「韓国の経済成長は単なる経済的現象ではありません。もちろん経済的な現象ではありますが、同時に文化的な現象でもあります」
昨年のノーベル経済学賞受賞者、ジェームズ・A・ロビンソン教授(米国シカゴ大)は24日、全羅南道霊岩(ヨンアム)で開催された「2025金大中(キム・デジュン)平和会議」で、「平和経済:世界と朝鮮半島のための戦略」をテーマにオンライン講演をおこなった。金大中平和会議は全羅南道、木浦市(モクポシ)、新安郡(シナングン)が共催し、金大中平和センターが主管する国際行事。
ロビンソン教授は、国家間の所得格差は地理、気候、文化などの要素ではなく政治・経済制度の違いから生じると考える学者だ。同氏は「経済的現象と文化的現象は当然関連し合っている」として、「米国も同じだ。ハリウッド、コカコーラ、ジーンズなどの文化全体が米国の経済的成功、拡大とつながっている」と語った。同氏は「韓国も同じだ」として、韓国のK-ビューティー、K-ドラマ、K-POP、K-民主主義を例にあげた。
同氏はこの日、金元大統領のことを「民主主義と包摂、政治的・経済的包摂のために闘った」指導者だと語った。ロビンソン教授は「経済学者たちは、韓国の経済的奇跡を導く要因が『革新』だということに同意する」と紹介した。18世紀後半の英国の産業革命では分業化と機械化、鉄道の登場が革新を呼んだ。1880年の米国でのトーマス・エジソンによる電球の特許取得も同様だ。ロビンソン教授は「特許は包摂的経済制度のすばらしい例」だとして、「特許の多い韓国も、人口規模に比べて世界で最も革新的な社会の一つ」だと述べた。
「包摂的な経済制度」が革新をもたらし、革新が韓国の急速な経済成長を導く「けん引役」を果たしてきた、というのが同氏の考えだ。包摂的な経済制度は「包摂的な政治制度」を構築してきたからだ。ロビンソン教授は「韓国で実際に民主主義が強固に定着したのは、金元大統領が政権を握った1990年代後半、1998年のことだった」とし、「この時期に韓国の民主主義の水準は、世界平均を下回るものから世界平均をはるかに上回るものになった」と強調した。指導者のリーダーシップと市民の抵抗が包摂的な政治空間を作り出したのだ。「金元大統領は民主主義のために闘い、独裁を倒し、政治体制を開放し、国民の参加と代表性を保障するための闘いに一生をささげました。これこそが核心です」。同氏は「韓国では社会の構成員が変化と政治的包摂を実現することにより、経済的包摂と経済成長を進めた」と強調した。
搾取的経済成長の最も代表的な例としてはソ連をあげた。同氏は「経済学者ポール・サミュエルソンは著書で、ソ連は米国に追いつくと予測した」として、「ソ連の経済モデルは効力があったし、実際に1920年代の最初の5カ年計画から1970年代中後半までの約50年間にわたり、この経済モデルは効果を発揮しているようにみえた」と語った。しかし、ソ連の成長は包摂的な経済制度を持てなかったため一時的なものだった、というのがロビンソン教授の指摘だ。そのため「中国の経済成長も一時的なものだろう」と同氏は予測する。包摂的な経済制度の反対の概念である搾取的な経済制度が貧困を招く例としては、同氏は北朝鮮をあげた。ロビンソン教授は「ソ連や中国などは、少数のエリートの気まぐれのせいで包摂的経済制度が持てない」と語った。
「韓国人の生活水準を驚くほど向上させた民主主義は、なぜ挑戦を受けているのでしょうか」。同氏はこの日、韓国の民主主義の現状について語ることで発表を終えた。「最近、韓国で戒厳の宣布が試みられた。今、私たちは逆流を経験している」、「逆方向の流れが世界各地で民主主義に挑戦している」という。1832年の最初の選挙法改正を皮切りに、1919年には男性参政権、1928年には女性参政権が導入されるなど、この時代は民主化の流れの中にあったが、1930年代には「逆流」にみまわれた。アルゼンチンをはじめとするラテンアメリカ全域で、ドイツや西欧でも民主主義は崩壊した。第2次世界大戦後には改めて民主化の波が来て、その後はまたも逆流した。ロビンソン教授は「1990年代の韓国、フィリピン、ラテンアメリカ、サハラ以南全域の民主主義の流れは『第3の波』だった」として、「今はまた逆流に襲われている」と述べた。
しかし、同氏の韓国の政治状況に対する診断は楽観的だった。「良いニュースは、私たちは以前にもこのような状況を経験し、結局は克服し、その後に第4の民主主義の波がやって来たということです。ここに安住する理由はまったくありません。このようなことは人々が作り出し、人々が闘って成し遂げるのです。金大中元大統領が生涯そうしたように」