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[ルポ]水族館に最後に残されたミナミハンドウイルカの野生放流現場を行く(2)

登録:2022-08-23 05:23 修正:2022-08-23 10:41
ミナミハンドウイルカのピボンイが2022年8月4日、済州西帰浦市の大静邑沖に設置された訓練用の生け簀に移されている/聯合ニュース

(1の続き)

潮流の速さ、生きている魚に慣れたとしても

 ピボンイは、生け簀生活が始まった当初は動く餌に拒否感を示した。ある時などは、餌を与えたものの、もぐもぐと噛んでから吐き出し、駄々をこねた。しかし、わずか数日で死んで浮かんでいる餌はなくなった。ピボンイが水面に上がってくる時間も次第に減ったという。「ミナミハンドウイルカが水面に上がってくるのは、息をする時以外は珍しいことなんです。野生の本能を回復していく自然な過程です」(ホットピンク・ドルフィンズのチョ・ヤッコル代表)

 放流過程を総括する済州大学のキム・ビョンヨプ教授を取材した時、彼は事務所にかかっているカレンダーの「15日」を差した。8月15日は大潮で、1年で干満の差が最も大きな日であり、その日の夕から翌日の明け方まで強い潮の流れが生け簀を揺らした。「昨夜はリアルタイムでチェックしていたんですが、朝7時に波が低くなりはじめました。その時ようやく一息つきました。ピボンイはこのような峠を越えることで野生の潮流の速さに適応するのです」

 しかし、ピボンイの放流を眺める、憂慮の入り混じった逆の視線もある。ピボンイの気持ちは人間には分からず、ピボンイの生き残る可能性や幸せについての判断はすれ違う。「生きた魚をよく食べる? 群れとよく見つめ合っている? そのような姿は(放流後に死んだと推定される)クムドゥンイ、テポでもすべて観察されています」。動物自由連帯のチョ・ヒギョン代表の言葉だ。

 動物自由連帯などの懸念は一理ある。水族館のイルカの放流を3回経験したことで、イルカの元の生息地に水族館での生活が長くない個体をペアで放流すれば、放流が成功する可能性は高いということが知られるようになった。ピボンイの年齢は23歳と推定される。人間の年齢では40代半ばだ。4、5歳という若さで捕獲されたうえ、水族館で監禁されていた期間(17年)の方が野生で暮らしていた期間より長い。ピボンイは放流に成功したチェドリやチュンサミ、サンパリ、ポクスニ(水族館での生活期間は3~6年)よりも、2017年に放流されて以降は目撃されておらず死んだと推定されるクムドゥンイとテポ(水族館での生活期間は19~20年)に近い。そのうえピボンイは1頭での放流が準備されている。別の個体と共に放流を準備できれば、競争したり真似し合ったりすることが野生の本能を回復するのに役立つが、ピボンイにはそのような仲間がいない。

 チョ代表は、ピボンイの放流決定も性急だったと指摘する。放流に適するかが事前に十分に検証されていなかったにもかかわらず、2022年6月8日に海水部が主催した第1回会議ではすでに放流が決定されていたというのだ。「2頭のイルカの違法搬出をピボンイの放流で覆い隠してしまいました。企業の倫理は一貫していません。さらにピボンイの放流は、リゾート建設のためのイルカの処分というのが真の目的。性急な放流決定が、他の代案を議論する機会を奪ってしまいました」。湖畔ホテル&リゾートは放流費用を全額負担する。しかし、野生放流に失敗した時にピボンイを回収し、水族館に再び移す費用は湖畔が負担するという条項は協約書にない。批判が起こると、海洋水産部の関係者は「協議の余地がある」と釈明した。

西帰浦大静邑を訪れた観光客がミナミハンドウイルカの遊ぎを見て歓声をあげている。ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の放映後、済州を訪れる観光客の多くがここを訪れるようになった=リュ・ウジョン記者//ハンギョレ新聞社

「ピボンイ」命がけの冒険で終わらせないためには

 ピボンイが海に帰ったとしても、健康状態が悪い時に再捕獲するなどの適切な対処法がないという懸念も、同じ脈絡からのものだ。「責任よりもスローガンやロマンに頼っていると言いましょうか。もちろんイルカは海にいるべきです。でもそれは、イルカを海から連れてきて展示用に利用してはならないということです。水族館に一度閉じ込めたイルカをどうするかは、個体ごとに個別の判断を下さなければなりません。帰れる子なら帰るのが一番いいですよ。海に帰れない状態なら、海の憩いの場(サンクチュアリ)が欲しいですね。でも、どちらでもない。ピボンイは17年間水族館で暮らしてきたわけで、野生に適応するのが難しいかもしれないでしょう。それなら、動物がリラックスした状態でいられるようにしてあげることも必要なんです」

