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[ハンギョレ21] 最初から最後まで間違えた

登録:2014-04-21 21:55 修正:2014-04-22 06:39
事故発生の最初から遡って調べた…大型惨事が必然だった8つの理由

済州(チェジュ)への帰村を準備しているイ・某(39)氏は、仁川(インチョン)~済州(チェジュ)間の旅客船にしばしば身を乗せる。 昨年2月から運航し始めたセウォル号にも二三度乗ったことがある。 旅客船を利用するたびに、彼はただの一度も事故時の待避要領とか救助用品使用法の案内を受けたことがないと話した。 海洋警察庁が告示した‘旅客船安全管理指針’には次の通り書いてある。 "船長は出港後、可及的速やかにモニターおよび船内放送施設を利用したり船員の直接示範等を通じて、気象状態、出港前点検の結果内容・救命胴衣使用法などを知らせなければならない。" それだけではない。 旅客室・通路など乗客が見やすい場所にライフジャケット着用法などを掲示しなければならない。 このような指針は紙くず扱いだった。 政府は管理・監督責任を全うしていなかった。 イ氏はまたセウォル号に乗る度に、船室内の騒音を避けて貨物室にあった自分の車中にいたと話した。 安全のために乗客を貨物室に入らせてはならない。 しかしイ氏が貨物室に入ることを制止する人はいなかった。

 去る4月16日午前、仁川から済州島に向かった旅客船セウォル号が全南(チョンナム)珍道(チンド)近海で沈没した。 大型事故が起きる度に接することになる見慣れた状況が再演された。 旅客船の責任を負うべき船長は‘1号’で脱出し、事故に備えて用意された安全装置は一つも作動しなかった。 マニュアルも、実行力も不在な韓国社会の危機対応の現住所がそっくりあらわれた。 <ハンギョレ21>は旅客船が沈没した最初の時間に立ち戻って、大型惨事が必然だった理由を逐一調べた。 _編集者

4月16日朝、仁川から済州島に向かった旅客船セウォルが全南珍道近海で沈没した。沈没した旅客船から脱出した乗客を海洋警察などが救助している。

 濃い霧が立ちこめた4月16日朝、旅客船セウォル号は全南珍道、観梅島(クヮンメド)付近を通過していた。 前日夜9時頃、乗客476人を乗せて仁川を出発したセウォル号は済州島に向かう途中だった。 朝7時30分から3階食堂で朝食が始まった。 済州島に修学旅行に行く京畿道(キョンギド)安山(アンサン)檀園高等学校の生徒たちは1組から順に列を作った。 早く朝食を食べた数人の生徒たちは甲板に出て海を見て、デジカメで自分撮りをしていた。 残りの生徒たちは4階の客室にいた。

その後に起きる無残な事故を全く知らない4月16日朝、セウォル号の乗客たちが穏やかに話を交わしている。 生存者提供

 遅れを挽回するため速度を上げて

朝8時の交替時間に3等航海士のパク・某(25・女)氏が操舵室の舵を取った。 パク氏は入社して4ヶ月にしかならない‘新参’だ。 船舶職員法施行令を見れば、セウォル号(6825t)のような3千t級以上の沿岸旅客船は、1等または2等航海士が船長を務めることになっている。だが安全な区間では3等航海士に船長がキーを任せることもできる。 問題は旅客船が‘孟骨(メンゴル)水道’(珍道郡(チンドグン)鳥島面(チョドミョン)孟骨島と巨次島(コチャド)間の海域)という危険な地域を通過していたという点だ。 「島の間を縫って走らなければならず、潮流が速く運航の難所だ。 船長や経歴の長い航海士が見守らなければならなかった。」(操舵手 オ・某氏)しかし当時、船長のイ・ジュンソク(69)氏は操舵室にいなかった。イ船長は3~4時間ごとに状況を点検しに暫し立ち寄っただけだ。 事実、船長のイ氏も‘代理’であった。セウォル号の本来の船長は1等航海士のシン・某(47)氏であった。 だが、シン氏が休暇に入ると2等航海士であるイ船長がこの日の旅客船運航を代行した。

 旅客船の速度も速かった。 当時の速度は19ノット(時速36km)で、5日前(4月11日)より2ノット速かった。 仁川~済州間の正常運行時間は13時間30分。 予定通りであればこの日午前10時30分頃には済州港に着いている筈だった。 だが前日の濃霧のために出発が2時間30分遅れた上に、延着まで予告されていた状態であった。 旅客船は少しでも早く到着しようとしていた。

