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[トルコ現地ルポ]マイナス6度の寒さ、余震の恐怖…頼れるのは焚き火と救援食糧だけ

登録:2023-02-10 10:39 修正:2023-02-10 16:31
トルコ・シリア大地震の現場へ 
「強震影響圏」の南部都市アダナのルポ
M7.8の大地震の被害を受けた市民たちが9日(現地時間)、トルコ南部の都市アダナのギュゼルヤル市場に設けられた被災者の臨時テント村で、避難民たちが焚き火で寒さを凌ぎながら救援物資の食べ物を食べている=アダナ/ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 「今は日常を想像することはできません」

 テントの合間に建物の灰が飛び散り、灰の間を子どもたちが駆け回っている。避難民のための臨時テントで会った25歳のトルコ大学生だと自身を紹介した人に、「日常が復帰したら何がしたいか」を聞いたところ、返ってきた言葉は思いがけないものだった。大地震で大きな傷を負ったトルコの人々の心の中で、日常は依然として「はるか遠く」にあるようだった。

 出発時間の遅延を重ねた末、本紙取材陣を乗せた飛行機は9日午前2時(現地時間)、イスタンブールを出発した。2時間後、6日早朝に発生したマグニチュード(M)7.8の大地震の影響圏下にある南部都市アダナに到着した。震源地のガジアンテプから西に200キロメートルほど離れているため、都市は一見、さほど大きな被害を受けていない様子だった。比較的まともに残っている建物の合間に、ぺしゃんこになった建物がちらほら目についた。急いでホテルに荷物を置き、午前6時の薄暗い早朝の空気の中、街頭に出かけた。

 市内を南北に分けるセイハン川の西側に位置するギュゼルヤル市場には、4日前の地震が発生した後、居場所を失った人たちのための臨時テントが設置されている。まだ朝早い時間だったためか、ここに集まった住民たちはあちこちに大きな焚火をたき、救援物資の食べ物を食べていた。ここでボランティアをしているというある大学生は「私の家は完全に壊れはしなかったけれど、余震が怖くて入れない」とし、「初日の夜は仕方なく車の中で過ごしたが、とても寒かった。いまは比較的地震の被害を受けなかった隣人の家で暮らしている」と話した。

 地震発生から4日目の9日午後に入り、死者数はトルコで1万2873人、シリアで3162人で、計1万6千人を超えた。2011年3月の東日本大震災以来、最悪の人命被害だ。同日午前4時(韓国時間午前10時)で、生存者の救助に決定的な「72時間の壁」(いわゆるゴールデンタイム)が過ぎ、生存者救助の希望が徐々に消えている様相だ。英国のノッティンガム・トレント大学の自然災害専門家スティーブン・ゴッドビー氏は、英BBCで「生存率は、24時間以内には平均74%である一方、72時間が過ぎれば22%に落ち、5日が過ぎれば6%となる」と述べた。

 希望が消えた災害現場では挫折と怒りが沸き起こっていた。トルコ南中部の内陸都市マラティヤで救助を手伝っている元ジャーナリストのウェゼル・ピカル氏は、気温がマイナス6度まで下がり、残骸の中に閉じ込められた生存者が凍死する恐れが高まっていると伝えた。彼はAP通信との電話インタビューで、「マラティヤにはもう希望がない。瓦礫の中から生きて救助される人々はもはや見えない状況だ」と述べた。また「寒さのため、手作業で建物の残骸を片付けるのは不可能だ。機械が必要だ」と付け加えた。この地域では、収拾された遺体はいったん毛布に覆われ、そのまま地面に並べられている。

9日午前(現地時間)、トルコ・アダナのマンションの崩壊現場で、救助隊員と市民が捜索作業を行っている。 昨夜一人が救助された=アダナ/ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 シリアの状況も厳しい。内戦で廃墟となったうえ地震まで重なった北部アレッポでは、住民たちが恐怖の中で途方に暮れていると、同通信は報じた。地元の住民のホビグ・シェリアンさん(24)は「内戦中は戦闘から逃れてあちこちに避難するのが日常だったが、地震にはどう対応すればいいのか分からない。このままではみんな死ぬのではないか心配だ」と話した。国営シリア通信はこれまで計29万8千人が家を失い、被災者のための臨時避難所180カ所が設置されたと報じた。

 匿名を希望したアダナの大学生も「パンやスープ、ビスケットのような救援物資は入ってくるが、政府ではなく市民と隣人の支援」だと残念そうに言った。さらに「ツイッターを通じて救護や支援を要請しようとしても、遮られてしまうので難しい」とし「大統領は地震が起きた時すぐには現れなかったが、警察はツイッターに上がってきた大統領批判にはすぐに現れた」と話した。大震災の後、政府の対応が遅れたことに対する批判が殺到すると、エルドアン大統領率いるトルコ政府は市民のツイッターへのアクセスを制限し、政府を批判した人々を逮捕したが、これに対する不満をあらわにしたのだ。

 比較的被害が少ないとはいえ、市場に向かう途中にある12階建ての商店街の建物は完全に崩れ落ちた状態だった。残骸をひっくり返し、万が一の生存者を探す作業が繰り広げられていた。掘削機が残骸を掘り起こして立ち上る煙と、寒さを凌ぐためボランティアたちがつけた焚き火の煙が周辺を覆った。現場にいた市民のレイハン・アックスさんは「建物が崩れる時、90人余りの人々がいたが、今まで命が助かった人は10人もいない」と話した。しばらく間を置いた後、彼は「それでも今朝、3日ぶりに一人生存者が見つかった」と話した。トルコの現地放送は、被災者約8000人を救助したと発表した。8千人はエルドアン大統領が前日明らかにした救助者数だ。数日たったとしても、この数値が大幅に増えるとは思えなかった。

 2階建てのビルがたった2棟の小さなアダナ空港は、同日未明にもトルコのあちこちから集まったボランティアや外国から来た救助団体の職員であふれた。トルコ鉱山協会(TTK)所属のボランティアたちは、厚いダウンジャケットの上に蛍光ベストを着て、木の柄のつるはしを手に忙しく動いた。一部の人々はパンや飲み物で腹ごしらえをしていた。彼らはこの後すぐに近くのハタイ県に入り救助に取り組む予定だと話した。

アダナ/チョ・ヘヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/1079134.html韓国語原文入力:2023-02-10 09:23
 訳C.M

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