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【世相を読む】南北関係ゼロ時代/キム・ヨンチョル

登録:2013-05-16 20:53 修正:2013-05-17 07:52
キム・ヨンチョル仁済(インジェ)大統一学部教授

 道が途切れた。 人気の消えた道の上にため息だけが残った。 もう南北関係は接触のない時代に後退した。 1971年赤十字会談以後のすべての対話が中断され、ホットラインもなく、交流が途絶え、疎通不在の瞬間が訪れた。 人的交流と南北交易を示す欄の0の数字が痛々しい。 1989年に始まった南北経済協力が事実上中断された。

 2010年李明博政府が5・24措置を発表し、すべての交易と委託加工を中断させた時も、交易統計が大幅に減ることはなかった。 開城(ケソン)工業団地のおかげだった。 2011年から開城工業団地は南北交易統計の99%を占めた。 これで統計数字による錯覚もなくなった。 南北関係ゼロ時代が始まったのだ。 開城工業団地中断で私たちがこうむる被害が現実に現れつつある。 123の企業と5800に達する協力業者の涙は目に見える被害だ。 他の代案がない。 開城は労働集約業種の最後の出口であった。 他に行く所があれば良いのだが、ない。

 見えない被害も少なくない。 中国で委託加工をしてきた衣類企業等は早くも中国側の加工費引き上げを心配している。 開城工業団地があったために中国の委託加工費を抑制することができた。 いつでも開城工業団地に回すことができるという可能性が私たちの業者が持つ交渉力だった。 開城工業団地の中断で私たちはそのような交渉力を失った。

 なくしたことの中には想像力もある。 分断を分ける線が太く感じられる。 分断を横切る想像力も遠ざかっていく。 南北をつないだ鉄道はすでに錆がついただろう。 北を横切るガス管事業も空しくなった。 南北関係ゼロ時代は私たちの脱分断の想像力を縛ってしまう。

 米国で朴槿恵(パク・クネ)大統領は非武装地帯に平和公園を作ろうと提案した。 良い考えだ。 しかし真正性を持ち得ようか?  開城工業団地再開を先に語るのが順序だ。 非武装地帯平和公園構想は長い歴史を持っている。 すでに京畿道(キョンギド)金浦(キンポ)から江原道(カンウォンド)高城(コソン)まで、地域別に生態公園、歴史公園、そして産業協力地帯に関する具体的な計画が立てられている。 2007年の首脳会談で合意した西海(ソヘ)海洋平和公園も同じだ。 想像力を実現させる現実があって、意志があれば解決が可能なのだが、なぜ目を背けているのか? 理解し難い。

 東北アジア平和協力構想も同じことだ。 南北関係ゼロ時代に韓国の外交構想がどれほど空しいものかを雄弁に語っている。 韓半島がとりもなおさず東北アジアの熱戦と冷戦の舞台であった。 韓半島の平和体制なしに東北アジアの平和協力を語れるか? 政府が説明する水準の内容は、6者会談の東北アジア平和安保体制ワーキンググループの活動とさして異ならない。 ロシアが議長国で、すでに二回も会談を持った。 韓半島平和体制を私たちが主導するならば、東北アジア多者間安保協力でも主人公になることができる。 その反対ではない。

 現実の回避、空しい構想、主体の喪失、南北関係ゼロ時代が産んだ談論の風景だ。 開城工業団地の涙はどこにあるのか? 交易と委託加工、そして金剛山(クムガンサン)観光産業に参加した人々が体験した悲劇を繰り返すのか? 政治は国民の涙を拭ってあげなければならない。 それが安保の本来の意味だ。 政府を信じて対北事業に乗り出した人々が、政府の自尊心のために、古い理念の原則のために、全財産を失って街をさまよわねばならないのか?

 道に人気が途絶えれば雑草ばかりが育つだろう。 金剛山への道のように。 訊ねたい。 北が変化することを待ちながら南北関係の後退を傍観ばかりしているつもりか? 北に対する影響力が消えれば、強大国に頼るほかはない。 韓-米首脳会談を見ながら再び訊ねたい。 朴槿恵(パク・クネ)政府は果たして李明博政府と何が違うのか?

キム・ヨンチョル仁済(インジェ)大統一学部教授

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/586682.html 韓国語原文入力:2013/05/09 19:03
訳A.K(1761字)

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