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[社説] これが韓国社会の道徳水準なのか

登録:2014-08-31 23:36 修正:2014-09-01 08:24

 子に先立たれる不幸を“惨慽(チャムチョク)”(逆縁)という。セウォル号の事故で子供を失った親たちには、助けられたかも知れない子供を救えなかったという自責の念がつのる。誰よりも痛みが大きく切実に慰めが必要な人々だ。彼らに暖かい一言をかけられずとも、傷口をかきさいて塩を塗るようなことをしてはならない。それが人の道である。

 セウォル号特別法問題の膠着状態が長びき、遺族に対して石つぶてを投げつける者たちが出ている。与野党の対立が全面的に遺族の責任ででもあるかのように卑下し、後ろ指を差す。彼らにとっては、飲食店が賑わないのも、不動産取り引きが暇なのも、景気が回復しないのも全てセウォル号のせい、遺族が譲歩しないせいだという論理だ。遺族が徹底した真相究明に加え、金品を要求したり、補償をもっと寄こせと横車を押しているのではないかと。実に本末転倒した状況認識であり、極めて冷酷で薄情な考え方だ。

 世論から遺族を孤立させ、あざ笑うかのような視線を送らせることに大きく寄与したのが朴槿恵(パク・クネ)大統領だ。朴大統領は地方選挙と補欠選挙後、遺族に対して明らかに距離を置くようになった。一度でも会ってほしいという遺族の要求に、いまだに目をそむけている。

 セウォル号特別法の制定のために乗り出してほしいという求めにも、「国会が決めること」として、一刀のもとに拒否した。相次ぐ公式行事でもセウォル号については一切言及せずに“経済再生”のフレーズだけを繰り返している。意図的にセウォル号と距離をおこうとする意思がかいま見える。

 それだけではない。大統領は遺族たちが大統領府を訪ねて行ったまさにその当日、市民生活行脚を理由に釜山のチャガルチ市場に向かった。遺族が断食して座り込んでいる光化門広場には目もくれずに、映画を観て、ミュージカルを鑑賞するために劇場へ踵を返した。あたかもこのような動静をこれ見よがしに公開し、大統領が関心を注いでいる問題はセウォル号ではないとの“無言の訴え”でもしているように映る。

 国会が開会する1日、遺族はセヌリ党と3回目の会談を続ける予定だが、妥結の見込みは薄い。朴大統領のセウォル号離れが続く限り、セヌリ党も消極的態度に相乗りし続けるだろうし、遺族に向けられている根拠のない蔑視とあざけりも続くだろう。遺族の意向を最大限に受け入れて特別法を作らなければならないと言ったのは、他でもない朴大統領自身であった。その言葉にわずかでも誠意があったのなら、朴大統領はすぐにでも遺族の手を取り、苦しみを分かち合う姿を見せることを願う。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/653512.html 韓国語原文入力:2014/08/31 18:32
訳T.W(1176字)

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