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90歳を過ぎても核兵器廃絶を訴え続けた活動家、日本被団協の坪井直さん死去

登録:2021-10-28 20:37 修正:2021-10-29 07:03
広島で被爆し全身に大やけどを負い、片目の視力を失いながらも 
核兵器廃絶運動に献身 
「最後のひと呼吸まで核廃絶ネバーギブアップ」叫ぶ
2016年5月27日、バラク・オバマ当時米大統領が現職としては初めて広島を訪問した時、被爆者代表として日本原水爆被害者団体協議会の坪井直代表委員(右側)に会って話をしている=広島/AP・聯合ニュース

 「ネバーギブアップ」を叫び、生涯を核兵器廃絶運動に献身した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の坪井直代表委員が死去した。享年96。

 朝日新聞は、坪井さんが24日、貧血による不整脈で広島市内の病院で亡くなったと28日報道した。1945年8月6日、広島工業専門学校の3年生だった坪井さんは、原爆が投下された当時、爆心地から約1.2キロメートル離れたところで被爆し、全身に大やけどを負った。40日以上を意識不明の状態で過ごし、左眼の視力を失ったが、奇蹟のように助かった彼は「核なき世界」を作る先頭に立ち始めた。

 中学校の教師として在職していた時は、生徒に自身の被爆体験を聞かせ、原爆の惨状を知らせた。退職後の2000年、被団協の代表委員になり、2004年には広島県被団協の理事長を兼任し、核兵器廃絶運動の象徴的存在になった。彼は日本国内だけでなく、核兵器を保有する英国、フランス、中国など21カ国を訪れ、核兵器の危険性を警告した。被爆70年をむかえた2015年8月、広島で開かれた国連軍縮会議では「最後のひと呼吸まで核兵器廃絶をネバーギブアップ」と訴えた。2016年5月、バラク・オバマ当時米大統領が現職大統領としては初めて広島を訪問した時、被爆者代表として会った。坪井委員はオバマ大統領に「(原爆投下は)人類の間違ったことの一つ。それを乗り越えて我々は未来に行かにゃいけん」と話した。

 90歳を超えても、焼き付くような陽射しの下、平和記念公園で核兵器廃絶署名を訴え、核実験に抗議し座り込みを行った。被爆の後遺症で入退院を繰り返し、何度も危篤に陥っても彼は核兵器の惨状を証言できる所はどこにでも駆けつけた。「核兵器はなかなかなくなりません。それでもあきらめてはいけません。ネバーギブアップです」。彼は誰に会っても、常にこの言葉で最後を締めくくったという。

 哀悼も続いた。松井一実広島市長は「ネバーギブアップという、その魂を必ずや次の時代を支える人たちにしっかりと伝えるようにしますので、安らかに休んでください」と話したと毎日新聞が伝えた。岸田文雄首相も記者団に「私自身、被爆地(広島)出身の首相として、核兵器のない世界の実現に向け坪井さんの思いを胸に刻み、前に進んでいく覚悟だ」と明らかにした。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1017019.html韓国語原文入力:2021-10-28 14:35
訳J.S

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