原文入力:2011/07/20 22:21(4715字)
チェ・ウソン記者
‘日本の再構成’著者 パトリック スミス インタビュー
←パトリック・スミスは成長を成功の唯一の尺度とした社会を越えようとするアジアの新しい流れを‘後期物質主義’と呼ぶ。 彼は 「アジアが19世紀に出発した旅程の終わりに達した」 として、去る150年間 西欧に追いつこうと努力したアジアが今や西欧に何かを教えようとしているようだと話す。 パトリック・スミス提供
灯火が消えた時代だ。 永く世界経済を率いてきた米国とヨーロッパは財政危機に包まれている。 地球各地の境は苦しい息を切らしている。 中国とインドが大量消費の隊列に参加し資源枯渇速度も速まっている。 去る3月、日本を強打した大地震と原子力発電所事故は技術と開発に対する盲信、成長を幸福の唯一の尺度として掲げてきた意識体系を揺るがした。
闇の中で道に迷わないようにするには座標をしっかり見回さなければならない。この点でアジアで芽生えている新しい流れは注目に値する。 物質中心的な西欧の価値を盲目的に追いかけてきて火傷を負い、そこから抜け出し自然と人間、共同体が一つに交わったアジア的価値を再発見しようとする動きもその一つだ。 危機の‘国境’が消えた世の中で、地域社会全体を合わせた目で危機に対抗する共同の努力は新しい経験であり資産だ。
<ハンギョレ>が2011年特別企画として用意した‘アジア、私たちの共同の未来’はこういう新しい動きを長い目で探ってみようとする意図から出発した。 第1部‘大災難以後のアジア’はシリーズ全体の総論性格を帯びている。 去る3月に日本を襲った大地震と原発事故を契機にアジア各地で起きている省察と反省を調べる。第2部‘災難のない社会、企業が導く’では、環境破壊を防止し災難の芽をなくそうとしているアジア代表企業らの忙しい歩みを扱う。 第3部‘アジアがアジアに’ではアジア社会各地の問題をアジア全体が力を合わせて解決しようとしている事例を紹介する。 チェ・ウソン記者 morgen@hani.co.kr
"日本 原発大災難、低成長の受け入れの契機となるだろう
韓国、近代・環境への関心が混在 アジアでは‘一般的現象’
中国、西欧化に夢中だが‘中国らしさ’追求も強烈
‘真のモダン’アジア、社民主義に似ている
アジアは人類の未来にどんな答を準備しているだろうか。 東洋と西洋を行き来してアジアを見回してきた著述家パトリック スミスは「アジアが '脱成長’という新しい世紀の原理を創りつつある」と診断する。 非西洋地域では初めて物質的近代化を成しとげ、底辺に生き残った伝統と西欧から移植された文化を全て自身の姿として受け入れ新たに進化しているということだ。 彼とのインタビューは電子メールで行われた。 理解のために補充が必要な部分は彼の了解を得て著述と寄稿文を参照して追加した。
-あなたはアジアが19世紀に出発した旅程の最終段階に到達したと言った。 すなわちアジアの近代を規定してきた物質的なプロジェクトがほとんど完了し、他の種類のプロジェクトが始まろうとしていると話した。そのような新しい思潮を一言で言えば何だろうか?
"私はそれを‘後期物質主義’と呼びたい。日本の学者 加藤典洋は私が考えるのと似た意味で‘後期成長社会’という言葉を使った。 後期物質主義は成長を成功の唯一の尺度とした社会を越えることだ。 これはとても新しいものだ。 一世紀半 西欧に追いつこうと努力したアジアは今や西欧に何かを教えようとしているようだ。 誰もがこういう行動計画を受け入れるわけではないが、こういう考えの耐久力を過小評価してはならない。"
-そのような考えに至った契機は何か? あなたはアジアが移植された近代化の物質的発展にばかり集中して高度資本主義消費社会に到達し虚無主義に閉じ込められることになると言っていたが。
"決定的な契機は物質的近代化が終点に至ったということだ。 これは‘今後何をしなければならないのか? 今の私たちは誰か’という根源的な問いを呼び起こした。 こういうモメンタムは1980年代に日本に現れ、ちょっと後には韓国や他の地域に広がった。 中国はたった今、こういう問いをし始めた。"
-あなたは'近代性’を'物質的近代化’と区別される内面的体系の再確立問題と見た。 アジアが自ら考えアイデンティティの確立に向かっていることを脱西欧化、脱近代化という言葉で概念化できるか?
“私は脱西欧化や脱近代化が争点だとは思わない。もっと重要なことはアジアが西欧化と近代化を近代アジア史の一部として受け入れるのか、西欧化と近代化の意味を再規定し今後はアジア的なものだったとできるか否かだ。”
-今アジアに現れていることは近代の克服を模索してきた西欧にも答となりうるか?
“そうなると考える。‘社会とは何か’また‘成功的な社会とは何か’を再概念化するためにアジアが寄与できると見る。 だが、西欧がそういう変化を自身の価値として受け入れるかは別の問題だ。”
-なぜ特別にアジアがこういう問題に対する解答を出せると思うのか?
“アジアは独特の位置に置かれている。 アジアは物質的近代化プロジェクトを完成したり完了していく唯一の非西洋地域だ。彼らは西欧を受け入れ模倣したが、その底辺には非西欧的な価値が今なお残っていた。 アジアは非常に多彩な地域だがこういう経験はすべてのアジア人に共有されている。 したがって西欧が答えられない問題に解決法を提示するアジアだけの責務がある。”
-地震津波と福島原発事故が与えた衝撃は日本人の考えをどのように変えたのか? こういう衝撃が日本が150年以上にわたり熱中してきた西欧式近代化の限界を再認識させ新しい政治・経済・社会パラダイムを内面化する契機になると見るか?
