登録 : 2015.11.30 00:49 修正 : 2015.11.30 06:20

 国定歴史教科書の製作がこれから本格的に始まる。執筆陣も構成されており、執筆基準もまもなく発表されるというから、あとは書くことだけが残されているわけだ。覆面執筆陣が書く教科書に、どのような内容が盛り込まれるか、多くの人が興味を示しており、親日と独裁を美化する内容になるかもしれないと心配している人も少なくない。

 興味深いのは、国定化の論理が「バランスのとれた教科書」という点だ。朴槿恵(パク・クネ)大統領はこれまで「バランスのとれた教科書」の重要性を再三強調しており、教育部も「バランスのとれた教科書」を作ると宣言した。“右寄り”の教科書を懸念する人たちにとっては、「バランスのとれた」という修飾語が、秘められた意図を隠すための美辞麗句に過ぎないかもしれないが、この点については、もう少し考えてみる余地はあると思われる。この論理は、何か一貫した流れから出てきたかのように見えるからだ。

 これまで日本での歴史教科書の検定基準を強化して露骨に国家の介入を推進してきた安倍晋三首相が幾度もなく強調してきたのも、やはり「バランスのとれた」歴史教育の必要性だった。韓国メディアは、これを主に「歴史歪曲」という表現で報道してきたが、実際には、今年行われた検定過程でも見られたように、ある歴史的な出来事に対して複数の見解を提示して定説がないと書かせる、違う角度から見ると、“客観的な”修正要求だった。彼らは遠慮なく「大日本帝国」を賛美して「大東亜戦争」を肯定するような物語を強要したりはしない。もちろん、“まだ”そこまで進んでいないのかもしれない。しかし、安倍首相が「教育改革」を推進する際のモデルにしたのが、1980年代後半のイギリスでサッチャー首相が推進した「改革」であることを思い出してみると、少し異なるコンテキストが見え始める。

 1980年代後半、イギリスで歴史教育が政治的問題になった際にも、発端となったのは「偏向した歴史教科書」だった。英国の人種主義がいかに深刻なものだったのかを教える教科書を攻撃しながら、サッチャー政権は歴史教育のカリキュラムを国家が管理するようにした。ところが、いつも愛国心を強調していたサッチャー元首相が、歴史教育に介入した際に進めたのは、愛国心を注入するような歴史教育ではなかった。彼女が実際に行ったことは、テーマ学習型の歴史教育を年表型の歴史教育に変えるものだった。教科書が自由発行制で、現場の教師の裁量が大きかった英国では、多様かつ自律的な歴史教育が行われていたが、そのような教育を“偏向”とみなし、年表で象徴される“客観的”かつ“中立的な”歴史を教えるようにしたのだ。また、この「改革」を経て、奴隷貿易のような歴史的な出来事にも、アフリカ人の中にも利益を得た人々がいたというような“客観的な”記述が現れた。

藤井たけし・歴史問題研究所研究員//ハンギョレ新聞社
 新自由主義を導入しながら進められた「バランスの取れた」歴史教育の目的は、教育を通じて生まれるかもしれない“偏向”したテーマを最初から封鎖することにある。これまでニューライトをはじめとする人たちが行った歴史書き直し作業でも中核を成したのは、植民支配や独裁のように、敵対を表わしたり、感情を刺激する恐れがある部分を緩和するものだった。彼らは親日や独裁を積極的に美化しようとするよりは、それを止むを得なかった、淡々と受け止められウ“客観的知識”にすることで、学生自らが主体的に悩んで判断する余地を排除しようとしただけだ。

 民主主義が絶えず新しいバランスを作っていくダイナミックなシステムだとすれば、その原動力を保持するのは、他ならぬ偏向だ。多くの偏りが生まれてこそ、社会はより生き生きとしたものになる。偏向の抑制とは民主主義の死を意味する。バランスは教科書で取るものではなく、教室で図るものだ。

藤井だけし・歴史問題研究所研究員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-11-29 18:34

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/719523.html訳H.J

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