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シベリア横断列車に乗り歴史を横断する

原文入力:2011/08/17 21:21(2960字)
ユ・ガンムン記者


‘東海からバイカルまで’ 6泊8日 大長征
小学生からおじいさんまで参加者 69人 汽車に乗り
ウラジオストックから出発 バイカル湖まで4100km
95%が未開発なシベリア 歴史の地であり資源の宝庫


←シベリア横断列車がロシア ウランウデ草原を走っている。果てしなく続く草原に沿ってこの大地に染みついた歴史が次から次へと現れる。汽車に乗り行ってみれば日の出と夕陽、草原と森林地帯がパノラマのように眼前に繰り広げられる。ウランウデ/カン・チャングァン記者 chang@hani.co.kr


シベリアはもはや‘凍土の地’ではない。韓半島を越え大陸につながる鉄のシルクロードを夢見る‘希望の地’だ。資源共同開発を通じて東北アジア共生のモデルを切り開く所でもある。ハンギョレ平和研究所と培材大、韓国-シベリアセンターが‘東海からバイカルまで’というスローガンを掲げシベリアを横断した。ウラジオストックからイルクーツクまで4100kmを走って捉えたシベリアの実像を紹介する。

7月31日夜9時30分。まだ午後3~4時のように明るい。北緯43度の都市 ウラジオストックで夜は貴重だ。時計の針が夜の11時を指す頃に闇が訪ねてくる。 空港に到着し7時間余りでウラジオストックからイルクーツクに向かうシベリア横断列車に乗り込んだ。大草原を横切り4100kmを走る大長征のはじまりだ。モスクワまで行く9288km旅程に較べれば半分にもならない距離だ。それでも3泊4日、61時間をずっと列車の中で過ごすことになる。中間にハバロフスクで降り、アムール川流域を見て回る2時間、汽車が停まるいくつかの駅で大地を踏む10~30分だけが例外だ。


汽車に乗り込んだ一行は計69人。10才の小学生から70歳を遥かに越えたおじいさんまで年齢はさまざまだ。初めての長旅に出た女性、夏期休暇地をシベリア横断列車に決めた夫婦、子供たちを教える仕事をしている従姉妹、画家、詩人、政治家、建築家、医師、教授…。職業はもちろん理由も様々な人々で列車が込み合う。


←シベリア大長征への参加者がハバロフスクを発ちイルクーツクに向かう列車の中でチョン・テオン培材大、韓国-シベリアセンター教授から講演を聞いている。この講演はシベリアを主題にした‘リレー列車講座’の一つだ。横断鉄道/カン・チャングァン記者


シベリア横断はこの地に染みた歴史を再確認する旅だ。帝政ロシアの最後の皇帝ニコライ2世の時に受刑者がこの鉄道を敷設し、数多くの韓国人独立軍と彼らを追跡した密偵らが列車に乗った。1937年、スターリン時期に中央アジアへ強制移住させられた高麗人の涙をはらんでいたりもする。ボルシェビキ革命後、モスクワから追放されシベリアへ流刑された貴族らと、夫を探し単身汽車に乗った女性らの足跡もまた鮮烈だ。今回の旅行に同行した民俗学者チュ・カンヒョン済州(チェジュ)大客員教授は「100年以上の歴史が鉄道に沿って走馬灯のように通り過ぎる」と語る。


列車の中で初めて迎える夜。互いに知っている人も知らない人も親しく組を作り4人1組で一つの客室を使うことになったこれらの人々は各自が持ち寄った酒を取り出しテーブルに載せる。果てしなく続くシラカバの香りが酒のつまみだ。0~13までアルコール度数別に数字が書かれているというロシア産ビール、ぴりっとするように喉を伝って降りて行くウオッカ、ソウルから持ってきた焼酎、フランス産ワインなどが入り乱れる。旅行、帰郷、事業などのために列車に乗った多国籍の乗客が気さくに入り乱れるように、シベリア横断列車はささいなことで国籍を葬る。


シベリアは100余りに及ぶ土着民族の故郷だ。35万人で土着民族の中で最も人口の多いブリャート族、言語に対する保存意識が高いヤクーツク族、自治区として種族を継続するアルタイ族、モンゴルの影響を多く受けたトゥビン族などがそれだ。20世紀以後、シベリアの歴史はロシア帝国がこれら少数民族を消すための‘否認’の歴史であった。ロシアは政教一致社会を率いたこれら少数民族の‘シャーマン’を迷信と呼び全て処刑した。キム・テジン培材大教養教育支援センターロシア語教授は「帝国主義に踏みにじられ強制移住させられた高麗人たちの痛恨と日本帝国主義に勝ち抜くためにハーグまで列車に乗って行ったイ・ジュン烈士をはじめとする独立活動家らの記憶がシベリア少数民族植民史と重なる」話す。しかし、1992年ソビエト連邦が解体された後、シベリア少数民族は民族文化再生のために‘第2シャーマン運動’を行っている。南北韓が1945年の解放以後、植民の記憶を剥ぎ取っていることとも似ていた。


←海のような湖、湖のような海 バイカルにはオリホン島が浮かんでいる。韓民族の始原を入れたオリホン島の夜空には四季の星が一緒に輝く。シベリア大長征参加者がオリホン島周辺の小さな岩に上って記念写真を撮っている。 オリホン島/カン・チャングァン記者


列車が走る間、食堂車ではシベリアを主題にした‘リレー講座’が開かれた。果てしなく続く大自然を背景に、シベリアの潜在力が次から次へと語られる。キム・ジョンフン培材大、韓国-シベリアセンター責任研究員は「シベリアは開発率が5%にもならない資源の宝庫」と話す。実際に車窓の外にはシベリアに1万以上存在するという河川が直線から半月形に、また太極模様に形を変えながらぐにゃぐにゃと流れる。世界森林の5分の1以上を占めるという森は見るのもうんざりするほどだ。大地には石油と天然ガス、石炭が大量に埋蔵されている。課題は空路・水路・鉄路をつなぎ南北関係を復元しこの資源の利用権を分けることだ。


8月3日午後6時、列車は‘シベリアのパリ’と言われるイルクーツクに到着した。 長い旅程を終えた列車は苦し気に息を切らす。モミの森の中に用意された宿舎ヨルロチカで2晩を過ごし、世界で9番目に大きな湖というバイカル(面積3万1500平方km)を訪ねに出発した。バスに乗り非舗装道路を7時間走り到着すると、目の前に‘淡水の海’が広がる。パク・サンジン釜山外大教授は「ソウルから北韓・中国・ロシアの3国が触れ合うウラジオストックを過ぎ、またモンゴル境界隣接地域を通りこちらバイカルまできた」として「二人が境界を越えて愛しあうように、二つの国家が互いの境界を越えれば統一も和解も協力もそれほど難しいことではないということを悟れる」と話した。


8月5日夜、バイカルで最も大きな島であるオリホン島に焚き火が燃えた。シベリアを横切りバイカルを訪れた韓国人が、お互いの境界を崩し大自然のふところに抱かれる。オリホン島では四季の星が同時に見える。拳ほどの星が頭上にあふれていた。


ウラジオストック・ハバロフスク・イルクーツク/パク・スジン記者 jin21@hani.co.kr 後援 POSCO

原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/492236.html 訳J.S