“そうだ。 原発事故の社会経済的‘落塵’があるならば、日本国民は経済大国としての地位を譲歩しても低成長を受け入れる人生観を持つようになるだろう。 直接影響を受けなかった地域でもすべての問題の解決策としてテクノロジーに対する長年の信頼、西欧から伝授されたこういう信頼を再考し始めた。 日本を今まで引っ張って来た‘1等主義’を超越することを考え始めたのだ。 日本が‘成長に拘らない社会’を模索したのは事実以前からだ。 日本のいわゆる‘失われた20年’は一面的進歩と市場に焦点を合わせた既存観念にバランスを取ろうとする新しい経済・社会・環境的価値を求める摸索の期間だった。 限界がますます明確になる世の中で日本は成長を飛び越えるものが何かを見せることになるだろう。”
-世界的強国に浮上した中国は相変らず成長に没頭していて、より多くの原発を作ろうとしている。 だが、あなたは中国が日本の経験から多くのことを学んでいて、成長よりも持続可能性を考えることになるだろうといった。あまりに楽観的な考えではないか?
“中国は現在の西欧化を通した近代化に強迫的にすがっている。 彼らは19世紀に日本が行ったように、西欧化と近代化とを混同している。 だが、私たちは彼らの底辺を見る必要がある。 見えるものが全てではない。 今、中国でなされている実験にはさらに多くの意味が込められている。 西欧化プロジェクトに多くの疑問が提起されていて、中国人のアイデンティティ‘中国らしさ’に対する追求も強烈だ。 私が鼓舞的に考えることがまさにこの点だ。 今。、中国でおきていることは中国が真の近代化に向かって進む過程だ。 これは中国が西欧の反映物ではなく、ついに自身を発見することを意味する。”
-主要アジア国家の一つである韓国は相変らず西欧的近代性に深く足を漬けているようだ。 現政権は4大河川を直線的にする大規模土建事業を進行中だ。 日本の惨事を見ても原発をもっと作って、輸出産業化するという計画を押し進めている。反面、福祉と環境に対する関心が高まりながらますます重要な政治的議題になっている。こういう入り乱れをどのように理解すればよいのか?
“それはアジアでは一般的な現象だ。 私たちが知らなければならないことは、新しい時代がきて旧時代が退くことが教科書で説明されるようにすっきりとは進まないという点だ。 私たちがヨーロッパの近代と呼ぶ時期にも近代的なことと共に前近代的な思考がいっぱいだった。理性の時代が常に理性的であるわけではなかった。 アジア、韓国が今そうだ。 ところで驚いてはいけない。 変化は徐々にきて、古くなったものはゆっくりと退く。”
-脱西欧のアイデンティティを訪ねる、すなわち近代性に土台を置いたアジア共同体はどんな姿か?
“真に'モダン’なアジアはヨーロッパの社民主義と類似しているだろう。 成熟する精神を後押しする制度的成長もまたあるだろう。 アジアの伝統を見れば英米式‘市場原理主義’よりは、戦後ドイツに現れた‘社会的市場経済’と親和性があるのではないか? アジア共同体もやはり制度化の問題だ。 アジアが成熟するにつれ何らかの制度的フレームが現れるだろう。 そういう兆候を北核6者会談に目撃する。 多くの知識人が6者会談の枠組みが、その会談が終了した後にも維持されると見ている。 アジアの多様性はこの地域で共通市場や通貨ファンドあるいは類似した
制度が現れにくい理由として指摘されてきたが、私はそうではないと考える。多様性と背馳性は消えないだろうが、事実それは望ましいことだ。 イ・ポンヒョン ハンギョレ経済研究所研究委員 bhlee@hani.co.kr
チャン・ハジュンも絶賛した‘東洋問題著述家’
パトリック・スミスは誰?
ルーズ ベネディクトの著書<菊と刀>に肩を並べる卓越した日本分析書に挙げられる<日本の再構成>を書いた言論人であり著述家だ。 政治、社会、文化、教育、芸術などほとんどあらゆる分野を行き来して日本の隠された姿を見せるこの本はその年<ニューヨーク タイムズ>が選定した‘今年の注目図書’に選ばれた。
彼は最近、脱西欧時代にアジアがどのように変わっているかを扱ったエッセイ<他の誰かの世紀>を出版した。 この本で彼はアジアが西欧の未来という観点を明確に表わす。 本の題名に出てくる‘他の誰か’はまさにアジアを指す。 彼は本で“今や私たちは新しい世紀がもはや西欧の世紀ではないということを認める時がきた”と宣言する。
彼が注目するアジアは西欧に従うアジアではなく、西欧に対抗するアジアでもない。 彼は西欧的近代化でアイデンティティの混乱と自我分裂を体験した‘ありのままのアジア’に新しい世紀の滋養分を発見する。
彼は<インターナショナル ヘラルド トリビューン>東京支局長(1987~1991)と<ニューヨーカー>、<ファイストン エコノミック レビュー>特派員として20年以上アジア各地を回った。 チャン・ハジュン教授(英国ケンブリッジ大)は<他の誰かの世紀>推薦のことばで、彼を“東洋と西洋を行き来する視覚で東洋を理解し、ある面では東洋人より東洋をさらによく理解している、世界的に珍しい著述家”と紹介した。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/488336.html 訳J.S