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ビキニ被爆船員1万人の実態61年ぶりに明らかになるか

登録:2015-01-18 20:47 修正:2015-01-19 10:22
1954年、米国が太平洋で水爆実験
日本の遠洋漁船が大挙被爆したが
両国は波紋を憂慮し早期収拾に合意
船員23人のみを被害者として認定した
1954年3月1日午前6時45分、太平洋マーシャル諸島のビキニ島で米国が行った水爆実験の全景。 巨大なキノコ雲が上がり赤い閃光が周辺を染めている。 資料写真//ハンギョレ新聞社

足踏みしていた真相調査活動が2013年に反転
1300キロ離れた地点での船員被爆量検出結果
広島原爆の1.6キロ地点と同等
事故当時の日本政府の調査結果も公開

 日本政府が調査意志を明らかにしたものの「まだ資料検証段階」と発言するなど、果たして積極的に行うつもりなのか関連団体は依然として疑っている。

 「厚生省は(ビキニ被爆を)人権に関連した未解決問題として認識し、因果関係解明のために努力して下さい」。昨年7月1日、東京の厚生労働省のある応接間。 重い雰囲気を破って永く日本遠洋漁船員の“ビキニ被爆”問題を解決するため努力してきた山下正寿氏(高知県ビキニ水爆実験被害調査団)が口を開いた。 ビキニ被爆とは、米国が1954年3月から5月にかけて太平洋マーシャル諸島のビキニ島周辺で行った6回の水爆実験で、近隣海域で操業中だった日本のマグロ遠洋漁船員が被爆した事件だ。 日本政府はこのうち1954年3月1日に水爆実験が行われた地域から東に160キロ離れた海上で操業していた第五福竜丸船員23人の被爆を認めただけで、他の船員の被爆については認めなかった。

 山下氏の要請から6カ月経った今月5日、毎日新聞は興味深い報道を出した。 日本の厚生労働省が1954年のビキニ核実験で被爆した可能性のある約1万人(船舶約500隻)の当時の船員を相手に被爆と健康との相関関係を明らかにする追跡調査を実施するという内容だった。 報道が事実なら、“忘れられた被爆”であるビキニ被爆について日本政府が全面調査を始める重大な決断を下したことになる。

 2011年に3・11福島原発事故を体験した日本では、放射線が人間の健康に及ぼす影響を巡って激しい論争が進行中だ。 人間が高線量の放射能に露出する場合、火傷、嘔吐、脱毛などの急性障害症状が現れ、激しい場合には命まで失うことになる。

 しかしそれより低線量の被爆に遭った場合、被爆と健康への因果関係を科学的に証明するのは容易なことでない。 人間が大規模に被爆した事例が、広島と長崎原爆、チェルノブイリ原発事故、3・11福島原発事故などの大型災害に限定されるだけでなく、被爆による影響が長い時間かけてゆっくりと現れるためだ。最悪の原発事故と呼ばれる1986年のチェルノブイリ原発事故の時も事故と被害地域の子供たちに発生した甲状腺癌の因果関係を世界の医学界が認めるまでに20年近い時間がかかった。 同じ理由で現在、福島県では満18歳以下の子供と青少年38万人を対象に甲状腺癌発病推移に対する追跡調査を進めている。調査を引き受けた福島県立医科大学では「(まだ)特別な異常はない」という結果を出しているが、これに対する日本での不信は深まっている。このような状況で約60年前に起こったビキニ被爆船員に対する健康調査が行われれば、被爆が人間に及ぼす長期的な影響に対するより確実な情報が出てくるものと見られる。

 ビキニ被爆は永く日本でも忘れられていた主題だった。 この事件が米ソ核競争が本格化して冷戦が激化した1950年代中盤に起きたためだ。 当時、被爆事故が大問題になれば、世界の非難世論に押されて、核と水爆実験を進行できなくなるだろうと判断した米国と、遠洋漁業などの水産業が壊滅的な打撃を受けると憂慮した日本は、この事件を早期収拾することに意見を集約した。 それにより日本政府は1954年末まで、太平洋で操業を終えて帰ってきた船舶、船員、漁獲物(マグロ)に対する被爆調査を行いながらも、その資料を米国に通知しただけで外部には公表しなかった。 結局、日本政府は翌年の1955年1月に米国から200万ドル(当時の為替レートで7億2000万円)の慰労金を受け取ることでこの問題を「完全に解決する」という交換文書に署名した。

