『ナヌムの家ーアジアで女性として生きるということ』(原題:低い声)(1995)、『ナヌムの家2』(1997)、『息づかいーナヌムの家3』(1999)、『オレの心は負けてない』(2007)、『描きたいもの』(2013)、『最後の慰安婦』(2014)、『音叉』(2014)、『雪道』(2015)、『鬼郷』(2016)、『鬼郷、終わっていない物語』、『アイ・キャン・スピーク』(2017)…。 「日本軍慰安婦被害者」の終わっていない歴史を記録し証言しようとする絶え間ない努力をつなぐ、もう一編の映画がスクリーンに上がる。27日に封切られる『ハーストリー』は、私たちにあまり知られていない慰安婦ハルモニ(おばあさん)の法廷闘争である「関釜裁判」を巡る話を描いた作品だ。実話のずっしりとした力と貫禄の女優たちが発揮する演技力を武器に、この夏、観客に熱い響きと温かい慰めを贈る秀作とされる。
あらすじは実話の構造そのままに沿っている。 1991年夏、キム・ハクスンハルモニが日本軍慰安婦被害事実を初めて証言し、水面下に沈んでいた歴史的事実が社会的波紋を呼び起こす。釜山(プサン)で旅行会社を運営しながら独りで娘を育てていた事業家のムン・ジョンスク(キム・ヒエ)は、先頭に立って申告電話を開設し、慰安婦被害の事実を受け付け始める。彼女はその過程で彼女の家のお手伝いとして働きながら慰安婦の痛みを隠して生きてきたペ・ジョンギル(キム・ヘスク)ハルモニの事情も知るようになる。 ムン・ジョンスクは在日同胞弁護士のイ・サンイル(キム・ジュナン)の助力を得て、原告団のリーダーとして被害者ハルモニを集め、日本を相手に法廷闘争に乗り出す。10人の原告団と13人の弁護人、1992年から1998年まで6年余りの間、日本の下関(関)と釜山(釜)を行き来して続けられた23回の裁判はこのようにして始まる。
男性中心の史観を意味する「ヒストリー」(History)の対称点に立つ「ハーストリー」(Herstory)というタイトルから分かるように、この映画は女性の視線で女性被害者が生き延びた辛酸な人生の痛みを描き出す。 試練と逆境の中でも意志を曲げずに闘いを継続するムン団長と「私たちは独り身じゃない。国家代表選手だ」と言って堂々と日本に対抗する被害者ハルモニたちの姿を通して、慰安婦問題がなぜ過ぎ去った歴史のある片隅にではなく、韓国女性のDNAに刻まれた現在進行形の痛みなのかを、一つ一つ明らかにする。 また、裁判に参加する被害者らとムン団長との間に流れる感情の交流だけでなく、ムン団長の周りの人物である地域事業家のシン社長(キム・ソニョン)、旅行会社職員のリュ・ソニョン(イ・ユヨン)等、周りの女性たちとの連帯の過程も緻密に描き出す。
また一方では「法廷ドラマ」の長所も光っている。 ムン団長、イ・サンイル弁護士、ハルモニたちが激しい法理の闘いと人権に訴える様々な戦略で日本の法廷に立ち向かう裁判の場面は、漸層的緊張感と共に爆発力ある感動を引き出す。
映画が大きな響きをもって迫るのに最も大きな役割をするのは、しっかりした内功(内に積み上げられた力)を発揮させる俳優たちの演技力だ。完璧な釜山なまりと日本語の演技を展開して強靭なカリスマを誇るキム・ヒエ、証言席に座って心の底に積み重ねた恨(ハン)と痛みを爆発させる最高級の演技をしたキム・ヘスク、平壌(ピョンヤン)なまりを完璧に駆使しながら乱暴な言葉と行動で辛い傷を隠す内面演技を消化し切ったイェ・スジョン(パク・スンニョ役)、消極的で臆病だが決定的瞬間に勇気を引き出す胸の詰まるような演技を見せたムン・スク(ソ・グィスン役)、過去の苦痛から心の病を抱える演技で見る者の胸を締め付け、注目をさらったイ・ヨンニョ(イ・オクチュ役)まで、皆が貫禄とは何かを証明している。
映画の中でムン団長は「いったい何でこの裁判に執着するのか」と聞かれて「恥ずかしくて。 私一人、いいものを食べて楽に暮らしたのが恥ずかしくて!」と答える。 そして「この裁判を通して世の中は変わらなくても、私たちは変わるだろう」と慰安する。このセリフには「キム・ハクスンハルモニの告白に接して胸の中に石ができ、10年前から慰安婦問題を扱った映画を考え悩んできた」というミン・ギュドン監督の演出のきっかけがそっくり込められている。観客が感じる多少の居心地の悪さもこれと共通しているだろう。
「なぜ、また慰安婦映画なのか」とかぶりを振る人がいるかも知れない。 だが、歴史を記憶し記録しようとする社会的奮闘がさらに激しくならねばならないことは“数字”が証明している。 28人。 政府に登録された日本軍慰安婦被害者268人のうち残っている生存者の数だ。 今年だけでも4人のハルモニが亡くなった。 時間はもうない。 観客が映画館へ向かう足を速めなければならない理由もここにある。