 放流協議体の立場は真逆だ。ホットピンク・ドルフィンズは「水族館生活が何年以上であれば野生に放流しても生存は不可能だ」という生物学的決定論に埋没すれば、ピボンイは結局水族館で死んでいくしかないではないかと問い返す。「水族館の立場からだけでイルカを見てはいけません。それは半分の視点に過ぎません。野生の立場が抜けています」(ホットピンク・ドルフィンズのチョ・ヤッコル代表)

 チョ代表は、放流に失敗したと考えられるクムドゥンイやテポの例を繰り返さぬよう、さまざまな代案を考案したと説明する。野生のミナミハンドウイルカがよく目撃される大静邑(テジョンウプ)の沖に生け簀を設置する、人間ではなくピボンイを基準としてスケジュールを組むために放流の実行日も決めていない、野生適応訓練と放流はすべて非公開にするなど、人間との接触を最小化したというのだ。「海に帰れずに水族館で生涯を終えることの方がピボンイにとって幸せなのでしょうか。監禁状態で幸せにはなれません」

 キム・ビョンヨプ教授も言う。「もし私が医者だとしたら、患者が死にそうなのに助けられるか助けられないかを計算するなんてせず、まずは助けるべきでしょう。放流するために最善を尽くすべきでしょう。かといって放流すると決めているわけでもありません」

ミナミハンドウイルカの群れが2022年8月16日、済州西帰浦市の大静沖を泳いでいる。呼吸するために水面上に出てきたイルカは6頭だが、20頭あまりの群れと推定される=リュ・ウジョン記者//ハンギョレ新聞社

 賽は投げられた。ピボンイはすでに生け簀の中にあり、放流するかどうかは遠からず決定されるだろう。キム・ビョンヨプ教授は、ピボンイの野生適応過程が長引けば、当初は8月末~9月初めに予定していた放流判断が延期される可能性もあるとみている。放流に適するかどうかを判断する科学的基準を設け、その基準に達しなければ、果敢に不放流を決めるべきだということに異論はない。判断は透明かつ慎重に行われなければならない。海水部の関係者は「今の放流計画が完璧だとは言えない。市民団体の懸念は知っている。補完が必要な部分には十分な代案を用意する」と述べた。

 もちろん、放流は不適との判断が下されて水族館に戻されることも、ピボンイにとっては深刻なストレスとなるだろう。基準に達しなくても放流協議体が放流を推し進めることも疑われる。だから、関連団体ごとに立場は異なるものの、放流プロジェクトが成功することを切に願う気持ちだけは同じだ。

日本とロシアのイルカは?

 ピボンイが海に戻れば、韓国国内の水族館には日本の和歌山県太地やロシアで捕らえられ売られてきたイルカの個体が残る。水族館のイルカは、もともと住んでいた生息地に放すのが原則だ。海水部は2023年下半期に海外の放流地にベルーガを放流することも検討中だと明らかにしたが、海外放流は済州沿岸よりもさらに厳しくならざるを得ない。海のサンクチュアリもまだまだ遠い話だ。生け簀形態のクジラのサンクチュアリを海に作るという海水部の構想は、200億~300億ウォン(約20億4000万~30億6000万円)にのぼる予算の確保、漁民との協議などが前提にならなければならないため、実行に移されるかは未知数だ。

 2022年8月現在で韓国には、監禁施設となっている5つの水族館に21頭のクジラの仲間が監禁されている。水族館に残されているイルカたちはどうすべきか。

 人間はピボンイの気持ちが分からない。人間が勝手に野生から連れてきておきながら、その過ちを収拾する過程で最善を尽くすやり方。それはどのようなものであるべきか。それは科学というより倫理の問題かもしれない。2013年のチェドリ、サンパリ、チュンサミの野生放流は、水族館にイルカを閉じ込め、人間の意のままに搾取するのは間違っていると公表し、これを正していくための第一歩だった。2022年、あの時よりも問いはもっと具体的で難解になった。

済州/コ・ハンソル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1055649.html韓国語原文入力:2022-08-22 11:56
訳D.K

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