"君がタリバンの銃に撃たれたことは胸が痛むことだったよ。だが、君が子供たちの教育権を要求したことがタリバンにとってどれほど大きな傷を与えるかを知っているかい? したがって戦争をしているタリバンが君に罰を下したのはどうしようもない事だったのだよ。" これは謝罪か弁解か、はたまた詭弁なのか?
最近パキスタンの一人の男が書いた手紙が話題になっている。 名前はアドゥナン ラシッド、職業はタリバン反乱軍指導者。 "極めて慈悲深く尊いアラーの名前で、アドゥナン ラシッドがマラルラ ユサプジャイに送る手紙" という公開書簡で、彼は昨年タリバンに銃撃されて死ぬところだったマラルラに若干の同情を表わした。 知ってのとおりマラルラは女の子にも学校へ行く権利があるというキャンペーンを行い、タリバンの憎しみを買って生死の岐路に立たされた。 奇跡的に生き返ったこのしっかり者で早熟な少女は先日16才の誕生日を迎え、国連でパン・ギムン総長が参加した中で全世界のすべての子供たちが無償教育を受けられるようにすべきだという演説をした。 ラシッドは、タリバンがマラルラを殺そうとしたことは衝撃的なことであったし自分がマラルラに身辺に気を付けるようあらかじめ警告できなかったことを自ら叱責するようすで話す。 だが、すぐに次のような奇怪な文章が続く。 "マラルラ、君と国連ではまるでタリバンが子供たちを教育することに反対しているので君を撃ったという形で話したりするだろう。 だが、ここで問題の核心は教育ではない。 君の宣伝活動、外部の指図を受けて君の舌が吐きだしたその行動がまさに問題の核心なんだよ。 ペンは刃物より強いということはよく知っているだろう? ペンは刃物よりさらに鋭いからね。 刃物で刺された傷は癒えるが、ペンで刺された傷は絶対に良くならないよね。 だから戦争では刃物よりペンがはるかに害悪を及ぼすものだよ。" ラシッドの手紙を要約するとこのようになる。 "君がタリバンの銃に撃たれたことは胸が痛むことだったよ。 だが、君が子供たちの教育権を要求したことがタリバンにとってどれほど大きな傷を与えるかを知っているかい? したがって戦争をしているタリバンが君に罰を下したのはどうしようもない事だったのだよ。" これは謝罪か弁解か、はたまた詭弁なのか? 山間辺境の地の十代の少女が学校に通う権利を主張したことが、その子供を殺してもかまわない程に、そんな許されざる罪を犯したのだろうか? いったい人間精神のどんな回路を通じれば、こういう考えが出てくるのだろうか? タリバンは女の子の教育を特に嫌うと言うから、この事件ではジェンダー次元の分析を欠かすことはできない。 また、ジェンダーの問題は昔も今も人権問題において死活的な節になっている。 女性人権の侵害は時代と空間を跳び越えてキメラのように変わって現れる、歴史的であり現在進行形である巨大な抑圧であるためだ。
私たちはラシッドの主張に現れる徹底してよじれた撞着的理由とその再現的特性に注目しなければならない。 それはイスラム原理主義のような問題のみに還元させることはできない、支配-従属の権力構造の中に内蔵されたよじれたある種の認識に基づいた共通の現象であるためだ。 偉大な霊性家であったトーマス マトンが戦争に対してキリスト教徒が抱いた複合的な感情を皮肉りながら挙げた事例がある。 中世ヨーロッパの騎士だった‘敬虔者’ロベルトゥスはむやみに戦争を行わず厳格な条件の下でのみ戦いますと誓文を残した。 そこにこのような一節が出てくる。 "…私は独りで旅する貴婦人や、その女婢、または、未亡人や修道女に対して彼女らが私に先に文句を付けない限りは困らせません。" ロベルトゥスの誓約を要約するとこのようになる。 "他人を害することは悪い。他人が私を先に害する前に、私が他人を先に害してはならない。 したがって、女が騎士を先に害する前に、騎士が彼女を先に害してはならない。 だが、女が騎士を先に害するならば、騎士が彼女を害することは正当だ。" ケチの付けようがない形式論理だ。 しかし一人で遠い道を行く婦人や未亡人や修道女が剣を帯びた騎士にとうてい黙過できない程の文句をつけて、男が涙ぐみながらその女を害するほかない状況というのは、現実の中でいったい妥当な話だろうか? タリバンの司令官ラシッドと騎士ロベルトゥスの頭脳回路が千年の歳月、そして全く異なる文化圏を跳び越えてどうしてこれほどそっくり似ているのだろうか! 女性を困らせる論理と反平和的な思考が内在的に連結されていることも鳥肌が立つ程に似ていた。 私たちの社会はこのような形の考え方と関係ないと言えるだろうか? マラルラは国連演説で女の子だけでなく‘全世界のすべての子供たち’の教育権を力説する。 マラルラの成熟した考えと二人の男の‘完ぺきな形式論理’の間に置かれている深淵の距離はいかばかりか?