1. 6000t級の旅客船を4ヶ月の新参が一人で、それも高速で運航した。運航も侮れない区間だった。 初歩運転者が大関嶺(テグァルリョン)の峠を100kmで走るのと違わない。 事故が発生する可能性が非常に高かった。

 檀園高2年9組キム・某(17)さんは、食堂でご飯を食べていた。船が揺れたが波のためだと思った。 ところが突然に船が急激に傾き始めた。 食卓上の食器が落ちて、友達が大声を張り上げた。 甲板に出ていた乗客パク・某(57)氏は‘ドン’という音を聞いた。まもなく船が傾いて貨物があふれ出てきた。大きい音に驚いた檀園高の生徒たちが朝8時52分、全南消防本部に最初の遭難申告をした。

 旅客船は午前8時48分、突然航路を南西側(右側)にほとんど110度曲げた。 この時、貨物が反対側の左に寄せられ船の左側部分が沈んだ。4分後の8時52分には再び北に一層鋭く変針した。 船内の貨物は更に深刻に偏った。 午前8時55分、海上管制センター済州センターに緊急無電を打った。 "本船(セウォル号)が危険です。今、船が傾いています。 動くことはできません。 早く来てください。" "人命被害はありませんか。" 管制センターが尋ねた。 "確認できません。船体が傾いていて移動できません。" "人命、ライフジャケットを確認し‘退船’(船から下りる)するかもしれないので準備をしてください。"

左に傾いて海に沈むセウォル号上で、からだの重心をとるために渾身の力をふりしぼる乗客の姿。 生存者提供

最初の遭難申告者は乗客

2. 最初の遭難申告者は乗客だった。 船員の緊急無電はそれより3分も遅かった。 無電内容もめちゃくちゃだった。乗客の安全を最優先に考慮することが当然なのに人命被害を確認できないと言った。 非常状況対応マニュアルである‘セウォル号運営管理規定’とも正面から反している。 規定を見れば、非常状況が発生した時 "人命が最優先だ" とされている。

 午前9時13分、旅客船は正反対の案内放送を始めた。 "安心してください。 動かずに部屋の中で待っていてください。" ‘乗客を安心させる放送をしろ’という上層部ラインの指示のためだった。 以後30分間 "部屋の中でじっとしていなさい" という同じ放送が7回も繰り返された。 "ライフジャケットを着なさい。 救命艇が向かっているそうです" という内容もあったが、退船命令はなかった。 旅客船に海水が半分以上上がっていた。 22才の乗務員パク・ジヨン(死亡)氏が自ら判断して案内放送をした。 "旅客船の沈没が差し迫ったので乗客は海に飛び降りてください。" 事故発生から1時間がはるかに過ぎた午前10時15分だった。

3. 傾いて沈む船で船室に留まっているのは危険千万なことだ。 海上専門家たちは一様に "浸水が確認されたならば、乗客を全員甲板で待避させた後、救命艇を利用して脱出させることが基本" と指摘する。 海外の主要船会社のマニュアルはそうなっている。 甲板にライフジャケットと救命艇が準備されていて、乗客を早く集めるほど生存可能性が高まるためだ。 それでもセウォル号の乗務員が "部屋の中にじっとしていなさい" という指針を下したのは、対応訓練が正しく行われていなかったためだ。 航海士出身の海運業界関係者は 「船員が乗る船ではチームを組んで‘退船訓練’をするが、旅客船の場合はそれが容易でないだろう」と話した。

 誤った案内放送をただ信じた大多数の乗客は船室にそのまま留まっていた。 急に室内灯までが消えた。 暗い闇に包まれた。 不安な心を家族だけに伝える。 檀園高2年のシン・某(17)君は母親に携帯メールを送った。 "お母さん、話せないかと思うので前もって送っておく。 愛してる。" キム・某(17)君も父親に電話をかけた。 "お父さん、船が沈もうとしている。 ライフジャケットを着てベッドに横になっている。 生きて会います。" 涙まじりに話す音声を残して電話が切れた。 パク・某(17)君も母親に電話して 「船が半分ぐらい傾いて何も見えません。私はまだライフジャケットも着ていません」と話した。 案内放送にきちんと従った右側船室の生徒たちは、ほとんどが脱出に失敗した。

