なぜイ・ミョンバク政府では情報の失敗が繰り返されるのか? 理念の世界に捕われて現実を見ることができないためだ。 5年間ずっとノ・ムヒョン政府のせいにするだけで、一度でも崩壊した安保について省察したことがあるか? 北のロケット発射台の衛星写真を見たって何になる? 修理を解体と判断する無能さを信じて、国民は5年を生きてきたのだ。
最悪の安保無能政権という札付きで、イ・ミョンバク政府が退場しようとしている。 パク・クネ候補はどうなのか? 執権与党の大統領候補として、少なくとも安保無能について謝るのが道理だ。 そして情報失敗をどのように改善するのか解決法を提示するのが常識だ。 しかしパク・クネ候補はイ・ミョンバク政府の肩を持っている。 診断を省略して処方を提示することができるのか?
なぜ我が政府ばかり批判して北の肩ばかり持つのかと尋ねる。 従北フレームだ。 そんなことはしたことがない。 北は宇宙空間の平和利用の権利を主張するが、野党側は弾道ミサイル技術を活用したロケット発射が国連安保理決議違反だという点を明確に批判している。 重要なのは解決法だ。 政府が保守団体でもないのに、糾弾声明だけ出せば終わりか? そうではない。 核兵器と運搬手段であるロケットを根本的に廃棄できる方案を提示しなければならない。
大統領の哲学が重要だ。 第1次テレビ討論でパク・クネ候補が偽の平和に言及した。私はびっくりした。 案の定、セヌリ党の人々が1938年のミュンヘン会談の教訓を忘れるなと敷延説明をしている。 ミュンヘン会談とは英国のチェンバレン総理がヒットラーにだまされた首脳会談だ。 「これで平和が来た」と言ったけれども、結局1939年ヒットラーがチェコを侵略した。 しかし現在の状況と過去の歴史との重要な違いを区別できなければならない。
第2次世界大戦以後、誰がどんな目的でミュンヘンの記憶を現在と対比させてきたか? 彼らはどういう人々か? ほかでもない、戦争をしようと言う人々だ。 1962年のキューバ ミサイル危機の時、米国のケネディ大統領に向かって戦争をしなければならないと主張した将軍たちが取り上げた論理だ。 ベトナム戦争を始める時にジョンソン大統領が「私はチェンバレンではない」と言ったのも同じ論理だ。 イラク戦争を始めるに当たり、ラムズフェルド国防長官が戦争に慎重でなければならないという人々を批判した概念がすなわち“ミュンヘンの偽の平和論”だ。 国際政治学ではこういうのを「ミュンヘン・コンプレックス」と呼ぶ。 米国のネオコンが口さえ開けば騒ぎ立てる論理だ。 卑怯な平和、あるいは偽の平和という単語は、「3日間だけ持ちこたえれば勝てる」(訳注:保守論客キム・ジン中央日報論説委員の2010.5.20のコラム)などと言うような、正常さを失った人ならば別だが、大統領候補が公開の場で論じる概念ではない。 よく知りもしないで。
軍事的介入は除外されている。 国際社会がそれ程に非正常ではない。 では経済制裁はどうなのか? 国連安保理が制裁を再確認しても実効性はない。 韓・米・日3国は追加制裁をするものがない。 すでに最も強力な制裁を行なっている。 中国は追加制裁に反対していて、現在の北朝鮮-中国経済協力速度を緩めはしないだろう。 イ・ミョンバク政府はすでに制裁の失敗を確認させてくれた。
結局残っているのは外交的交渉しかない。 交渉するのはうぶなことではない。 かといって容易なことでもない。 1962年に一部の軍人が卑怯なチェンバレンになってはならないと主張した時、ケネディ大統領は「恐怖から交渉をする必要はないが、交渉を恐れてはならない」と答えた。 そうして第3次世界大戦を防いだ。 平和を作ることは戦争をすることより難しいという言葉がある。 兵役未了者(訳注:兵役義務のある韓国では、現大統領を始め政府高官等社会的エリートとされる人々およびその子弟の中にその義務を果たしていないケースが多く、批判と揶揄の対象になっている)たちが口先だけで戦争を叫ぶ偽の安保は失敗した。 国民が安心して生業に従事できる有能な安保が必要な時だ。 またも、無能な安保と失敗した外交を繰り返すのか? それとも交渉を恐れない有能な政府を選択するのか?
キム・ヨンチョル仁済(インジェ)大統一学部教授