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[特派員コラム] デマの生命力/ソン・ヨンチョル

ソン・ヨンチョル北京特派員

 記者にとっては、誤報はできるなら向き合いたくない単語だ。新聞の公的信用力と読者の信頼を落とすという壮大な話まで行くこともない。すぐに記者自身の背筋が寒くなった後、後頭部が引きつる。「正論直筆」と同じぐらい「正論速筆」を要求する我々マスコミの特性上、特ダネと誤報はその瞬間には紙一重の差もない時がある。

 最近、中国マスコミで数回の釈然としない「誤報」が目を引いた。先月末、ある香港マスコミは、王岐山・中国共産党中央規律検査委員会(規律委)書記兼政治局常務委員の発言を間違って伝えたと読者に謝罪した。このメディアは、王書記が5月、規律委会議で「長官級以上の高位職公務員たちに、留学中の子供がいれば1年以内に帰国させよ」と指示したと伝えた。この報道は、英国BBCなど外信はもちろん、中国国営の新華社も引用した。しかし、報道の2日後、このメディアは「このニュースが広く拡散するのを憂慮した検閲当局の指示により」、記事を取り消して訂正謝罪文を掲載した。

 昆明でも地方政府が一部マスコミの報道を誤報だとして反論する事態が起きた。昆明では、大型国有エネルギー企業の中国石油天然ガス集団公司(CNPC)の化学工場建設計画に反対する大規模集会が開かれたことがある。市当局は、集会参加者の多数が「NO PX(有毒物質であるパラキシレンの略)」という反対スローガンを書いたマスクを着用すると、すぐに販売を禁止して、商店で購入する際には身分を明らかにせよとの粗雑な対応をして、袋叩きにされた。そうした当局が、「反対スローガンを書くことができる白いTシャツも禁止させた」という報道が出てくると、「デマであり誤報」と反論した。1ヶ月前にさかのぼれば、習近平主席が北京市内でタクシーに乗って運転手に「一帆風順」というサインもプレゼントしたと報道した大公報が、詳しい説明抜きで、これを誤報だと訂正した。

 しかし、これらの記事をよく読んでみると、誤報として済ませるには納得しがたい部分が多い。王岐山書記の話は、報道2日後に一歩遅れて「検閲当局の介入」で訂正され、昆明地方政府の件も荒唐無稽なマスク販売禁止報道に対して言い逃れをした。習近平のタクシー搭乗記事は、国営の新華社までが初めは事実と言い、態度を変えた。まだ多くの人々は、王書記が報道された内容のような事を言及したとか、習主席がタクシーに乗ったが、「あまりに目立つ言動」という党内部の批判により、遅れてこれを誤報として「マッサージした」という疑いを変えてはいない。実際には誤報ではなく、当局と当局の統制を受けるメディアが「事後誤報」を合作したと信じる人が、少なくないということだ。中国人民はしばしば、官と「官製」マスコミ全部を信頼しない。

 中国では、デマや流言をまき散らすことを「謡伝」(ヤオチュァン)と言う。議論の道が統制された社会で「謡伝」は、事実と同程度の威力を持つ時がある。正確で透明に事実を伝達される権利が制限された人々は、自分たちが事実だと信じることを真実だと思う権利と自由を、密かに共有する。このような権利と自由は、冷笑や自嘲の形式で表現される。腐敗清算や改革などの政府の政策報道に対する中国インターネットユーザーのコメントに、直接的な反対や批判より、特に皮肉や不信、冷笑形式のコメントが多いことは、これと関係なくはないように見える。人民との疎通より党と体制安定を選んだ中国共産党としては、「不信」も自ら耐えなければならない社会的費用かもしれない。

 党機関紙の人民日報は、この記事を書いている13日にも「未成熟なインターネットユーザーと当局の不十分な管理のために、謡伝が急増している」として、取り締まりを促している。本当に未成熟と取り締まり不足の問題であろうか?

ソン・ヨンチョル北京特派員 sychee@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/591709.html 韓国語原文入力:2013/06/13 19:00
訳M.S(1718字)