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[朝の陽射し] <朝鮮日報> ‘チェ・ドンウク報道’遺憾/オ・テギュ

登録:2013-10-04 20:08 修正:2013-10-05 07:19
オ・テギュ論説委員

 <朝鮮日報>の‘チェ・ドンウク検察総長婚外子’最初の報道とその後に起きたことは、報道の政治的背景だけでなく、報道の水位に対する真剣な問いを提起している。

 その報道が口実となって結果的にチェ総長が追い出されたので、朝鮮日報としてはとにかく大きなことをしたことにはなる。 だが、それをジャーナリズムの勝利と呼ぶことはできないだろう。 事実の錘が朝鮮側に傾いたからといっても同じことだ。 それほど朝鮮の報道は‘事実を基礎に透明に真実を正していく’べきジャーナリズムの基本原則に外れる点が多い。

 言論界に入ったばかりの修習記者にでも指摘できる弱点は、1面トップ記事を報道しながら、当事者であるチェ総長や彼の内縁の女と言うイム・某氏の反論さえ聞かなかったことだ。 しかも大統領府の反対を押し切って国家情報院のコメント工作を選挙法違反で起訴した彼を大統領府が邪魔者として感じているという事実が広く知られている微妙な時点での報道であった。 朝鮮が最初の報道で‘明らかになった’などの断定的表現を使ったが、婚外子の有無を確認する方法は当事者確認や遺伝子検査以外にはないにも関わらずだ。 ‘数回電話をかけたが受けなかった’という常套句さえなかったのは、その記事が当初から無慈悲な‘狙い撃ち’だったことを意味する。

 次に出てくる疑問は価値判断に関することだ。 チェ総長が訴状で表現したように "確認されてもなく、職務関連性もない私生活領域" を記事化することができるかという問題だ。 職務関連が少ない公人の私生活に寛大なフランスや日本の例に照らしてみれば確かに今回の報道は行きすぎだ。 だが、公職者に対する期待水準と文化が違う我が国で、そのような国の基準を同じように適用することは無理だ。

 公職者の倫理に敏感な我が国の風土を考慮すれば、チェ総長の問題は報道機関の判断により十分に報道できる事案だ。 ただし、その定規が状況によって変わってはならない。 しかし朝鮮は婚外子問題で訴訟まで行ったイ・マンウィ前環境部長官の時は‘何が問題か’と彼を積極的に庇っておき、チェ総長に対しては自身が疑惑を提起しておいて大問題だと大げさに騒いだ。 典型的なゴムひも定規だ。

 朝鮮はこの報道が出された後、他の報道機関に対して、事実確認より‘大統領府・国家情報院情報提供説’‘政権と密室合作説’等の報道背景に取材を集中していると不満を吐露した。 キム・チャンギュン政治担当エディター兼副局長は‘朝鮮日報陰謀説の真実’(9月18日付)というコラムで、この報道が "朴槿恵(パク・クネ)政府高位要人の間の高空プレーではなく、取材記者が何週間もかけて隅々を暴いた歩兵戦の結果" と反論し、28日付社説では "事実確認は後まわしにして‘陰謀説’のような実体もない政治攻防中継放送をしたり、自ら陰謀説を創作することに終始した" と非難した。

 他の言論が朝鮮の指摘を傾聴する部分も確かにある。 報道で‘解釈より事実が重要だ’ということは報道従事者としていくら聞いても過ぎることはない言葉だ。

 しかし朝鮮が責任ある言論であるならば、他社を非難する前に自社に提起されている疑問に誠実に答える必要がある。 最初の端緒をどこで得たのかは秘密取材源保護次元で明らかにできないとしても、その後に事実関係確認のために具体的にどんな努力と経過を経たのかは最大限透明に説明するのが正道だ。 このような過程が霧の中に隠れているので陰謀説や合作論が出回るわけだ。 今からでも遅くない。 編集責任者の詳しい‘チェ・ドンウク取材顛末記’を見たい。 それがこういう類の疑惑報道と関連して最近国際的に確立された‘透明性原則’だ。

オ・テギュ論説委員フェイスブック @ohtak5

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/605665.html 韓国語原文入力:2013/10/04 11:13
訳J.S(1687字)

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