検察があわただしくなった。 検察総長は最高検察庁幹部討論会と検事長会議、一線検事は地検別検査会議を開いて最近の事態を議論している。 検察組織全体が問題意識を持ち始めたということはひとまず肯定的に見るに値する。 しかし行き交った対話内容を見れば、彼らが事案の深刻性を正確に悟れずにいるのではないかという印象を拭い難い。 巨大な津波が押し寄せているにも関わらず、のんきに船を直して漁網の手入れをしている漁夫のように、国民との認識の差が大きいように見られる。 一昨日の最高検察庁課長級以上幹部討論会で検察改革方案を含めすべての懸案を議論したと言いながら、総長退陣には否定的意見が大部分であったという検察発表がこのような雰囲気をよく示している。
一連の最近の事態が一部の問題検事たちの逸脱や検察総長の不適切な行動からもたらされたと見ているならば大きな誤算だ。 その根元には検察組織自らの構造的な問題がかくれていることを自覚しなければならない。
最近のSKグループ横領事件求刑量縮小論難などと関連してハン・サンデ検察総長退陣論と共にいくつかの検察改革方案が検察内部で議論されている。 クォン・ジェジン法務長官-ハン・サンデ検察総長体制の退陣は、最近の不正絡みではなくともそれ以前になされていなければならなかったことだ。 肥大化した検察組織を手直しするための捜査権縮小や最高検察庁中央捜査部廃止なども、これ以上は先送りしにくい状況だ。
しかし、これは検察の換骨奪胎のための最小限の必要条件に過ぎない。 さらに重要なことはどこで誤ったのかを検察内部で具体的で徹底した自己反省が先行しなければならないという点だ。「検察捜査が政治権力・財閥権力の影響力から独立してまともに行使されてきたか疑いを持たせるケースも多い」と言ったソウル南部地検ユン・テヘ検事の言葉のように、検察の誤りに対して具体的で激しい内部討論がなされなければならない。 責任の所在と原因を自ら明らかにするために調査委員会を構成したり、幹部討論会で出た提案のように‘誤った捜査’白書を発刊する方案も検討する必要がある。 過去の過ちを公式的・公開的にえぐり取る果敢な自省時手続きなしには単純に総長を変えて組織を変えると言っても絶対に検察は変わらない。
検査会議に参加する少壮検事は10年前の盧武鉉政府初期の‘検事との対話’場面を再確認してみることを望む。 傲慢という声を聞くほど権力からの独立を叫んでいた少壮検事が‘人事権’を前面に掲げた現政権の飼い馴らしにどうして馴致されて行ったのかを振り返ってみなければならない。 そこから今日の検察危機の糸口を見つけることができたならば、今必要なことは再び少壮検事たちの勇気だ。