NNL(北方境界線)に関連した故ノ・ムヒョン前大統領の発言を巡って攻防が熱い。 だが、その攻防は政略的で枝葉的な感じだ。 本質はそっちのけになっている。 どのようにすれば論争を終わらせ、西海(ソヘ)を南北互恵的なブルーオーシャンにすることができるかと思案する姿は見られない。
数年前の延坪(ヨンピョン)海戦の時に銃弾に当たり穴が空いたところを赤いペンキで塗って、文字どおり血の海が連想される大鷲357艦に乗った。 故ハン・ジュホ准尉の葬儀室で父親を天安(チョナン)艦と共に海に埋められた息子に会った。 NLLは守られねばならないと考える。 しかし、NLLのイシューに埋もれて西海(ソヘ)がいつまで血の海として、理念の海として置かれなければならないのか、苦々しい。
仁川(インチョン)港は2008年に比べて2011年度の南北間物流量が何と91%も減少した。農産物程度だけが取り扱われるようになったのだ。 かつて南北経済協力にともなう物流が増えて、2004年5月「南北海運合意書」が締結された。 南側の仁川・釜山・束草(ソクチョ)などと北側の南浦(ナンポ)・清津(チョンジン)・羅津(ナジン)などを結ぶ直航路が開設されて、それまで第3国の国籍船だけが運航していた航路に南北の国籍船が運航できるようになった。 3年後の2007年には船舶が南北を1万1891回行き来して2511万トンも運んだ。 しかし6年経った2010年5月から、わが国政府は天安(チョナン)艦事件に対応して北の船舶の南側海域運航全面不許可、南北交易中断、そして人道的次元の対北支援事業の原則的保留などの措置を取り、現在に至っている。
仁川港は船舶運航が最も頻繁で最も物量の多い対北物流の拠点だった。 平壌(ピョンヤン)の関門である南浦港(ナンポハン)は西海閘門を通じて3万トン級の船舶が着岸出来るが、首都圏の関門である仁川内港に匹敵するパートナー港だ。 アジア最大の平穏で安全な水域として船を着けて24時間荷物を積み下ろしできる仁川内港を利用するならば、北の中心である中小型船舶を利用した西海の港の間の短距離輸送が活性化するだろう。 南北首脳間対話録に登場した故チョン・モンホン現代グループ会長が使用権を要請した開城(ケソン)の関門である海州港(ヘジュハン)も、仁川と隣接していて陸路が負担になる北にとって対案となり得る。
北は南北対峙のために東西の海岸が分離されていて、大韓海峡の利用が難しい。 また、中国とロシアとの交易が大部分鉄道で成り立っていて、ロシア沿海地区と中国上海地区の航路以外には遠洋輸送が低調だ。 しかし海運を効率的な物流産業に育成しようとする指導部の意志は強い。 したがって、南浦(ナムポ)と連結された仁川港を北の積み替え港として活用したり、北の港湾を開発することに助力したりといった方案も、慎重に提案してみてもよいのではないか。
現在、金剛山(クムガンサン)・開城(ケソン)工業団地などへの陸路が封鎖されている。 この時局に取り上げ論じることはちょっとまずいかもしれないが、海の道だけでも開いて息をつけるようにできないかと願う。 東ドイツと西ドイツの統一はある一瞬に実現したのではなく、粘り強い機能主義的接近が功を奏したものであることは広く知られた事実だ。 物流が盛んになり、経済的な交流が活性化し軌道に乗れば、あえて人為的な政策を繰り広げなくとも西海は友好協力の象徴となるだろう。 西海は汗(訳注:汗は努力を意味する)の海、そして経済の海となるべきだと考える。
ペ・ジュンヨン仁川(インチョン)港湾物流協会会長