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[インタビュー]「君民一体という天皇制の本質は、戦後も変わらなかった」

登録:2019-04-09 20:50 修正:2019-04-10 07:15
原武史 放送大学教授
原武史・放送大学教授////ハンギョレ新聞社

 原武史放送大学教授は、日本の天皇制について批判的に研究していた学者だ。最近「平成の終焉ー退位と天皇・皇后」という本を出版した。2日に東京で会った原教授は、「君民一体という天皇制の本質は、戦後も変わらなかった」と指摘した。

 -戦後も日本で「天皇制」が温存された理由は。

 =江戸時代から明治時代へと移行する際、天皇制が大きく変わる。明治以前まで天皇は京都にずっといたし、外出もほとんどしていなかった。 しかし、明治時代になって全国を回り始めた。臣民と天皇が一体化する空間が作られた。天皇が行く所に何万人もの人が広場に集まり、「君が代」を歌い万歳三唱をした。 君民一体化する空間が作られた。 昭和天皇は、敗戦後の1946年から54年まで、沖縄を除く全国を巡幸した。 敗戦後も広場に天皇が現われれば、人々は反射的に「万歳」をした。 原爆被害を受けた広島でもそうだった。

裕仁天皇が1941年の観兵式で白馬に乗っている=記録映像画面より//ハンギョレ新聞社

 -現在の天皇と国民の絆は以前より強くなったのか。

 =そうだ。昭和天皇は軍事指導者だったから人々との出会いも軍事行事がモデルだった。 兵士たちが並んでいれば、天皇が馬に乗って現れる観兵式がモデルだったし、他の行事にも極めて統制された状況で国民に会った。 しかし、平成天皇は完全に象徴天皇であるため、一人ひとりに話しかけるスタイルだ。 また、天皇と皇后がいつも一緒に日本の隅々を回った。 ひざまずいて相手と視線を合わせた。 一人一人との関係でミクロ化した国体が作られた。

 -戦後の天皇制はよりよい方向に移行したという意味か。

 =そうは言えない。 天皇と国民一人一人のつながりが強化されたが、本来はその間に政府や議会がなければならない。 代議民主主義制のもとで果たすべき政府や議会の役割が霞む。 被災地でも人々を励ますのは天皇と皇后だけのように見えてしまう。 首相や政治家も災害現場に行くが、印象に残らない。 まるで戦前の日本の超国家主義が復活しているようにも見える。

 -皇太子が新たな天皇になればどう変わると思うか。

 =雅子妃は外交官として活躍した人物だ。 そのような人物が皇后になれば、東アジア関係にも影響を及ぼす可能性がある。 現天皇皇后は「慰霊の旅」という名で南の島々ばかり行った。 1944年7月サイパン陥落後、もっぱら米国と戦って破れた島々だけ行った。 東アジア関係では影響を与えられない所である。 雅子妃が外交的センスを発揮するなら、現天皇の行くことができないところも行くことができる。 しかし、雅子妃の健康が回復しなければ、天皇だけが目立つだろう。 これは右派が喜ぶことだ。 現天皇皇后はいつも一緒に動いたが、右派が見るには権威ある行動ではない。

 -日本の戦後が清算されなかったと考える原因は、東アジアでは「天皇制」が残ったからだという見方がある。

 =そういう見方も当然ある。 GHQが中国内戦で共産党勝利、朝鮮戦争という冷戦の流れを見て、日本の天皇制を維持し、昭和天皇を退位させなかった。しかし、日本にいる人はそのような構造がよく見えない。 一般国民の立場から見れば、昭和天皇は再び地方を訪れたのであり、またやってきたので以前のように「万歳」をしたのだ。 天皇制が維持され、戦争の責任はあいまいになり、侵略という事実は隠蔽された。 天皇の慰霊の旅は南の島ばかりだ。これは戦争のイメージが最後の1年だけに限られるという話だ。 それ以前の歴史は隠蔽される。

明仁天皇夫妻が2005年、太平洋戦争時に戦死した日本軍の霊魂を慰労するためにサイパンを訪問し黙祷している//ハンギョレ新聞社

 -日本がどのような政治形態で進むのが望ましいと思うか。

 =共和制への履行は現実的には難しいと思う。 当面の目標は、天皇の私的自由を認めなければならない。 天皇が被災地に行くなら、私的に行けばいいと思う。 天皇がそのように私的に行っても、みんなが気にせずとも良い状況が望ましい。 公的行為が平成になって肥大化したことに問題がある。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/889357.html韓国語原文入力:2019-04-09 17:14

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