「経営権継承議論 適切ではない」
イ・ジェヨン後継論も歓迎せず
1966年の韓肥事件でイ・ビョンチョル会長が退陣するや
長男のイ・メンヒ会長が野心を抱き後継者の地位を失う
イ・ゴンヒ会長の長期入院による‘総帥空白’という事態に、携帯電話事業の実績低下に伴う危機状況が重なり、サムスンで「3世早期継承不可避論」が提起されだした。 これはイ会長が病床から回復しても、経営復帰は困難とする現実論に基づいている。 あるサムスン役員は20日、「イ会長の回復を切に願うが、常識的に見れば経営への復帰は難しいと見なければならないのではないか」と話した。
だが、サムスンは3世早期継承論に否定的だ。 あるサムスン関係者は「イ会長の健康状態が回復基調にあり全面回復が期待されている状況なのだから経営権継承議論は適切でない」と話した。 サムスン電子が今月15日、アメリカのIoT(Internet of Things)技術企業である「スマートシングズ」を2億ドルで買収し、19日に北米でエアコンなどの家電製品流通を行う「クワイエットサイド」を買収することにしたのに関連し、一部マスコミがイ・ジェヨン副会長の役割に注目したことについても歓迎する雰囲気はない。 サムスン未来戦略室は「イ副会長の役割は以前と変わっていない」と話した。
サムスン側は3世早期継承論に関連し、2003年の「国民銀行」のキム・ジョンテ銀行長の例をあげた。当時キム銀行長は稀貴病に罹り約70日間病院に長期入院した。 キム銀行長は意識がなかったため経営復帰が難しいという意見が支配的であったし、副銀行長たちの一部は次期銀行長職を巡って競った。 しかし、キム銀行長は劇的に健康を回復して経営に復帰した後、このことの報告を受けて激怒した。 結局、副銀行長3人の同伴退陣事態となった。
サムスンが国民銀行に言及したのは、総帥が亡くなる前に後継者の経営継承を議論したり試みることは難しい韓国財閥の現実を示している。 韓国の財閥は過去の王朝のように、絶対権力者が生きている限り権力継承は難しい。 サムスン創業者のイ・ビョンチョル会長、現代(ヒュンダイ)創業者のチョン・ジュヨン会長など、大多数の財閥総師は最期まで経営の実権を手放さなかった。 ほとんど唯一の例外は総帥の生前に息子に経営権を委譲したLG財閥だ。
財閥のこのような継承法則から外れる場合、総帥の息子であっても悲運をむかえることになりかねない。 実際、サムスンの場合、イ・ビョンチョル創業者の長男であるイ・メン・ヒ会長が父親に嫌われたため、三男のイ・ゴンヒ会長が代わりに経営権を継承した。 イ・ビョンチョル会長は1967年にいわゆる「韓肥(ハンビ)事件」(1966年に起きたサッカリン不法流通事件)の責任を負って経営から退き、息子のイ・メンヒ会長(当時は副社長)がグループ総帥の役割を引き継いだ。 サムスン関係者は「当時、イ・ビョンチョル会長の胸の内は経営から完全に退いたわけでなく、批判世論が鎮まれば再び復帰するつもりだった。 だが、イ・メンヒ会長は経営権を完全に継承したと誤認してグループの体制を自分勝手に改編しようとしたので、創業の功臣たちの反発を買い、ついに父親に見放された」と話した。 イ・ビョンチョル会長が1973年に経営に復帰すると、イ・メンヒ会長は退き後継者の地位まで失った。
サムスンが現在の危機状況を脱するには、既存の王朝式後継継承方式を変化させる必要があるという指摘が出ている。 サムスンの二代目会長時代が事実上終わった状況で、三代目会長の任命を先送りするだけでは経営権空白の弊害を深化させかねないためだ。 最近、イ・ゴンヒ会長の夫人であるホン・ラヒ女史の動きが慌ただしいのもこのような危機状況を反映している。 ホン女史は子供たちの間に紛争が起きないよう、一家の意思疎通を強化し、主要経営懸案も自らまとめるなど総帥空白の影響を最小化するために努力しているという。
財閥支配構造の専門家である仁荷(インハ)大学のキム・ジンバン教授は、「サムスンはイ・ゴンヒ会長が事実上の最高経営者でありながら、法的にはサムスン電子理事会の登記理事ではなく、理事会や株主総会で‘総帥空白’の事態を公式に論じにくい支配構造上の特徴がある」と指摘した。 「経済改革連帯」のキム・サンジョ所長は「イ・ジェヨン副会長が直ちにサムスンの3代会長に就任するのが難しいならば、早期にサムスン電子の登記役員となり、サムスン支配構造の不安を解消する必要がある」と語った。
クァク・ジョンス先任記者 jskwak@hani.co.kr