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42歳で田舎暮らし準備…200人が移住した海辺の村(1)=韓国

登録:2023-06-09 05:11 修正:2023-06-09 11:33
[ハンギョレ21×希望製作所共同企画]Xの地域づくり 
 
子どもたちは幸福学校を下校すると想像の遊び場へ 
42人で始まり220人以上になった「同苦同楽組合」
オルタナティブ・スクールを中心に人々が集った。南海尚州の風景=キム・ソミン提供//ハンギョレ新聞社

 <競争ではなく連帯、個人が尊重される共同体、自然に害を及ぼさない人間の暮らしは可能なのか。雲をつかむような話ではないのか。学生運動圏の最後の世代だとか、生意気な「X世代」だとか呼ばれて、IMF事態で一夜にして別の世界に足を踏み入れた人々の中には、地域に根を下ろした人もいる。そのような生き方は可能なのか不可能なのか。青年でも老人でもない彼らは、誰もが知っている道ではなく未知のXを選択した。民間の独立研究所「希望製作所」と共同企画で、このような人々の物語を連載する。>

 南海(ナムへ)の海は湾ごとに村がある。人口1600人ほどの慶尚南道南海郡尚州面(ナムヘグン・サンジュミョン)はウンモレ(銀砂)海岸に囲まれている。

 2023年5月11日、尚州福祉会館前のT字路で、南海尚州同苦同楽協同組合のイ・ジョンス理事長(54)はかばんを背負った少年にあいさつした。「お父さん、日本から帰って来たかい?」「まだです」。その間に、白い帽子をかぶった30代の青年が自転車でさーっと通り過ぎながら2人に手を振った。「ウグムチ劇団に行ってた友人です」。帽子をかぶったイ・サンホさんは尚州面の住民を集めて農楽隊を作り、地神踏みをしている。

 銀砂海岸の方へと路地を下りてゆき、協同組合の作った村のパン屋「ドンドン」に入ると、片側にはビーガンパンが置かれている。南海で作られたビール、エードなども売っている。路地をさらに下りていくと、銀砂海辺のすぐ前に尚州中学校がある。廃校の危機にさらされていた尚州中学校が、2016年に代案学校(オルタナティブ・スクール)へと生まれ変わったことで、競争ではなく連帯を目指す人々がこの地に集まってきた。

 銀砂海岸の小さな村でオルタナティブな共同体を作るための作党(群れをなすこと)がはじまった。

明日会おうと言っていた後輩が自ら命を絶つ

 「もはやこんな風に生きることはできない」。京畿道龍仁(ヨンイン)に住み、不動産資産管理会社(PFV)に勤めていたイ・ジョンス理事長は、2010年、42歳で田舎暮らしの準備を本格的に始めた。2009年のある日、職場の元後輩が彼に電話してきて一杯やろうと言った。株、先物オプションの情報もやり取りし合った後輩だった。彼は接待があるから明日会おうと言って切った。その晩、後輩は命を絶った。投資の失敗のためだった。

 イ理事長は学生運動を経験し、1997年2月に大学を卒業。ある大企業に就職した。その年の秋、国際通貨基金(IMF)通貨危機が勃発した。各部署に解雇の人数が割り当てられた。結婚していなかった彼は身を引いた。その後、ベンチャー企業、建設会社でサラリーマンとして生きた。

 「ある日振り返ってみたら、自分の人生が疲弊していました。建設会社の不条理をすべて知っていながら知らないふりをして金を稼ぐことに対して、懐疑が膨らみました」。上の息子が小学校に入学する時期だった。夫婦は子どもを塾巡りさせながら育てたくはなかった。

南海尚州同苦同楽協同組合のイ・ジョンス理事長は、青少年と高齢者が同じ村で助け合いながら生きる共同体を夢見る。それに賛同する住民は徐々に増えている=キム・ソミン提供//ハンギョレ新聞社

 その息子が小学校4年生になるまで、一家は全国津々浦々を歩き回った。イ理事長の故郷である忠清北道陰城(ウムソン)は田舎暮らしの選択肢から除いた。内陸高速道路が開通し、高架道路がそびえ立っていた。高速道路に乗って物流倉庫や工場がやって来た。彼が心を寄せた場所はことごとく畜舎、セメント工場、高架道路になった。「地の果てに行けば高架道路は建てないだろうと思ったんです。なんとなく安定感を与えてくれてひきつけられる場所があって、南海がそうでした」

