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[社説]8・15祝辞に“希望の灯”はなかった

登録:2015-08-17 07:10 修正:2015-08-17 07:41
朴槿恵大統領が15日午前、ソウルの世宗文化会館で開かれた光復70周年中央慶祝式で祝辞を述べている=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 光復(終戦)70周年を迎えて我々(韓国)は過去になく“新しい灯”に対する激しい渇きを感じている。国を取り戻していつのまにか70年が過ぎたが、我々が経てきた現実があまりにも苦しいためだ。南北間には分断の解決どころかかえって緊張の波が高まるばかりで、米中のあつれきと日本の右傾化の波の中で我々の立場は70年前の国際的迷い子の立場まで思い起させられる。我々の内部的にも独立、平和、民主などの言葉は一層色あせてきつつある。朴槿恵(パク・クネ)大統領の8・15祝辞が過去の光復節の祝辞より関心の対象になったのはこういう苦しい現実を打開する新しい希望の灯に対する渇望のためだ。

 しかし残念である。朴大統領の8・15祝辞ではこのような現実を乗り越えて新しい未来を切り開いていく新しい光を全く見い出せなかった。単に現在の当面の懸案に対する立場の整理と短期的な次元の対応だけ確認されただけである。もちろん朴大統領は多数の希望について話した。しかし具体的な戦略と実践の意思を欠いた絵空事の聖餐は決して希望に変わることはない。

 朴大統領は日本の安倍首相の戦後70年談話について「物足りなさ」を表明しながらも、「歴代内閣の歴史認識を継承する」という彼の発言を肯定的に受け入れた。朴大統領のこのような基本姿勢はこれまでの対日強硬策が外交的孤立を自ら招いているという批判を意識した結果に見える。ある面では現実的選択をしたと評価することもできる。

 しかし朴大統領がこれまで「過去の問題に進展がなければ何もできない」というがんこぶりを見せていた点を考えると、とても虚しい結果だ。政府は、対日外交の重心を「原則から実利に」移したものと自画自賛しているが、果たして当初の原則が何だったのか、そしてこのような一進一退の歩みで実利をまともに手にできうるのか疑問を感じざるをえない。

 朴大統領は北朝鮮に対しては「いかなる挑発にもきっぱりと対応する」と警告しながらも話し合いと協力を維持するという方針を明らかにしている。最近発生した地雷事件で軍事的緊張が高まっている状況で大統領が対話の意志を示した点はひとまず評価するだけのことはある。しかしそれ以上の意味を見い出すのは難しい。

 朴大統領はこの日も離散家族の生死確認の喫緊ぶりを繰り返し強調して「約6万人の韓国離散家族名簿の一括送致」等の提案を出した。しかし我が政府がすでに今月5日の離散家族対面や光復70年共同記念行事を議論する高官会談を開こうと提案したが、北朝鮮はそのような内容が盛り込まれた書簡さえ受け付けない点を鑑みると特別現実的な提案にはなりえない。最低限、金剛山(クムガンサン)観光の再開と5・24措置の解除など南北の懸案に対する包括的な合意も合わせて提案すべきだったが、現政権でこのような問題はいまだにタブーである。かえって朴大統領は北朝鮮に対して「世界のどこの国でも見られない粛清を押し切っている」などの批判の声を高めている。北朝鮮が最も敏感に感じる部分を公けに指摘して彼らが我々の提案を受け入れると期待するのか真に気になるばかりだ。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015/08/16 18:28

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/704602.html 訳T.W

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