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‘反米の象徴’退場…‘21世紀社会主義’夢も幕を下ろす

登録:2013-03-06 21:19 修正:2013-03-06 23:58
チャベス ベネズエラ大統領 死亡
オバマ "建設的関係発展できることを"
米、中南米と関係改善に乗り出す公算
ウゴ・チャベス大統領の支持者らが5日(現地時間)カラカスでチャベス大統領死亡の消息を聞いて悲しんでいる。 ニコラス・マドゥロ副大統領はこの日、チャベス大統領が2年間の癌闘病の末に58才で死亡したと明らかにした。 執権した14年間、チャベス大統領はたびたび国内と国際社会から自身の席に対する挑戦を受けた。 ベネズエラでも彼の対立的で威圧的なスタイルに対する好き嫌いははっきりしていた。 しかし彼はベネズエラ民族主義を利用した巧みな意思伝達者であり、戦略家として貧民層の幅広い支持を得た。 AP/ニューシス

"昨日ここに悪魔がきた。 まさにここに! そうだ ここに! まだ硫黄のにおいがするようだ。"

 2006年9月20日米国ニューヨークの国連本部総会の壇上の前でウゴ・チャベス ベネズエラ大統領は前日同じ位置に立ったジョージ・ブッシュ米国大統領を遠慮なく‘悪魔’(devil)と呼んだ。 ノーム・チョムスキーの本<覇権か、生存か-アメリカの世界戦略>を振りかざし、彼は 「20世紀に何が起きたかを知るにはこの本を読め」と熱弁を吐いた。 前日のブッシュの演説につまらなそうにしていた総会場に、この日は笑いと拍手が溢れた。

 全世界反米ブロックの象徴、チャベスが癌闘病の末に5日(現地時間)亡くなった。ベネズエラ政府は7日間の国家哀悼期間を宣言し8日に葬儀を行う。

 彼の退場は昨年の4選成功後の12月、4回目の手術のためにキューバに出発した時からすでに予告されていたが、米国中心の一極体制および新自由主義秩序に直接対抗した一時代の締め切りという格別の意味を持つ。 キューバではチャベスとともに20世紀を風靡したフィデル・カストロが2008年に権力の前面から退いた後、経済危機の中で実用主義的改革が進行しており、リビアのムアマル・カダフィは独裁者として2011年秋に反乱軍の銃に撃たれ最期を迎えた。 ‘独自の国家社会主義’(キューバ) ‘21世紀社会主義’(ベネズエラ) ‘人民直接民主主義’(リビア)という20世紀と21世紀にかけたこれらの実験は、社会主義の失敗以後、一時は熱狂的関心を集めたが、今はその影響力は2006年の国連総会の雰囲気とは比較すべくもない。

 チャベスが1998年大統領に当選した後に推進した一連の政策は5日付け米国の保守的な<タイム>さえ「ベネズエラはもちろん中南米にとて確実な解毒剤でありモーニングコール」だったと評価せざるを得ないものだった。 1989年‘カラカソ’と呼ばれる大衆蜂起が数千名の虐殺で終わった後、新自由主義的改革が進行されたベネズエラで彼の石油産業国有化や貧民層救済事業は即刻変化をもたらした。 執権初期に50%台を行き来していた失業率は2011年に32%まで下がった。 2000年代に入り中南米で執権した左派政権は彼に従い国有化などの一連の改革を推進し、永い歳月にわたりこの大陸を支配してきた寡頭支配階級の退潮と特権減少を持たらした。

 しかしチャベスの役割はここまでだった。 2005年‘21世紀社会主義’を掲げた彼には、極端な政策と統治で‘20世紀独裁者’の影がますます濃くなった。 絶対的貧困を救済した代わりに、社会内の貧富格差と階級敵対感は最大化された。

 人々はルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ前ブラジル大統領やミシェル・バチェレ前チリ大統領のような人をむしろ‘21世紀社会主義者’と呼び注目し始めた。

 外信らはベネズエラから豊富な石油の供給を受けてきたキューバや中国が直ちに打撃を受ける展望だと指摘した。 それでも米国の一方主義が通じた時代ではもはやない。 絶対的敵国も友邦もない‘frenemy’の時代に、米国もまたチャベスの死亡を契機に中南米との関係改善摸索に乗り出すものと見られる。 英国<ガーディアン>は昨年11月ニコラス・マドゥロ副大統領が米国側に大使級関係復元を提案したとし、米国の反応に注目した。 バラク・オバマ大統領はチャベス死亡の数時間後 「米国はベネズエラ国民に対する支持とベネズエラ政府との建設的な関係発展に対する関心を再確認する」という声明を発表した。

キム・ヨンヒ記者 dora@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/america/576872.html 韓国語原文入力:2013/03/06 19:51
訳J.S(1920字)

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