 ある新聞で尚州中学校のことを読んで、イ理事長夫婦はこの地に根を下ろすことを決めた。1年間部屋を借りて行き来しつつ村の人たちと付き合い、2015年に家を建てて定着。ひとまず村の里長と親しくなった。村長のもとには村内のあらゆる情報が集まるものだ。間もなく青年会の総務を務めるように。村の運営委員会の監査もやることになった。

銀バジクラブ、銀砂の海を守る子どもたち

 2016年、尚州中学校に続き、尚州小学校も幸福学校に指定された。オルタナティブ教育を考える保護者たちが月に1回集まった。春と夏の研修にも共に出かけた。「オルタナティブ教育は親の認識が変わらなければ限界があるんですよ。保護者会で共同体を学んだってわけです」。2017年、この保護者たちと教師たちが集まって協同組合を作った。協同組合の課題は2つ。村と学校とをつなぐ教育共同体、そして共同体の経済的基盤づくりだ。

南海尚州同苦同楽協同組合のイ・ジョンス理事長は、青少年と高齢者が同じ村で助け合いながら生きる共同体を夢見る。それに賛同する住民は徐々に増えている=キム・ソミン提供//ハンギョレ新聞社

 協同組合が最初に作ったのは「想像の遊び場」だ。学校が終わったら都会から引っ越してきた子、もともとこの地に住んでいた子を問わず、一緒に遊ぶ場所だ。この子どもたちは「銀バジ」クラブを結成した。「銀砂の海を守る尚州小の子どもたち」の略称だ。浜で遊びながらゴミを一緒に拾った。協同組合は村教育共同体研究会も立ち上げ、人文学講座などを開催。チョ・ハン・ヘジョン教授、ユ・チャンボク教授らが講演しにやって来て、組合員になって帰っていった。

 「食糧倉庫」という名の食堂をオープンし、地域の農産物で給食を作る。カフェやパン屋のような、人が集まっておしゃべりする場所が必要だった。イ理事長が地元のニンニクを使用してパンを作る公募事業に挑戦したら、いきなり選ばれてしまった。問題は、彼がパンの作り方を知らないことだった。

人を見て人が来た

 ソウルの北村(プクチョン)でパン屋をやっている後輩に頼んだ。「君がパンを送ってくれたら、僕がソースでコーティングする」。あきれた計画だった。その北村の後輩のパン職人は、結局南海にやって来て定住した。今は協同組合のパン屋「ドンドン」で働いている。こんなふうに人を見て人がやって来た。

 銀砂海岸の小さな協同組合は夢のスケールが大きい。とてつもなく大きい。なんと資本主義の代案となる「エコシステム」だ。キーワードは「転換」。「都市モデルを農村に持ち込むと100%失敗します。立派なデパートを建てたところで、ソウルにはもっと立派なのがあるわけでしょう。競争教育、資本主義消費経済、個人的な暮らしではなく、暮らしのための教育、共同体経済と暮らしを夢見る人のための村を作らなくちゃ」

 働く場所、教育、住居、文化をこのエコシステムの中でつなげ、自生力を確保するという。協同組合が地域特産物の加工などに事業を拡大している理由はここにある。「協同組合の初期に、あの家この家と集まって学んだり遊んだりしていた時代は良かったな。今は仕事が多すぎます」

 差し迫っている仕事は「人生学校」だ。来年着工予定だ。「生き方の転換」を夢見る人のための学校だ。何を教えるのか? イ理事長はエコな自給自足システムを備えた「パーマカルチャー」農場をつくることを思い描いている。

 「ポスト資本主義においてはどんな生き方になるべきでしょうか。私は個人の自由な生き方が保障されるエコロジカルな共同体が答えだと思います。食料を自分たちで生産し、様々な人々が電気、木工などの生活に必要不可欠な技術を持ち寄れば、共同体は保たれます。ローカル単位のエネルギー自立こそが気候危機の解決策でもあります」(2に続く)

キム・ソミン|希望製作所研究委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1095156.html韓国語原文入力:2023-06-08 17:33
訳D.K

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