誰も見たことがないマニュアル

4. 乗客が誤った指示に服従した理由も船員と同じだ。 危機対応訓練を受けたことがないためだ。 西海(ソヘ)フェリー号惨事20周年を迎えて、昨年7月に韓国海運組合はライフジャケット着用法等を含むマニュアルを製作し、沿岸旅客船180余隻に配布した。 だが、その安全マニュアルをセウォル号で見たという生存者は現われなかった。 ほとんどがライフジャケットの位置さえ知らなかった。

 それが当然であろうか。 フェイスブックに上がってきたクルーズ遊覧船の経験談を聞いてみよう。 "ヴェネツィアで9万2400t級の’ミュジカ’号に乗った。 船員まで含めて3千人が乗船する船だった。 搭乗したすべての乗客は必ず待避訓練を受けなければならなかった。 待避訓練が始まれば乗客は客室に‘きちんと’保管されたライフジャケットを着用して、客室別に指定された甲板付近の1次集結地に移動する。 そこで待避手続きに関する映像を上映した。

 船員がライフジャケット着用法、救命艇搭乗法などを示範的に見せた。非常訓練を終えたことを乗客は義務的に確認を受けなければならない。 もし参加しなければ強制的に下船させるためだ。"

船長、乗務員だと思われるセウォル号搭乗者が、海上警察の救助船で脱出する姿。 ソウル地方海洋警察庁 提供

世宗(セジョン)市政府世宗庁舎の海洋水産部に用意された中央事故収拾本部で職員が "生徒全員救助" という‘誤報’を見ている。ソウル地方海洋警察庁提供

 午前9時30分、海上警察の艦艇とヘリコプターが到着し、救助作業を始めた。群青色の制服を着た10人が最初に旅客船を脱出した。船長イ氏を含むセウォル号の船員たちだった。 彼らは最初の‘生存者’として記録された。 他の船員は‘職員’だと明らかにしたが、船長は職業欄に‘一般人’と書いた。彼等が全南珍島のペンモク港に到着した時刻は10時30分だった。 旅客船が完全に転覆した時間より1分早かった。 イ氏は珍島韓国病院に運ばれ治療を受けた。 その時、海水にぬれた5万ウォンの紙幣を治療室のオンドルベッドで乾かしている姿が言論に捉えられた。 翌日(4月17日)午前、全南木浦(モクポ)海洋警察署に被疑者身分で出頭したイ氏は 「乗客と被害者の家族に申し訳ない」と話した。 だが、警察の調査では‘知らぬ存ぜぬ’で一貫した。 事故原因については 「船がグラグラした後に突然沈み始めた」と話した。 脱出した理由を尋ねると、「船が沈み始め救助隊が船首に来たので焦って乗った」と話した。

5. 船長の逃走はマニュアルはもちろん現行法違反だ。船員法第10条(船長の在船義務)は "船長は旅客が全員下りる時まで船舶を離れてはならない" とされている。 第11条は "船長は船舶に急迫した危険がある時には、救助に必要な措置を尽くさなければならない" と規定している。 危険時に船長が人命を救助する責任を負うという意味だ。 在船義務違反には処罰条項がないが、第11条に違反すれば5年以下の懲役に処することができる。 検察警察合同捜査本部は4月18日、イ氏など3人に対して拘束令状を請求した。 船長の任務を尽くさずに乗客を負傷または死亡させたという理由だ。

 左に傾いた旅客船は午前9時40分に沈み始めた。‘阿鼻叫喚’の事故現場で、乗客は一歩遅れて海に飛び込んだが救命艇の姿はなかった。 セウォル号の甲板の両側の白い円筒形カプセル内に救命艇46隻が装着されている。この内、僅か一隻だけが浸水事故以後に広げられた。こうした場合、船員が人為的に浮かべなければならないが、そのような措置は取られなかった。

海上クレーンは12時間後に出発

6. 救命艇が‘非正常’だったのか、あるいは単純に船員が作動させなかっただけかは確認する術がない。 去る2月、セウォル号に備えられた安全装備を点検した関係者は「救命イカダ・降下式搭乗装置・離脱器などを検査したが、結果は異常なしだった。 船員たちが作動させなかったのだろう」と話した。 別の海運業界関係者は「船舶で実際の事故状況に備えて救命艇を海に落として展開させる実習まではやらない。 事故が起きて初めて救命艇を展開する」と話した。 救命艇が正常であっても、それを適切に使用できる訓練がきちんと行われていたかは分からない。 一部の船舶では航海中に救命艇が落ちないように綱で縛っておいたりもしている。 その場合には、急に悪化した状況下で綱を切らなければ救命艇を使うことはできない。

