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[特派員コラム] イ・ジュンソクの大韓民国/キル・ユンヒョン

登録:2014-04-24 22:59 修正:2014-04-25 05:56
キル・ユンヒョン東京特派員

 誰もがそうだったろうが、去る一週間は‘暗黒’だった。 東京の街を歩いていても、しばしば焦点を失ったし、知人との取材約束を忘れたし、地下鉄で何度も乗り過ごした。 ぼうぜんと日常を送る間にセウォル号内に閉じ込められて徐々に亡くなって行った生徒たちの怨念の声が聞こえてくるようだった。 今回の事件で韓国社会が直面している集団的な罪の意識は、おそらく私たちの世代の内には解決されないだろう。

 メッセンジャーでコミュニケーションをしているある後輩は「日本人たちはその数多くの災害による悲しみを、どのようにして克服するのか」と尋ねた。 1995年阪神大地震で亡くなった人々は6000人余りで、2011年3・11東日本大地震の時に津波(地震津波)に伴って亡くなった人々は1万5000人余りに達する。 そればかりか、その後に続いた福島第1原発事故で26万7000人が故郷を失い避難生活をしている。

 日本の<NHK>放送では月~木曜日午前10時50分に<あの日、わたしは>という5分程度の短いドキュメンタリーを放映している。 去る東日本大地震で生き残った人々が直接出てきて、お互いの経験を分かち合う放送だ。内容は特別なものではない。 ある日は事故ですべての通信が途絶えた状況で、各地に散ったタクシー運転手たちが会社の無線機を利用して各地の情報を地方自治体側に伝達したという事情を紹介して、また別の日には津波を避けて小さな船に乗り漂流していた若い学生が水中に落ちた別の男性を救ったエピソードが登場する。 助けられて既に社会に復帰した男性は、カメラの前で「その時、出会っていなければどうなったかと考える」としてため息を吐き、学生は3年前に自分を襲った海を眺めて「(彼を助けて2人になって)安心しました。 一人では不安だったから」と話す。‘凄惨な災害を防ぐことはできなかったが、お互いが少しずつ知恵を絞って、助け合って社会の決定的な崩壊を防いだ。’日本人たちはそのように言ってお互いを慰めているようだ。

 もどかしい気持ちで呼び出したある日本人記者も、色々な話をしてくれた。 彼は経験15年程度の記者生活の中で、最も記憶に残る事件として関西地方の兵庫県で起きた‘福知山線脱線事故’を挙げた。 2005年4月25日、23才だったという若い機関士が走らせた列車がカーブを曲がる際に速度に負けて脱線し、鉄道周辺の建物に衝突した。 その事件で機関士本人と乗客を含め107人が亡くなり、562人が負傷した。 当時の写真を見ると、列車がどれほどの速い速度で当たったのか、機関士が乗った先頭車両は建物内に押し込まれて形が分からなくなっていた。事故が出勤時間帯に起きたせいで被害ははるかに大きくなったという。

 彼は「現在、韓国でそうであるように、当時日本でもすべての責任を列車の機関士に押しつける流れがあった」と話した。 それと共に「気持ちは分かるが、それでは駄目だ」と話した。 すべての責任を一人の過ちに押しつければ、社会が何も学べないためだ。 刑事責任を問う‘捜査’も必要だが、さらに重要なのは事故の原因を明らかにして再発を防ぐ‘調査’だということだ。

 セウォル号の船長であるイ・ジュンソクは、韓国社会で特異な存在だろうか。 あえて言えば、全てを適当に他人のせいにして責任を回避する大韓民国の非常に平均的な人間像に近いだろう。 イ・ジュンソクは、彼を‘殺人者’と呼んで自身の責任を回避している私たち皆の中に潜んでいる。

 ていねいな慰労にも関わらず悲しみは去らなかった。 今後この事故から我々が何を学ぶかは、ひたすら韓国社会の持分だ。 徐々に泣き止んで、目を真っすぐに開けて、徹底した調査を通じて私たちがどれほど醜悪な人々なのかを確認しなければならない。 そうしたところで生徒たちが帰って来はしないだろうが、必ずそうしなければならない。

キル・ユンヒョン東京特派員 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/634384.html 韓国語原文入力:2014/04/24 19:09
訳J.S(1779字)

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