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[コラム]消費心理萎縮させる構造改革より大切な共生という視点

登録:2016-02-05 03:12 修正:2016-02-05 06:26

 日本が「失われた20年」を過ごしたことに異論を提起する人はあまりいないだろうが、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンの説明を聞くと、眠気が吹っ飛ぶかもしれない。彼は昨年10月20日付の米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿した「日本を再考する」という題名のコラムにこう書いた。

 「日本の生産年齢人口1人当たりの生産増加率を見ると、2000年頃からは米国よりも高い。過去25年を振り返っても、米国とほとんど変わらない」

 日本の成長率水準の低下は、1999年に始まった生産可能人口減少によるところが大きく、これまでの低成長は(日本経済の)実力相応ということだ。もちろん私は「失われた20年」という表現をそのまま使う。多くの人々の生活が困難になっており、大規模な赤字を甘受した財政支出で成長率を支えたため、経済システムの内傷も激しいからだ。日本の年間財政赤字は国内総生産の6%を超える。現在の国家債務比率は240%ほどだが、このまま行けば、2030年には300%になる。財政危機は時間の問題だ。

 日本政府が、多くの借金を抱えなければならない理由は、需要が生産分を支え切れないからだ。輸出需要は、外部環境の影響が大きいものだが、問題は民間消費の不振だ。民間消費が活性化しない理由は、家計所得が増えないのに加え、将来への不安で財布のひもを緩めようとしないからだ。その結果、19世紀後半のイギリスの大不況期に似たような物価下落基調が続いている。

 このような流れは、小泉純一郎政権(2001〜2006年)が、いわゆる「構造改革」を前面に掲げた時期から本格化した。「終身雇用、年功賃金」制度が崩れ、賃金水準が低く、今後も増える可能性が低い非正規雇用が急増した。若者たちは「雇用機会を失った」世代となった。年金制度に対する不信感が高まったのも、消費心理を萎縮させた。

 “輸出”で突破しようという誘惑に陥ったこともある。小泉政権は「構造改革」を行ったにもかかわらず、景気低迷に歯止めがかからなったことを受け、50兆円を外国為替市場に投入して、円の価値を下落させた。円の価値を引き下げるのは、消費者からお金を集めて輸出企業に補助金を与えるようなものだ。輸出はしばらくの間、成長率を引き上げたが、再び円高に転じたことで水の泡となった。民間消費の不振はさらに進んだ。現在の安倍晋三政権のアベノミクスは「円安誘導」という麻薬に再び手を出したも同然だ。円安で輸出大企業が大金を稼いだとしても、昨年第2、3四半期の成長率はマイナスだ。「トリックルダウン効果」が起こらず、実質賃金は減っており、消費不振は相変わらずだ。

チョン・ナムグ論説委員//ハンギョレ新聞社

 「民間消費の安定的な増加」はさておき、「貿易立国」を唱え続ける、片目を閉じた論理は、韓国でも経済と社会を日本が歩いて行った沼に落とし入れている。労働者の賃金をコストとして捉え、それを減らすことを競争力の強化とする「構造改革」の論理は、現在、貪欲の爪を露わにして暴力と化している。振り返ってみよう。韓国では民生破綻がすでに日本よりも深刻だ。消費不振に伴う低成長が根を下ろして、最近では、これを埋めるのに国の借金が急速に増えている。

 流れを変えるのに必要なのは、奇抜な経済理論ではない。人と労働を重んじ共に生きて行こうとする考えから、有意義な工夫が始まる。明るい街灯の辺りを見まわるだけで、暗い川の土手で落とした財布を探そうとするのは詐欺だ。正常な政府なら、輸出大企業の心配は差し置いて、疲れ切った顔で悔しい思いをしながら、将来への不安を抱えて生きていく人々のもとを照らさなければならない。

 韓国でも来年から生産可能人口が減少し始める。

チョン・ナムグ論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-02-04 19:23

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/729395.html 訳H.J

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