過去21年間の北朝鮮の新年辞を読み直してみた。金日成主席死去後の1995年から2012年までの共同社説と、2013年から始まる金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の3年間の肉声新年辞だ。大きな流れで北の変化を知り、金第1書記の北朝鮮がどういう方向に進むのか探るためだ。金日成主席と金正日委員長の代表的な政策が、時間の流れとともに消えたり、形成されていく過程がなにより目についた。「共産主義」、「主体農法」、「革命的軍人精神」などがこうした変化を象徴していると思われる。
「共産主義」は金日成主席の政策を圧縮した単語だ。しかし北朝鮮の共同社説は1995年と1996年にだけ共産主義という単語を使うことで金日成時代の終わりを象徴的に知らせた。金主席が創案したという「主体農法」も同じだ。共同社説は1995~1998年に毎年主体農法に言及したが、その後は2000年、2005年、2010年の3回だけ登場させた。2011年からまったく言及されていない。この変化の背景には山の斜面を切り崩した農作業などに代表される主体農法では食糧難が解消されにくいとの判断が作用したものと思われる。
この二つの単語に代わるのが「実利」と「農業革命」だ。1999年の共同社説で初めて登場した「実利」は平等を強調する共産主義概念とは異なり実質的な成果を強調する。この概念はその後、北朝鮮が2002年に7・1経済管理改善措置などを通じ市場要素を備える土台になる。2008年以後度々目にする「農業革命」は先進営農方法と有機農法などを主な農業政策として提示する。この用語は主体農法と異なり、野菜畑担当制実施など協同農場の枠組みを越えた改革も受容できる中立性を持っている。
この二つの単語より直接的に金正日時代を代表する言葉が「革命的軍人精神」だ。金日成主席3回忌が終わる1997年から金正日委員長が死亡する2011年まで毎年欠かさず新年辞に登場したこの単語は、金正日時代の政治・経済・社会政策の核心だ。「苦難の行軍」など困難な時期に軍人が革命的精神を発揮し経済建設をも先導する「革命的軍人精神」を、労働者と党幹部など社会構成員に見習わせるのが骨組みとなる。だが、金委員長が死亡した直後に発表された2012年の新年辞から革命的軍人精神は消えた。金正恩第1書記が追求しようする新しい経済発展の方向にそぐわないからだろう。
では、新年辞を通して見える金正恩第1書記を象徴する政策は何だろうか。まだこれといったものはないようだ。ただし、一つの可能性は今年の新年辞に登場した「経営戦略、企業戦略」に見出すことができそうだ。本来、社会主義における企業は計画当局が割り当てた生産量の達成を最重要視する。だが、市場要素の活用を増やせば社会主義企業も経営戦略を強化しなければならない。「経営戦略」は7・1措置後の2005年、2006年、2010年の共同社説に登場したが、「経済強国建設と人民生活向上」を強調する金第1書記が今後頻繁に使う可能性が高いと考えられる。人民生活向上の成功は市場要素の拡大と重なるためだ。
2014年新年辞に初めて登場した「核・経済並進路線」の場合、その目標のうちの一つが「核保有を通じて国防費を減らし財源を経済に回す」ことで知られている。しかしこの政策は内では発言権が弱まった軍部を宥めるのに成功したかもしらないが、外には北朝鮮への投資を導き出すには限界があると評価される。こうした課題に対する金正恩時代の北朝鮮の選択は果たして何だろうか。
韓国語原文入力:2015.01.11 18:52