投資資産が値上がりするためには燃料が必要だ。一般的には流動性が強調される。爆発的に上昇するためには「ストーリー」も必須だ。現在の株式市場のストーリーは人工知能(AI)とデータセンターだ。暗号資産を押し上げたストーリーは今回も例外ではない。「法定通貨の没落」と、あらゆるものがデジタル資産に切り替わるという信念だ。最近では後者が強調される。2025年にメディアが注目した資産のなかで、代表的なものは金(きん)だ。金を押し上げたストーリーは過去と大して変わらない。ドルの価値の下落、ドルシステムの崩壊、急増する国家債務だ。これらすべては一つの点を示している。法定通貨、特にドルの崩壊だ。株式は時代の流れを反映するため、そのストーリーもそれに応じて変わる。しかし、金と暗号資産は終始一貫している。特に金をめぐっては20世紀から21世紀に入っても変わらずにいる。いったいそのストーリーはいつ現実になるのか。
安全資産の代名詞と呼ばれる金の価格はかなり暴力的に動くという事実を知る人は、どれほどいるだろうか。金価格は20世紀には比較的安定した傾向を示した。しかし、21世紀に入ると、かなりの変動性を示すようになる。特に2010年初頭には、ほぼ半値まで下落したこともあった。2025年10月末までの1年間の上昇幅は、他の資産群がかすむほどだ。1オンスあたり約2500ドルから4400ドル程度にまで上昇したため、ほぼ80%値上がりした。10月末までのS&P500の上昇率は約20%だったため、何と4倍に達する上昇率だ。
重要なのは金をめぐるストーリーだ。それがいかに強固なのかによって、金価格は激しい変動性を示す可能性がある。もし根拠がないストーリーであれば、予想外の落ち込み幅を示すことになりうる。もちろん、金を保有しようとする人間の欲望はある程度はDNAに刻み込まれているため、安全資産という肩書を失うことはないだろう。それでも、金色のように輝く将来が続くと断言することはできない。
■主要中央銀行の金保有現状
各国の中央銀行、特に中国を含む新興国の中央銀行が金の保有を増やしているのは事実だ。しかし、これらの中央銀行が金を購入する理由が脱ドルに一方的に重点が置かれているというストーリーは、思ったより根拠に乏しい。
中国の中央銀行である人民銀行は過去数年間、全世界の中央銀行のなかで最も積極的に金を購入した。理由は、外貨準備高の多角化や米中対立などの地政学的不確実性に備えるためだ。2025年6月時点での金保有量は約2300トンに達する。これは公式に報告された国別順位では、世界6位前後に位置する。中国は長年、金保有量をひそかにゆっくりと増やしてきたが、最近では公開的かつ攻撃的に増やしている。
ならば、中国の金保有量は、外貨準備高(2025年10月末時点)全体の3兆3430億ドルのうちどの程度になるのだろうか。世界6位の保有量であるのなら、高い割合を占めると考えるだろうが、意外にも低い。2023年末時点では、外貨準備高の8.89%程度だ。史上最高値ではあるが、欧州諸国の60%水準と比較すれば、非常に低い方だ。ドイツ、イタリア、フランスなどの欧州主要国の割合は60%を上回る。欧州中央銀行の金の割合も25~34%の水準だ。
インド中央銀行はどうだろうか。中国と同じく、金保有量を着実かつ戦略的に増やしてはいる。2018年から金の買い入れを本格化した。2022年は約65トン、2023年は約57トンを購入し、2025年9月時点では約880トンの金を保有中だ。2001年第2四半期は約358トン規模だったため、2倍以上に増えたことになる。これは、全世界の中央銀行では9位前後に当たる規模だ。外貨準備高全体で金が占める割合も、10年前の約7%未満から、2025年10月時点では約14.7%にまで増加した。米ドルに対する依存度を減らし、地政学的不確実性に備えるためであろう。同時に、金が占めるインドでの文化的・宗教的重要性も一役買ったのだろう。
世界金協会(ワールド・ゴールド・カウンシル、WGC)の統計によると、2025年9月末までに金保有量を最も多く増やした中央銀行は、中国でもインドでもない。ポーランド、カザフスタン、アゼルバイジャンの中央銀行が上位を占める。中国、ブラジル、インドなどの新興経済国の協力枠組み「BRICS」の諸国も金保有量を増やしはした。しかし、それらの国の経済規模を考慮すれば、決して大きく増やしたわけではない。
■はたして脱ドルを意味するのか
このような動きに対するメディアの解釈は一貫しているが、断片的だ。これを最もよく表現しているのが、ビジネスデータ・プラットフォーム企業のスタティスタ(Statista)の論評だ。
