「イ・ハクス副会長がなぜ今帰国したのでしょう?」
旧正月連休の直前、サムソン系列会社のある元社長は、サムスンのダース訴訟費代納疑惑にかかわったイ・ハクス元サムスン戦略企画室長(副会長)が米国から早期帰国したことについていぶかしがった。彼は「通常、検察の捜査が始まればひとまず海外で事態の推移を見守るのが常識ではないか」と話した。
イ元副会長は、帰国直後の15日に検察に出頭し、李明博(イ・ミョンバク)政府当時にキム・ペクチュン元大統領府総務企画官からダース訴訟費代納要請を受け、イ・ゴンヒ会長の承認を得て支援したと述べ、“スモーキング・ガン”(犯罪疑惑を立証する決定的端緒)の役割をしたといわれている。検察は、サムスンの代納の見返りに李明博大統領が2009年12月にイ・ゴンヒ会長を赦免復権したと疑っている。イ元副会長自身も翌年8月に赦免され復権した。
イ元副会長は、15年間にわたりサムスンのコントロールタワーの首長を引き受けて“サムスンのNo.2”と呼ばれた。イ会長の意中を誰よりもよく読んで“腹心”と呼ばれるほどに信任が厚かった。17代大統領選挙不法政治資金事件の時は、イ会長の代わりに罪をかぶるほど深い忠誠心を見せた。2005年の安全企画部Xファイル事件で、大統領選候補と検事らにわいろを提供した疑惑があらわれた時も、イ会長を最後まで守った。2008年の秘密資金疑惑事件の時は、イ会長と共に起訴され執行猶予5年を宣告された。財務通のイ元副会長は、イ会長の財産を管理する“金庫番”の役割を果し、息子のイ・ジェヨン副会長が税金の負担なく経営権を継承する作業も主導した。2006年2月、Xファイル事件などで対国民謝罪をした当時、記者と別に会って「個人的には今日直ぐにでも辞めたいが、(イ・ゴンヒ)会長のことを考えればそうもできない」と打ち明けもした。
だが、2009年末のイ会長の赦免復権と2010年3月の経営復帰を契機に、彼の地位は急落した。イ会長は復帰から8カ月後の2010年11月、イ副会長をサムスン物産顧問とする発令を出し、電撃的に彼を除去した。当時、戦略企画室で一緒に勤めたサムスン元役員は「イ副会長の人事は、発表前日にも誰も知らなかったほど」と回想した。当時、サムスン電子最高財務責任者、サムスン微笑金融財団社長、サムスン生命とサムスン火災の社長、サムスントータル社長、サムスンエバーランド社長など、いわゆる“イ・ハクス師団”として知られた経営陣も一緒に更迭した。サムスン戦略企画室出身のある役員は「イ会長が秘密資金疑惑事件で2008年4月から2年間にわたり経営から退いている間、イ副会長は以前通りの役割をして力がさらに強くなり、さらに『イ副会長がサムスンの実際の主人』という話まで出回ったことに関連があると見る見解が多かった」と話した。
2011年には、イ元副会長が所有したソウル江南(カンナム)テヘラン路にある19階建てL&Bビルディングがマスコミの俎上に上がった。サムスンからは、役員が会社の業務と関係ない営利事業をしてはならないという話が流れ出た。サムスンの系列会社がビルを長期賃貸する過程で、イ元副会長の影響力が作用したといううわさも広がった。イ元副会長は強く反発した。当時、サムスン未来戦略室で勤めていた元役員は「イ副会長が建物を買う時、イ会長に事前報告したし、イ会長がどうせならもっと大きなビルを買ったらどうかという話までした、と伝えながらマスコミ利用はやめろと警告した」と話した。
1987年のイ・ゴンヒ会長就任以後“サムスンNo.2”の役割をした人は計7名だ。だが、イ元副会長の事例が見せるように、イ会長と笑顔で別れた人は珍しい。サムスンの元役員は「イ副会長は、自身が忠誠を捧げたイ会長に追い出されたことに対するさびしさが大きかったのだろう」としながら「かつてのようにイ副会長が一人で罪をかぶって行くことを期待することは難しい状況」と話した。