6月、朴槿恵(パク・クネ)大統領が米国を訪問する。 日本の安倍首相の訪米以後、米日の蜜月と韓国の孤立が心配される微妙なタイミングだ。 韓米関係の懸案も少なくない。 韓米日三角関係における韓国の地位と役割を検証する重要な舞台に相違ない。 多くの注文があふれている。 “歴史”問題にこだわるなという声が強い。 韓国を訪問した米国の国防長官は「歴史より未来がより重要だ」と述べたし、米国務長官も「韓日両国の和解」を強調した。
歴史は韓米日三角関係の断層線で、時には地震と台風の根源になる。 歴史問題で韓日関係が改善されなければ、韓米日の三角関係の好循環は期待できない。 解放70年の歳月、米国は一貫して韓日の歴史和解を促してきた。 であるから韓日関係は二者関係ではなく三者関係だ。 植民支配の不法性を否定する日本と、謝罪と反省を要求する韓国との間で、米国は常に仲裁者だった。
仲裁者は頑固な側でなく、甘い側の譲歩を要求する傾向がある。 50年前もそうだった。 1965年に韓日協定が結ばれる時、米国は急ぐよう催促した。 援助の縮小を圧力手段として活用し、請求権金額の範囲を調整した。 朴正煕(パク・チョンヒ)政権は名分より利益を重視して、“歴史問題”を後代に持ち越した。以後、反共戦線のため、韓米日の三角関係のため、経済成長のため、歴史はいつも当代ではなく後代の誰かが解決しなければならない課題であった。 1965年当時、カン・ウォニョン牧師は韓日協定を「非正常であるための(関係)正常化」と批判した。「清算されなかった歴史」の後遺症はどれほど大きいか?
50年の歳月が流れ、多くのことが変わった。 韓国の経済力や外交的影響力を、戦争真っ最中だった1951年と比較できるだろうか? 軍事クーデターで執権し正当性コンプレックスを感じていた1960年代と比較することができようか? 韓国の力量も、韓米日三角関係の性格もはっきり変わった。 歴史を懸案と連係させよと言うつもりはない。未完のまま残された課題を誰であろうが一気に解決できようか? ただし、朴槿恵大統領がオバマ大統領に会った時、歴史問題に対する米国の責任を知らせる必要はある。
歴史問題の最初のボタンを掛け違えた当事者は、まさに米国だ。米国は1951年のサンフランシスコ対日講和条約に韓国を招かなかった。 米国の決定により韓国は日本の交戦相手として認められず、賠償を要求する資格も失った。 1965年、韓日協定で植民支配に対する賠償ではなく請求権形式で帰結されたのも、実はサンフランシスコ条約のためだ。 独島(トクト)問題も同じだ。 サンフランシスコ条約は韓国が日本から返還を受けなければならない領土のうち、独島をこっそりと脱落させた。 草案には入っていた独島が日本のロビーにより消えた後遺症はどれほどみじめなものだったか?
韓日両国の歴史和解のために米国の積極的役割を要求する権利がある。 米国はドイツ政府が第2次世界大戦当時の強制労働に対して補償基金を作る際に役割を果した。 クリントン政権時には、北アイルランド平和交渉を主導的に解決した。 米国が仲裁者として介入した中東平和交渉でからまった過去はどれほど死活的であったか? 米国は現在の平和と未来の共同利益のために、過去の歴史がどれほど重要かをよく知っている。
再び韓米日三角関係の重要性を語り、50年前のように実用という名目で“歴史問題”を伏せなければならないのだろうか? 忘れてはならない。いい加減に縫い合わせた歴史は、断層線のように全く別の状況で全く違う脈絡で復讐する。 解恨、恨をはらさねばならない唯一の理由は、悲劇を繰り返さないためだ。 大統領の訪米にあたり歴史認識で成果をあげることを願う。