲を日本の発展動力として提供した。
2次上昇期の末期である1980年代の雰囲気をよく見せる人は、82年からの5年間を執権した中曽根康弘だ。彼は首相としては初めて靖国神社に参拝するなど、かつての帝国主義の遺産を受け継いだ新保守主義の誕生を知らせ、こうした政治はその後拡散して、現在の安倍政権で全盛期をむかえている。当時流行した言葉が「ノーと言える日本」であり、高評価された日本円で米国内の資産を買い入れることが流行した。典型的な末期症状だ。今の日本が新たな上昇期を準備するには、既存の問題点を徹底して清算し、新たな動力を拡充しなければならない。だが、安倍首相はむしろ「戦後レジームからの脱却」という名前で新保守主義を最大化しようとしている。上昇期の末期にでも現れそうな動きだ。
日本という国名が使われたのは7世紀末からだ。中国で400年近い群雄割拠時代を経て、唐という統一世界帝国が登場し、朝鮮半島でも新羅が初めて統一国家を成し遂げた直後だ。日本の歴史が朝鮮半島や中国と緊密にかみ合っていることをよく見せる。日本は第2次大戦直後の米軍以外には一度も外国の軍隊に占領されたことがない。日本人が自身を中心に置く独特の世界観を維持・強化してきたのには、こうした歴史が大きく作用している。
日本の近代化の出発点として、よく幕藩体制を終わらせ王政復古した明治維新(1868年)が挙げられる。その後、日本は本格的に西欧を追いかけ、50年後の第1次大戦あたりには世界5大強国になる。“維新”は、復古(Restoration)、革命(Revolution)、改革(Reform)をすべて包括する曖昧な概念で、その後の様相にもこれらが入り乱れて現れる。日本が急いで作り出したものは、市民が主体になる民主国家ではなく、伝統に根を置いた天皇制帝国だった。これを“非西欧的近代化”の一つの類型と言うこともできる。
近代以後、日本が守ろうとした伝統は天皇制に集約されている。20世紀前半の天皇国体論は、植民主義を合理化し、戦争動員を後押しする強力なイデオロギーであった。日本は、第2次大戦で敗れ、米国に無条件降伏することになった状況でも、天皇制だけは守ろうとした。米国が強要した民主化改革で、天皇は象徴的存在になったが、以前の天皇制国家の痕跡は今も日本人の精神、慣行、制度に色濃く残っている。安倍首相が母方の祖父である岸信介元首相を通じて受け継いだのも天皇制国家の精神だ。
日本の政治は、1955年に自由民主党が作られた後、今まで60年以上事実上の一党独裁が続いている。他党に政権を譲り渡したのは、2009年から2012年までの3年間のみで、自民党内派閥の勝敗が政権交替の代わりをしてきた。このような長期政権は、天皇制と密接な関連がある。天皇という求心点を中心に国民統合を試みる総力体制が作られた後、日本社会、特に地域社会はほとんど本質的変化を経なかったし、この体制を維持・強化しようとする核心政治勢力がまさに自由民主党だ。既存の政治構図に挑戦しようとするすべての試みが失敗したのは、毛細血管のように広がっている既得権構造がどれほど強固かをよく見せる。
こうした体制は、自由でなく民主的でもない。これは、日本が天皇制から始まった問題点をいかなる方法であれ解かない限り、一定の限界から抜け出せないことを示唆する。安倍首相は「今や戦後レジームを脱却し、未来に進まなければならない」と強調する。だが、彼が語る未来は、クラインの壺のように、口を探して辿っていけば結局は天皇制国家という過去へと向かう。
日本は独自の経営方式に基づいた経済力と独特の文化コンテンツで人類に寄与してきた。西欧とは異なり、アジア圏からも区別される共同体的な社会も、人類の営みの一形態として十分な価値がある。世界総生産の15%を占めた1980年代ほどではないが、主要経済圏という地位も少なくとも今後数十年間は維持されるだろう。だが、以前もそうだったように、自身の手に余る対外拡張を追求するならば、新たな上昇期に入るどころか、再び停滞・逸脱期に陥る可能性が大きい。
日本にはグローバル社会に明確に寄与できるものが幾つもある。まず、超高齢化社会のモデルだ。日本はすでに2006年に65歳以上の人口が全体の20%を超える超高齢化社会に進入し、今はその比率が28%に達する。このような社会は、人類の歴史上初めてだ。日本が新たな道をどのように歩いていくのかにより、人類の営み全体が大きな影響を受けることになりうる。低成長社会で共同体的な価値を維持し、生活の質を高めていこうとする姿も注目される。日本社会はこれと関連した色々な実験をして、注目に値する成果をあげている。さらに重要なことは、アジアのみならずグローバル社会全体で“平和の均衡者”の役割をすることだ。平和憲法の精神を継続することは、アジアの国々との平和な共存共栄だけでなく、日本自身の新たな上昇のためにも必須だ。
そのような日本と韓国が良い関係で過ごせない理由はない。私たちは何回かの民主革命を通じて、過去を清算し新しい体制を作ったという点で本質的に未来指向的だ。