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「中国に勝った」台湾選手団、過去最高の成績で戦闘機の護衛受けて帰国

登録:2021-08-07 06:17 修正:2021-08-07 06:57
東京五輪で善戦した台湾選手団が話題 
先月19日、エコノミー席に乗って出国 
役員はビジネス席に搭乗し、物議醸す 
4日帰国する際は空軍戦闘機4機が護衛 
チャイニーズ・タイペイの五輪出場歴史にも関心
先月31日、東京の武蔵野の森総合スポーツプラザで行われた男子バドミントンダブルスの授賞式で、金メダルを獲得したチャイニーズ・タイペイを象徴する梅花旗が、中国、マレーシア国旗とともに掲げられている=東京/AP・聯合ニュース

 「チャイニーズ・タイペイ」という名前で五輪に参加する台湾選手団がエコノミー席に乗って出国したが、空軍戦闘機の護衛を受けながら帰国して話題になっている。選手団が過去最高の善戦を繰り広げた中、台湾の“数奇な”五輪出場史も改めて関心を集めている。

 6日の台湾の「中央通信」(CNA)の報道によると、台湾国防省は4日午後、帰国する自国の五輪選手団を歓迎するため、ミラージュ戦闘機4機を飛ばした。同日帰国した選手団には、決勝戦で中国を破って金メダルを取ったバドミントン男子ダブルスの王斉麟・李洋選手とバドミントン女子シングルス世界ランキング1位で銀メダルを取った戴資穎選手らが含まれていた。

 同通信は国防部側の説明を受け「インドネシアで開かれたアジア大会同様、五輪で活躍した選手団の帰国を護衛するよう蔡英文総統が直接指示した」とし、「戦闘機4機が防空識別区域まで出て選手団のチャーター機を護衛し、歓迎の意味でフレアまで飛ばした」と伝えた。当日、台湾西方の海上では台風9号が発生していた。

 台湾空軍は自国選手団が2018年ジャカルタ・パレンバン・アジア大会で金メダル17個など計67個のメダルを獲得し、総合7位を記録した時も戦闘機2機を飛ばし、帰国の途を護衛したことがある。

 台湾選手団の「華麗なる帰還」が関心を引く理由は別にある。先月19日、チャーター機で出国した当時、選手団はエコノミー席に、役員陣はビジネス席に座ったという事実が、戴資穎選手のソーシャルメディアを通じて公開され、批判世論があふれたためだ。結局、蔡総統が直接乗り出し、「国を代表して国際大会に出場する選手団にビジネス席を提供するという約束を守れなかった」と謝罪した。

 東京五輪で選手団の善戦が続き、公式の国名や国旗を使用できない台湾の五輪参加の歴史に対する関心も高まっている。1971年10月の国連総会当時、「中華人民共和国の合法的権利回復に関する決議(第2758号)」が採択され、加盟国の地位を失って以降、中国の要求により台湾は各種国際機関から事実上追い出される屈辱を味わってきた。

 台湾が「中華民国」という公式国家名で参加したのは1972年ミュンヘン夏季五輪と1976年インスブルック冬季五輪が最後だ。以後、大会に参加できなかった台湾側は国際オリンピック委員会(IOC)と交渉した末、1981年3月「チャイニーズ・タイペイ」という名称の使用を受け入れた。台湾が「チャイニーズ・タイペイ」という名前で五輪に復帰したのは、1984年サラエボ冬季五輪とロサンゼルス夏季五輪の時だ。

 開会式や閉幕式の時も国旗である「青天白日満地紅旗」は使えない。代わりに青天白日文様と五輪旗が入った台湾五輪委員会の旗である「梅花旗」を使う。金メダルを取っても「三民主義はわが党の指針」で始まる国歌は演奏できない。代わりに「山と川は美しく」で始まる国旗歌が鳴り響く。

 五輪閉幕を2日後に控えた6日午後現在、選手団は金メダル2個、銀メダル4個、銅メダル6個の計12個のメダルを獲得し、総合順位25位となっている。金(2)、銀(2)、銅(1)の計5つのメダルを獲得し、総合31位となった2004年アテネ五輪を上回る歴代最高成績だ。

北京/チョン・インファン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/china/1006743.html韓国語原文入力:2021-08-06 17:15
訳H.J

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