エミリーが病院で生死の境をさまよっている間に匿名の手紙が一通配達された。 エミリーは死んでも当然な女なのに、生きて一生苦痛を味わうことを願っていると悪罵を浴びせ、投票権を要求する女は精神病院に閉じ込めなければならないと言った。 手紙差出人の精神構造がラシッドやロベルトゥスのそれと、どうしてそんなに似ているのだろうか。
去る6月8日は世界女性人権運動史で忘れられない日だった。 英国の女性投票権活動家エミリー・デイヴィソンの逝去100周年記念日だった。 エミリーは女性運動の中でも戦闘的なことで有名だった。 デモ行進を組織して郵便受けに火を付け、男性政治家の家に石を投げるなど果敢な直接行動を先頭に立って実践した。 投獄された後、断食闘争を行って人類史上初めて刑務所側が強制給食を実施せざるを得なかった程に信念の人だった。 鼻の穴からチューブを入れて強制的に給食を施行するのは、その後全世界的に権力者の常連メニューになった。 北アイルランドでアイルランド共和国軍(IRA)囚人たち、最近ではグアンタナモに収監されたアルカイダ容疑者も強制給食に遭った。 エミリーは1913年6月4日、英国東南部にあるサリー州エプソムダウンズで開かれるエプソム ダービー競馬大会場に現れる。 エプソム ダービは今でも毎年6月に最高の競走馬が出場する有名な競技大会だ。 国王の愛馬をはじめとする数十頭の競走馬が2423メートルを休まずに走り勝敗を分けるスペクタクルを演出する。 その日の競技途中、エミリーが観覧席から突然トラックに飛び込み、ジョージ5世の競走馬であるアンマーのひづめに蹴られて倒れた。 あっという間のできごとだった。 事故当時、エミリーはコートの中に女性社会政治連盟(WSPU)旗を巻いていたし、手にも旗を持っていた。 後日、人々はエミリーが連盟旗をアンマーに付けようとしたのだと推測した。 病院に運ばれたエミリーは4日間昏睡状態に陥り死亡した。 公式死因は頭蓋骨骨折だった。 6月14日、数千名が参加した葬儀場ではエミリーが持っていた三色旗が翻った。 その後、尊厳の紫色、純粋の白色、希望の緑色は全世界女性運動の象徴になり、エミリーの三色旗は1958年オルダーマストンで繰り広げられた反核運動行進でもその先頭を守った。 エミリーが命をかけて追求した女性投票権は、今日の目で見ればあまりにも常識的な要求だが、当時の男性たちには話にもならないゴリ押しであった。 エミリーが病院で生死の境をさまよっている間に匿名の手紙が一通配達された。 詭弁で埋め尽くされた憎しみの手紙だった。 エミリーは死んでも当然な女なのに、生きて一生苦痛を味わうことを願っていると悪罵を浴びせ、投票権を要求する女は精神病院に閉じ込めなければならないと言った。 手紙差出人の精神構造がラシッドやロベルトゥスのそれとどうしてそんなに似ているのだろうか。
女性人権運動は人権発展史で理論と実際の両面で決定的な影響を及ぼした。 まず人権のいわゆる‘普遍性’概念を全く別の形で想像し始める契機になった。 人権は、世の中のすべての人権侵害が女性を含むすべての弱者に同様な論理構造の中で加えられるという点で普遍的だ。 色々な口実を挙げて弱者集団には完全な人権を認めないとする巧妙な回避と妨害、すなわち抑圧論理の普遍性が女性人権運動を通じて天下に暴露されたのだ。 一歩進んで、抑圧されるすべての人は少しでもさらに自由な状態を夢見て、それを求めるという点でも人権は普遍的だ。 換言すれば、抑圧の論理も普遍的で抵抗の論理も普遍的だ。 女性の人権に対する問題意識は、囚人の処遇、障害者の人権、反核運動、少数者の人権とも自然につながる。 過去の人権運動が知識人や思想家が中心となったエリート主導型の人権運動だとすれば、女性人権運動以後の人権運動は真の意味で民衆主導型の人権運動になった。 一歩進んで、女性人権運動は何らかの権利の法的・契約的資格が重要なのでなく、権利の実質的実現が重要だという点を想起させてくれる。 例えば、女性投票権が確保されたからと言って、ジェンダー平等が完全に実現されたのだろうか? 投票権資格を確保することも重要だが、その内容を満たすことがさらに困難でさらに重要だという話だ。 法的権利資格の確保に留まらず、実質的権利実現の側にすべての人権運動の焦点が変わらなければならないという主張が、女性人権運動を契機に大勢を占めることになった。
チョ・ヒョジェ聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授