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「慰安婦問題の記憶、約束は守られていない」…河野談話30年、その後

登録:2023-08-05 00:57 修正:2023-08-05 08:32
日本の歴史教師、平井美津子さんインタビュー
大阪府の公立中学校で40年間にわたり社会科を教えている平井美津子さんが、自身の著書『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』を掲げている=大阪/キム・ソヨン特派員

 「河野談話では歴史教育を通じて慰安婦問題を永遠に記憶するという部分が最も重要だが、約束が守られているとは言い難い」

 平井美津子さん(62)は、大阪府の公立中学校で40年間にわたり歴史を教えてきた教師だ。1993年8月に河野洋平官房長官(当時)が日本軍「慰安婦」の動員過程の強制性と軍の介入を認めて謝罪した「河野談話」を発表して以来、平井さんは26年間にわたって慰安婦についての授業を行ってきた。今月4日で「河野談話」が発表されてから30年になるが、平井さんは「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」という談話の約束が守られていないことを残念がった。ハンギョレは談話発表から30年に際し、日本の教育現場の声を聞くため、先月12日に平井さんにインタビューした。右翼の攻撃で生徒たちが被害を受ける可能性があるため、平井さんが勤務する学校名は明らかにしない。

 「歴史教育を通じて慰安婦問題を記憶する」という談話の約束が教育現場で初めて具体化されたのは、翌年の1994年だった。同年に初めて、日本の高校教科書に慰安婦に関する記述が登場した。3年後の1997年からは、すべての中学校(3年生)教科書に慰安婦に関する記述が追加された。教科書に慰安婦に関する内容が載ったことで、この問題を生徒たちに教えることができるようになった。平井さんの長きにわたる活動のはじまりだった。

 「1993年に河野談話が出た時、日本が植民地支配の責任に正面から向き合うようになったという気がしてとても嬉しかった。1997年に本格的に慰安婦授業がはじまった時、放送局がドキュメンタリーを撮るほど社会的関心が高かったのです。歴史教師の間で慰安婦問題をどのように教えるかについて多くの対話をしました」

1993年8月4日に日本軍「慰安婦」の動員過程の強制性と日本軍の介入を認めた「河野談話」を発表した河野洋平元官房長官が、2015年6月、日本記者クラブ主催の記者会見で質問に答えている/聯合ニュース

 それと同時に巨大な逆風が吹いた。文部科学省が1996年6月に、翌年から使用される中学校教科書の検定結果を公開すると、極右勢力が猛烈に反応しはじめた。日本の保守メディアは「偏向した教科書」、「日本を誇りに思わない教科書」というレッテルを貼った。その後、歴史を歪曲した教科書(扶桑社、自由社の教科書)を出版して悪名を得る「新しい歴史教科書を作る会」が同年12月に結成された。1997年2月には自民党の87人の若手議員が「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」を作った。故安倍晋三元首相(1954~2022)は同会の事務局長を務め、教科書改訂運動を主導した。

 右翼の動きは執拗(しつよう)だった。「街頭宣伝をし、教科書会社と執筆者に脅迫状を送ったりもしました。慰安婦問題を教えるのは危険だという雰囲気が学校現場で広がっていきました」。出版社も萎縮し、慰安婦に関する記述が教科書から削除されはじめた。日本政府の動きは露骨だった。安倍元首相は第1次内閣(2006年9月~2007年9月)時代の2007年3月、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という内容を「閣議決定」した。河野談話が認めた強制性を薄めようとする試みだった。第2次内閣時代の2013~2014年には談話を修正しようとしたが、あきらめている。このような影響で、現在使われている8種の中学校教科書のうち、慰安婦の記述が残っているのは2種だけだ。

 2000年代に入るとSNSやユーチューブの使用が広がり、教師個人に対する攻撃もはじまった。平井さんも標的になった。「反日教師だ」、「教科書にもない慰安婦問題を教えている」として右翼の攻撃を受けた。教育現場で慰安婦問題を教え続ける平井さんの活動が2018年に日本のメディアに紹介されると、有名な極右政治家が自身のSNSで批判した。そのためか、学校に抗議の電話が殺到した。「その時初めて校長先生から『慰安婦の授業をしないでほしい』と言われました。もちろん私は『外部からの圧力のせいで授業をやめたら学校教育が歪曲される』と反論しました」

 様々に攻撃されたが、平井さんは26年間も授業を続けている。慰安婦授業の対象は中学校3年生だ。担当する学年が毎年変わるため、毎年教えることはできない。これまでに行った「慰安婦」授業は11回。「過去の歴史を扱いながらも、どのように現代的な問題として受け入れられるか悩んでいます。例えば、慰安婦問題が教科書に登場した背景には何があるのだろうか、教科書からどんどん記述が消えていくのはなぜなのだろうかなど、その時の社会的流れと結びつけて授業をしようと努めています」

2015年10月、日本軍「慰安婦」問題の解決のための第1201回定期水曜デモがソウル鍾路区中学洞の日本大使館の前で開かれ、参加者が「歴史教科書が記憶せよ」と書かれたプラカードを掲げている=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 平井さんが授業で守っている原則がある。「善と悪を私は判断しません。私は新聞記事や慰安婦被害者の話などの資料を提供し、子どもたちが自然に討論できるようにお手伝い役をします」

 授業は子どもたちにどのような影響を与えているのだろうか。生徒たちが残した感想文から少し推測できる。「今後二度と女性に対するこのような恐ろしいこと、その原因となる戦争は起きてはならない」、「慰安婦被害者たちは今もつらいだろう。この問題を正しく理解し、少しでもこの人たちに協力したい」、「日本政府は心から謝罪してほしい」

 平井さんは、授業後に子どもたち個人個人がこの問題について深く考えるようになるのを見て、教科書から記述が消えても慰安婦問題を教え続けなければならないという確信が持てたと語る。「ある生徒が慰安婦被害者たちを尊敬すると言うんです。この人たちはとても大変な状況なのに自分の被害を自ら語ってくれたことによって、私たちが理解できるようになった、立派な人たちだと言っていて、とても嬉しかった」。平井さんは「子どもたちは慰安婦被害者に対して尊敬の気持ちを持ち、この人々が社会を動かしたということに気付いた。そのことに感激しました」と話した。

 どんなにつらくても慰安婦授業が続けられるように支えてくれたのは河野談話だった。「誰かに『なぜ慰安婦問題を教えるのか』と問われたら、『河野談話があるから』と答えると思います。談話を実践していることに誇りを持っています」。平井さんは、慰安婦被害を1991年8月に初めて公開証言した金学順(キム・ハクスン)さん(1924~1997)の切なる叫びも胸に刻んでいると話した。「金さんは生前、『慰安婦の被害を歴史に残し、教えなければならない』と言っています。歴史を教える教師として、被害者女性たちにこたえる責任があると思います」

 平井さんは1983年に中学校の社会科教師になり、今年で40年目を迎えた。2021年3月に定年退職したが、再任用されて65歳まで勤務が可能となっている。「日本は過去の過ちを十分に認めていません。真の和解を通じて周辺諸国と友好関係を結んでこそ憎悪をなくすことができます。そのためにも慰安婦授業は重要だと思います」。平井さんは「河野談話がある限り、私は慰安婦授業を続ける」と力を込めた。

大阪/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1102972.html韓国語原文入力:2023-08-04 05:00
訳D.K

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