日本は今、嫌韓感情が拡散し韓国に対する批判がインターネットにあふれている。その根元に「やわらかい言葉」で隣国に対する偏見と敵愾心を煽動する本がある。「韓国人を殺せ」というようなヘイトスピーチ(特定人種・集団に対する憎悪発言)を発しないため目立たないが、在特会のような日本の排外主義団体を作ったものはこの種の言説である。
先月、澤田克己毎日新聞ソウル支局長が『韓国「反日」の真相』(文藝春秋)という本を発表した。要約すればこの本は「反日が暴走する韓国」と「無垢な日本」という対立を作り、適切でない論理で韓国と日本の差異をわざと強調し、韓国の新しい日本理解を否定しつつ両国間の友好を妨害する内容である。著者は日本の言論人の中でも知韓派に数えられる人物だが、日本語で日本人に隣国に対する敵愾心を煽動する本を書いていたわけだ。
著者は「はじめに」で「日本なんてたいしたことない」という雰囲気が韓国社会を支配しているとしている。ではなぜ韓国で日本の右傾化を憂慮する声が大きくなっているのか。「日本なんてたいしたことない」という余裕を韓国が持っているとは、まだお世辞にも言うことができない。
「日韓関係に大きな影響を与えている韓国社会の意識変化を紹介」する本だというが、著者が言う「反日」が一体何であるのか明確ではない。本文に従えば「慰安婦問題や竹島問題で日本を非難」することが「反日」であると言いたいようだ。とても浅薄で敵愾心を煽動する言葉だと表現するしかない。
著者は第1章「自覚なき反日」で、韓国人について「『日本好き』と『反日』が一人の中で同時に存在している」「『反日』については強く意識していない」と書いている。しかし個人の消費行動と国家外交を比較対象とすることは分析単位(unit of analysis)の誤りである。韓国料理を好みながら竹島主権を唱える日本人は「自覚なき反韓」と見なければならないのだろうか。
慰安婦問題について、著者は第2章「『正しさ』とは何か」で「韓国が近年、慰安婦問題の国際化を図る際に『現在に通じる女性の人権問題』という論理を多用するのは、こうした国際社会の流れに乗ろうという判断」だと述べている。しかし被害者の国籍、人種が単一ではない慰安婦問題は元々国際的な問題であり、戦時性暴力として見る視角は日韓共に近年学んだものである。国際社会の論理を韓国が一方的に利用したとするのはひどい発言である。
著者は慰安婦問題に対する韓国政府の態度が、かえって韓国に対する嫌悪感を増幅させると自覚する人物が韓国政府内にほとんどいないと書いている。ここでは謝罪と妄言を繰り返してきた日本の不誠実な態度が無視され、「韓国に対する嫌悪感」が特に疑いもなく前提とされている。
著者は韓国と韓国人を扱った第4章「大国にはさまれた悲哀」で「認めてもらえないことへの不安」があると主張し、整形手術と大型車志向、韓流ブームに対する自負、韓国広報専門家の存在などに言及している。しかしここでも個人(の承認欲求)と国家を同等に比較しており、分析単位が違うため論議自体が成立しない。
そしてセウォル号事件当時、在米同胞が進めた「朴槿恵政権に事故の責任があると糾弾する活動」を大国である米国世論への「言いつけ」であるとする著者の姿は、まさにインターネット空間のはねっかえりと違うところがない。祖国で起きた惨事を看過できずに人々が同胞愛を発揮したと見るのが正常だ。
著者は本の最後で「韓国に幻想を抱いてはならない」と述べている。「幻想」とは「黙っていても日本のことを分かってくれる韓国」、つまり日本教育を受けた世代が多く住む韓国という意味なのだが、植民地を脱した韓国の新しい日本理解を著者が強く否定する根拠は本文からは見えてこない。日本を訪問する韓国人、そして大学の日本関連学科は依然多く、日本学関連の学会が活発に活動するここ韓国に「等身大の日本を知る人」はいないとするのは視野が狭いというより、対立を煽動する言説だと表現するのがより適切である。
考えの基準を日本人でも韓国人でもない「人間」に置くことを願う。
韓国語原文入力:2015/03/16 18:47