 しかし、当時日本政府は第五福竜丸を除く他の遠洋漁船の船員も相当程度の被爆にあったという事実を認識していたとみられる。NHK放送が昨年8月に放送したドキュメンタリー「水爆実験60年目の真実 ヒロシマが迫る“埋もれた被ばく”」を見ると、当時日本政府が被爆程度が激しい一部船員の血液検査までしていながら「何も異常はない」としただけで結果をまともに通知しなかったという船員の証言を伝えている。 特に水爆実験が行われた地点から1300キロ離れたところで操業中だった第二幸成丸の船員 桑野浩氏(放送当時81歳)は「水爆実験による死の灰が船に1、2センチほど積もった」と回顧した。

 歴史の中に埋められたビキニ被爆の記憶を蘇らせたのは、当時マグロ遠洋漁船の前進基地の一つであった四国の高知県の高校生たちだ。 高校生たちは1985年、広島・長崎原爆投下40周年をむかえて現地調査をする過程で、ビキニ被爆で高知県の多くの船員が今も苦痛を受けている現実を知った。 当時遠洋漁船の船員だった藤井節弥氏(1932~1960)は被爆後遺症の恐怖に耐えられず自殺した。

 驚くべき事実を知った高校生たちは、1985年9月に地域の高等学校教師の山下氏を中心に「高知県ビキニ水爆実験被害調査団」を結成し、本格的な調査を始める。 この過程を経て事故から34年が過ぎた1988年に調査対象である元船員204人のうち、3分の1程度にあたる61人が癌などの疾病で亡くなった事実を確認した。 驚くべき点は、一般男性では1万3000人に1人の割合で発病する白血病で亡くなった人が、204人中3人にもなるという事実だった。 高知県出身の国会議員は事故直後に日本政府が進めた調査結果を公開することを要求したが、当時の今井勇厚生大臣は記録の存在を否定して「30年も前の事で調査が難しい。対策を講じることは考え難い」と答えた。

 永く停滞状態に留まっていた真相調査活動は、2013年に入り反転の契機をむかえた。 山下氏は被爆と疾病の因果関係を長期間調査してきた広島大学に応援を要請した。 これを機に2013年4月、広島大学原爆放射線医科学研究所の星正治名誉教授(放射線物理学)、大瀧慈(おおたき めぐ)教授(統計学)、田中公夫教授(血液学)で構成された研究チームが発足した。当時船員の受けた被爆量が、放射線が人体に及ぼす影響を判定する国際的基準である被爆量100ミリシーベルトを越えたかを確認することを目標にした。

市田真理 第五福竜丸展示館学芸員(47)が展示中の第五福竜丸の実物を景にビキニ被爆の実態について説明している。 東京/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社

 60年前に起こった被爆を確認する方法が問題だった。 アイデアとして出てきたのは、人間が生涯使う歯だった。 長期にわたりうわさをたよりに捜した結果、2013年10月になって水爆実験当時現場から1300キロ離れた地点にいた遠洋漁船 第五明賀丸に乗船していたある船員の歯を確保できた。彼の歯を検査した結果、414ミリシーベルトの被爆量が確認された。このうち彼が日常生活やX線撮影で受けた被爆量を引いて、水爆実験による被爆量は319ミリシーベルトと推定された。 これを広島原爆の事例に換算すれば、爆心地からわずか1.6キロメートル離れた地点で浴びた被爆量と同等の数値だ。

 もしこの船員が広島で被爆したとすれば、被爆者健康手帳を支給され亡くなるまで医療費全額を受け取れる状況だった。 その他に、別に行われた船員18人の血液を通した染色体異常を調査した結果、13人から平均値より多い異常が発見され、そのうち8人は国際基準値より高い128~306ミリシーベルトの被爆にあったことが確認された。 国家が60年間認めなかった“第五福竜丸以外の被爆”が科学的に証明されたのだ。 またNHK放送などの情報公開請求等を通して、これまで厚生労働省が存在しないと主張してきた日本政府の事故直後の調査結果も公開された。

 それでは、今後日本政府は被爆した遠洋漁船船員に対する全面的調査を通じて60年にわたって隠蔽されてきた真実と痛みを明らかにできるのだろうか?

 市田真理 第五福竜丸展示館学芸員は14日、ハンギョレとのインタビューで「日本政府がそんなに積極的に出るとはまだ考えられない。毎日新聞の報道はちょっと先走っているようだ」と話した。 塩崎恭久厚生労働相も6日の記者会見で「まだ公開された資料に対する専門家の評価と検証を受ける段階だ。一応そこから始めなければならない」という程度の発言に終わった。

 広島・長崎原爆と3・11原発事故の苦痛を体験した日本が、ビキニ被爆のかくされた真実を全面的に明らかにできるかが注目される。

東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/674092.html 韓国語原文入力:2015/01/18 14:25
訳J.S(3903字)

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