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[ルポ]「人々が死んだ。理由もなく簡単に…」ウクライナ・ブチャ生存者の証言(1)

登録:2022-06-16 10:48 修正:2022-06-16 12:27
ドミトロさんが証言したブチャの1カ月
ロシア軍の攻撃が激しかった3月に、ドミトロさんの家族と隣人たちが生活していたアパートの地下室の様子=ブチャ/キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 2022年2月24日、ロシアはウクライナに対し戦争を宣布し、直ちに首都キーウに向けて進撃した。ロシア軍の首都包囲計画が成功するには、キーウへの道筋である小さな都市「ブチャ(Bucha)」を通らなければならなかった。3月3日、ブチャを占領したロシア軍は、ウクライナ軍の反撃でキーウ一帯から退くまで1カ月ほどこの都市に滞在した。ロシア軍が退却した後、ブチャでは数百体の遺体がいっぺんに発見された。ロシア軍が「民間人大虐殺」を犯したという批判が相次ぎ、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を「戦犯」として国際刑事裁判所(ICC)に立たせるべきだという世論も強まった。本紙は、ここで発生した事件を記憶するために、ブチャの市民たちの証言を聞き、これを記録する。最初の証言者は、ブチャ市役所の職員ドミトロ・ハプチェンコさん(44)だ。

再びウクライナの現場を行く//ハンギョレ新聞社

 2022年3月15日正午。ブチャ市役所の行政担当公務員であるドミトロ・ハプチェンコさんは、同僚たちと一緒に村にやってくるバスを待っていた。5日前の10日から人道回廊が開かれ、その道を通って救援物資を積んだバスが入ってきて荷物を下ろし、空いた席に町の人々を乗せて離れる予定だった。「バスはいつ来るんだ」と思っていた時だった。ロシア兵30人余りが市役所の塀を越えてきた。「おい、お前!」ロシア兵はドミトロさんを呼んだ。頭に銃口を向けた。 「お前、ここで働いているのか」。ロシア兵は尋ねた。

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ドミトロさんの危機の瞬間

 今月13日(現地時間)、本紙取材陣と会ったドミトロさんは、いつかこのような瞬間が来ると思っていた、と語った。ロシア軍が政府や軍関係者を探しており、確認した瞬間撃ち殺し、実際に多くの人がそうして死んだということを聞いていた。そのため、市役所の職員かと問われた時「ちがう」と嘘をついた。ロシア兵は電話と身分証明書を出すよう指示した。ドミトロさんは、ロシア兵が携帯電話を検査して軍人の写真や軍の動向情報をシェアしたかなどを確認するということを知っていた。

 ドミトロさんと同僚たちはこのような瞬間に備えて持っていたスマートフォンを隠すか手放し、連絡だけやりとりできる旧式の携帯電話を使っていた。スマートフォンには写真やメッセンジャーのメッセージなどの情報がかなり多く入っていた。備えておいたおかげで、現場にいた兵士たちはドミトロさんと男性たちの正体を明らかにするのに失敗した。ただ、不審そうな様子だった。

ブチャ市役所の職員ドミトロ・ハプチェンコさん=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 ロシア兵は現場にいたドミトロさんと別の職員、市役所の警備員3人、そしてボランティアまで、計6人の男性を市役所の庭に召集した。手を後ろに結んだ後、壁を見て立てと命令した。兵士たちは建物をくまなく調べた。まもなくロシア軍の貨物車が入ってきた。兵士たちは市役所に保管していた食パンや麺といった救援物資や、ノート型パソコンやプリンターなどの電子製品まで、手あたり次第すべて車に積みこんだ。ドミトロさんと市役所の職員たちは幸い、万一の状況を念頭に置いて、救援物資をあちこちに分散しておいた。救援物資のほとんどは近くの病院に保管していた。ロシア軍が意外にも病院はあまり攻撃しないことを知っていた。ロシア兵たちは負傷したときに病院に来て治療を要請したり、薬をくれとだけ言った。

 そのように1時間ぐらい立っていただろうか。捜索を終えたロシア兵がドミトロさん一行に近づいてきた。かぶっていた帽子を引きずり下ろして目隠しをし、どこかに連れて行った。ロシア兵が基地として使っていたあるアパート団地だった。兵士たちはドミトロさんをアパートの前のベンチに座らせた。「我々の上司が来てお前たちを尋問する」。 夜遅くまで上司は来なかった。手足がかちかちに凍ったが、その時は寒さも感じなかった。上司が来なかったおかげか、兵士たちはドミトロさんと男性たちを解放した。「もう行ってもいい」

 幸いだった。だが家に帰るには時間が遅すぎた。危険だった。ロシア兵は道で人に会えば誰でも構わず撃ち殺した。男性6人が夜遅く道に現れれば、「地域防衛軍」と疑われる可能性があった。村のあちこちに拡散しているロシア兵は、ウクライナ兵士ならひと言も聞かず殺すだろう。その頃、ロシア兵は道に平凡な住民が見えても、無条件に銃を向けたり撃ったりするのが常だった。「ありがたくも」この兵士たちはドミトロさんに選択肢を与えた。アパートの地下室で過ごし夜が明けてから帰るか、いま帰るか勝手にしろということだ。6人の男性はその日の夜、地下室に隠れて夜が明けるのを待っていた。

 午前9時、ロシアの戦車が基地を離れる音が聞こえた。ようやく地下室から出た。目についたかばんを拾い上げ、洋服を羽織った。食べ物を探しに行く町の住民のように見せるためだった。ロシア兵と出くわす時に備え、早朝に歩き回る理由を作らなければならなかった。地下室から出てからは大通りを通らず、兵士に見つからないように裏道を選んだ。家と家の間に隠れながら動いた。半月近くロシア軍の目を避けて町の人々に救援物資を渡してきたため、目立たないように動く方法は熟知していた。早朝の市役所はがらんとしていた。ドミトロさんと男性たちはそれぞれの家へと散った。

(2に続く)

ブチャ/ノ・ジウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/1047040.html韓国語原文入力:2022-06-15 16:50
訳C.M

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