「各国の中央銀行は象徴的な限度を超えた。ほぼ30年ぶりに初めて金の保有額が米国財務省証券の保有額を上回った。この変化は、外貨保有がドル建て証券から実物資産へと徐々に切り替わっていることを象徴している」
スタティスタは統計をビジュアル資料化する代表的な企業だ。同社の図を見るとぞくっとする。少なくとも米国人が見ればそうなるだろう。2025年についに各国の中央銀行が保有する金保有額が米債券の保有額を上回った。米国債は23%、金は24%だ。このような逆転は1995年以来初めてだ。図だけ見ると、途方もないことが起きているという感じを受けることになる。
はたしてそうだろうか。この図の最大の問題点は、「金額」だけを反映したことだ。この数年間は金利が上昇したため、債券価格は下落した。一方、金価格は高騰を続けた。新興国の中央銀行が金保有量を増やしたことは事実だが、過去5年間で中央銀行の金保有量は約5%増えたにすぎない。一方、金価格は1オンスあたり1500ドル程度から4000ドルに急騰した。このように急騰した金額が外貨保有額として計上されたため、金額で比較すると金と債券の保有額が逆転した。このようなことから、債券から金に外貨保有状況が変わると表現するのは過度の誇張だ。もし、金利が下がって債券価格が上昇し、金価格が下落すれば、状況はいつでも変わることになりうる。真に資産が金に転換されると主張するためには、金保有については金額だけでなく重量の急増が伴わなければならない。保有量の5%増加をもってして、金への転換だと断定することはできない。
もう一つ重要な点がある。金保有量を増やして脱ドルを意図するには、米国債の保有量が減少しなければならない。各国の中央銀行は国債を売り越しはしなかった。それどころか、記録的な規模で買い取った。外国人の米国債の保有額は、現時点で9兆ドルを超える。セントルイス連邦準備銀行が発表する外国および国際投資家が保有する米国債の規模は、2025年第2四半期時点で9兆1000億ドルを上回る。史上最高だ。
結論としては、中央銀行は過去5年間に金保有量を増やしたことは事実だ。しかし、これは脱ドルを意図したものというよりは、ポートフォリオの再調整の影響だと考えるべきだ。ドルが自国の通貨に対して安くなる場合に備え、金を追加したのだ。ドルの代替材というよりも、多角化戦略とみなすべきだ。WGCの最近のアンケート調査によると、ドルの割合を減らす計画だと答えた中央銀行は少数にすぎなかった。米国債を売却する計画があるかとの質問に「そうだ」と答えた割合はさらに低かった。これは、多くの中央銀行が依然としてドルを安定した基軸通貨とみていることを物語っている。
■金の最大の短所
仮にドルが基軸通貨の地位を失うとしても、金が別の基軸通貨に取って代わることはできない。保管が困難で運送コストもかさみ、利子が発生しない。何より、取引媒体としての機能がきわめて制限的だ。金の最大の短所は、自主的に収益を発生させない点だ。金を保管しても、利子は発生しない。むしろ、保管料を支払わなければならない。株式のように配当もない。ただ、価格変動に頼って収益を期待するしかない。
最も重要な点は、外貨保有を金で切り替える場合には、想像できないほどの損害を覚悟しなければならないということだ。現時点で保有している国債を売らなければならないが、これは世界の金融市場に大混乱を引き起こし、国債の値崩れにつながるため、大きな損害は避けられない。肉を切らせて骨を断つ覚悟なしにはできない。中央銀行が金を保有する理由は、それがドルに代替しうるという信頼のためでない。基軸通貨が何であれ、それを補完するための手段にすぎない。
法定通貨が崩壊直前でドルの終末が遠くないという主張は、現実に基づくというよりも、理念的な呪術に近い。ドルの基軸通貨の地位が揺らいでいるのは事実だ。米国の政治は不安で混乱している。信頼を自ら破壊している。これは、長期的にはドルの地位を揺るがす可能性がある。しかし、それは遠い未来に発生する一つの可能性にすぎない。現時点では、法定通貨やドルの崩壊の可能性はない。米国債の需要は変わらず堅調で、世界の取引の80%はドルで決済される。外貨準備高の60%程度はドルだ。
金価格上昇の燃料だった「ストーリー」はなかなか変わらない。世界が比較的安定していた時は水面下に潜伏し、不安になるとひそかに再浮上する。不安と混乱は金の糧だ。明らかな点は、そのストーリーが完成するためには、非合理的な破局が前提になる必要があるということだ。現体制が崩壊する大規模な混乱を前提とする。しかし、理性的に考えてみれば、それがいかに不合理なのか分かる。世界は簡単には変わらない。完成された体制には、それ自体に生命力が存在する。ドルの構造的な劣勢と崩壊、法定通貨の没落はまったく別の問題だ。金をめぐるストーリーが完成する可能性はほとんどない。