 午前10時31分に旅客船が転覆する時まで救助作戦は船舶周辺だけで行われた。 とても冷たい海水中に傾いている旅客船内に300人近くが残っているのに、海上警察の救助は消極的で受動的だった。 状況を指揮する‘管制塔’の役割を果たせなかった。船の外に出てきた人々をヘリコプターやボートに引き上げるのみだった。より多くの人が残っている旅客船内部には進入しなかった。 訓練を受けて装備を備えた海上警察特攻隊が現場にいなかったためだ。 生存者ホ・某(51)氏は「事故初期の救助活動に投入された装備と人材がひどく不足していた」と話した。 当時、海軍・消防・海上警察などはヘリコプター16機、船舶24隻が出動したと明らかにした。

 西海(ソヘ)地方警察庁の海上警察特攻隊7人は、午前9時30分から木浦港に待機していたが、10時11分に移動を始めた。船体進入を初めて試みたのは旅客船が転覆して1時間近く過ぎた-午前11時24分-だった。 しかしこれも強い潮流のせいで16分間で中断された。 -午後-になって救助ヘリコプター(28機),船舶(55隻)の数が2倍に増える。大型惨事の可能性が提起されてから2時間後であった。 その上、生存者救助にとって極めて重要な装備である海上クレーンは事故発生から12時間後になって出発した。海上警察が船会社側に要請責任を任せたためだ。‘クレーン使用による負担’を抱え込まないための措置だ。保険料と手続きを海上警察が固守している間、生存者の救助は緩慢だった。

7. 事故が発生すれば‘最悪’でなく‘最善’の状況を想定する。 本能的に人間はそうだ。 そのたけ最悪を考える訓練が常に必要だ。 このような訓練をしていなければ、楽観論におぼれ決定的瞬間を逃すことになる。 ‘セウォル号運営管理規定’にも非常状況が発生した時 "事態が楽観的であっても最悪の事態を念頭に置き行動しなさい" とされている。 船舶の沈没を前にして深刻な状況であることを察していながら、海上警察は積極的に動かなかった。 同様に事故収拾に責任を負わなければならない安全行政部は午前中を通じて‘乗客の大部分が救助された’と楽観していた。 救助者数を368人と発表し、164人に訂正しもした。 これらすべてのことは危機対応マニュアルを熟知させる訓練を常時行っていなかったために起きた。

当然な話が成り立つ世の中はどこに

8. さらに根本的な問題は、政府が安全に対する考慮をせずに規制を緩和する方向にのみ政策を展開したためだ。 2009年、李明博政府は海上運送事業法施行規則を改正し、20年で縛られていた旅客船の使用年数制限を最長30年に変更した。 旅客船の使用年限が延びれば年間200億ウォン程の費用削減効果が予想されるということだ。

 このような政策変更により清海鎮(チョンヘジン)海運は、2012年当時船齢が18年になったセウォル号を買収したものと見られる。 2011年には旅客船の内で船齢が25年以上の船は3隻のみだったが、2013年には6隻に増えた。その半分以上が資本金10億ウォン未満の零細な旅客船企業等が保有したもので、経営収支の悪化などを理由に新しい旅客船を確保していない状況だ。 低運賃を口実に、安全運航に対する関心も不足している。 国土海洋部が2008年9月に出した‘沿岸旅客船の使用年数制限制度改善研究最終報告書’には、このような文章が書かれている。 "政府は民間経済活性化を図るために、各種の規制を緩和する政策を推進している。 しかし1970年代以後、全世界的に人間の安全と環境を保護するための規制は強化される流れだ。 安全管理が定着すれば船主の便益をはじめ国民の安全便益もまた増大するだろう。" このように当然な話が、当然に成り立つ世の中は相変らず遠い。

チョン・ウンジュ記者 ejung@hani.co.kr オム・ジウォン記者 umkija@hani.co.kr パク・ヒョンジョン記者 saram@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/633818.html 韓国語原文入力:2014/04/21 19:28
訳J.S(7194字)

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