「悲劇の現場保存」めぐる5年間の議論に終止符打った大川小学校
東日本大震災時に「運動場でじっとしていなさい」教師の指示で惨事
現場保存することになったが、真相・責任の所在めぐる対立は未解決
「震災の教訓を伝承していくことが最も大きくの犠牲者が出た震災地・石巻市の使命です。次の世代に、これを伝承するための義務を果たしたと思います」
東日本大震災による悲劇の現場を保存するか、解体するか。宮城県石巻市は、過去5年間続いてきた長い議論に終止符を打った。石巻市の亀山紘市長は26日、記者会見を開き、津波に流され84人が死亡した惨事の現場である大川小学校を「校舎全体を保存するのと同時に、一帯を犠牲者を悼む鎮魂の場として生かしていく」と明らかにした。日本で大川小学校で起きた惨事は、「キャビンで待機せよ」という案内放送で安山檀遠高校生徒たちを死に追いやったセウォル号事故のように、大人の無責任な対応から生き延びることができた命を犠牲にした事件として記憶されている。
当時、東日本を襲った大震災で巨大な津波が押し寄せていたにもかかわらず、教師たちは生徒たちに「運動場でじっとしている」ように指示した。当時、一部の生徒が「裏山に逃げよう」と主張したが、結局、生徒74人と教師10人の84人が50分後に運動場を襲った津波の犠牲になった。
保存の決定は困難を極めた。「後世に教訓を伝えるため」校舎を保存すべきだという保存派の意見と、「見るだけでもつらい」という解体派の意見が激しく対立したからだ。昨年の秋石巻市が大川地区の住民を対象にした「意向調査」では、過半数を超える(54%)住民が解体を選択したが、市は保存を希望する遺族の意向を汲み、この日決断を下した。保存には6億7000万円程度の費用がかかる見通しだ。
韓国語原文入力: 16-03-27 17:04