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チョウセンジン オモニの一生、日本を泣かせる

原文入力:2011-05-06午後08:28:27(2764字)
出版 10ヶ月で33万部が売れた
姜尙中(カン・サンジュン)東京大教授のノンフィクション

闇市行商・密造酒・豚飼育…在日同胞1世 人生流転 盛り込み
"文字をご存知なかったオモニの遺言"

ハン・スンドン記者

←姜尙中 東京大教授

<オモニ>姜尙中著、オ・クンヨン訳/四季節 11000ウォン
日本読書界にも‘オモニ熱風’が静かに吹いている。波瀾万丈だった一人のオモニの生涯と、その世代が解決していかなければならなかった苛酷な世相を切ないながらも淡々とした視線で見回す本が出版10ヶ月目に販売部数40万に肉迫している。集英社が昨年6月に出版したこの本は題名からして<オモニ>だ。主人公は日帝末期、慶南鎮海市郊外(当時)慶和洞朝鮮人強制移住地に暮らしていた‘ナガノ ハルコ’。 彼女の本名は禹順南(ウ・スンナム)。

太平洋戦争が始まった1941年春、桜の花の散る時期に1男4女の長女であった彼女は"自分の口一つ" でも減らすつもりで、一人になった母親を後にして泣きながら故郷を旅だった。その時、齢16才。行先は知り合いの行商人の紹介でたった一度、一瞬会っただけの婚約者が働いていた軍需工場の所在地、東京近隣の巣鴨3丁目。知りようもない運命にからだを震わせ下着と身の回りの物いくつか、故郷の海の貝殻が入った古い風呂敷包を一つちりんと持って旅立った、文字さえ知らない文盲のウ氏はその後、二度とは母親の顔を見ることはできなかった。

日本の敗戦後、分断され戦争まで勃発した祖国に戻る機会さえ失ったまま、昌原郡の田舎の村の貧しい小作人の息子だった当時26才の夫、カン・デウ(ナガノ ケイヤ)氏とともに日本の南部 九州、熊本まで流れた。それから30年が過ぎ故郷の土を踏んでみることはできなかった。慣れない土地で闇市行商、マッコリ密造、豚飼育、廃品・屑鉄収集など片っ端から仕事をして、ひたすら必死に、狂ったように、力強く生活の基盤を積み上げた。食べていけるようになった時、カン氏が先に世を去り、2005年4月ついに彼女自身も亡くなり反世紀以上を暮らしたその地に葬られた。

こういう在日同胞1世の女性とその一家の話が日本で読まれている。フィクションではなくノンフィクションだ。だが、小説的技法に忠実な一つの文学作品のようだ。

出版社の担当編集者、落合勝人は去る3日<オモニ>が33万部以上売れたとし「日本でもこの数字はすごい」成績と語った。在日同胞の話だから在日同胞たちが読むのだろうと考えるなら、それは誤算だ。オモニを表わす漢字‘母(ハハ)’、その下にカタカナで‘オモニ’と付けて表題としたこの本の著者は「圧倒的多数の読者は日本人」と言った。「40代も多いが50~60代が主な読者層」とのことだ。

←<オモニ>

すべての本が皆そうだが、特にこの本を正しく知るには著者に格別に注目しなければならない。姜尚中。彼は日0本に帰化していない韓国国籍ザイニチ(在日同胞)としては初めて1998年に東京大正教授になった人だ。

韓国戦争が起きた年に生まれ、永野鉄男という名前を受けた彼は3番目の息子だった。1番目は飢えて幼少期に栄養失調で死んだ。今も東京大情報学研究所(大学院)教授として在職中の姜尚中は日本と東アジアに対するよどみない発言と活発な著作活動を繰り広げている日本全体の学者の中でも最も影響力があり人気のある人のひとりだ。

 「トタン屋根に粗悪な板をべたべたと貼りつけた、風が吹けば飛んでしまいそうなあばら家がぎっしりと建ち並ぶ狭い坂道には青みの中に黄色が混ざった糞尿や排水が染み出てきて鼻を刺すような悪臭を漂わせていた。集落地区のあちこちに豚舎が作られ豚が糞尿処理役を担っていた。しかし、その一方では糞尿まみれになった豚が闇で作るマッコリの臭いを消すのにあつらえ向きの防壁になってくれもした。」

ドブ泥のような悲惨さの中で、「シッ! シュィイッ! シッ!」陰鬱で荒い息を吐きながら包丁を振り回し踊り塩を振りまいていた母親の告祀行事、辛い時ほど一層執着した先祖の祭祀、何か他の人々とは違った過小評価を受ける‘チョウセンジン’たちの恨(ハン)と挫折、それでも挫けず旺盛な気勢を見て育った鉄男の頭の中には嫌悪とともに愛と連帯感が絡まっていた。

思春期になり、この世界と自身から逃げ出した彼は、アイデンティティ問題で苦悩した早稲田大ザイニチ同僚学生の自殺を契機に方向を定める。しばしの祖国訪問の後、鉄男は姜尚中になった。熊本の貧しい村を数百倍、数千倍もかき集めたような1970年代のソウルの悲惨は衝撃的だったが、多くの人々に会った後 彼はそれを美しいと感じ平和を見つける。

最近起きた3・11大地震と福島原子力発電所事故で廃墟となった東日本災難現場の廃虚で姜尚中はまた類似体験をする。彼はそこで「白いチマチョゴリを着たオモニが震える手で笹を持ち上下に揺さぶり両脚をはね転げるように蝶々のように踊る姿」を思い出した。

「腐り行く過去の遺物」に過ぎないと考えたオモニの告祀、呪文、祈祷の世界が大自然の災難の前にその限界を露呈した合理と技術と科学、知識、信仰で美しく飾った今の世界が‘なくしたもの’が何なのかを今一度悟らせた。こういう自覚がこの本を書かせた最も大きな理由だったと彼は話した。オモニの記憶を探ることはまた「文字を知っている私に、文字を知らなかったオモニにが託された遺言」でもあった。

戦後を生きてきた多くの日本人たちがこの本のこういう部分に共感したのだろう。 大地震が残した心身の廃虚がより大きな共感をかもし出したのかもしれない。

<オモニ>は日本でも韓国でも今はいなくなりつつある在日同胞1世の人生と経緯に対する記録であり、ザイニチの目で読みだした戦後日本社会史だ。それはまた、ザイニチ2世が1世に捧げる献詞であり自己のアイデンティティを訪ねて行く成長小説であり、ザイニチとして生きていくということがどういうことかに対する自問であり私たちに投げかける質問だ。姜尚中は「10年前にこの本が出てきたとすれば、おそらく別に読まれなかっただろう」としつつ、それだけ日本社会も多くが変わったと語った。高い自殺率と失業率などに表出された高度成長後の挫折感を韓国社会も日本と同様に体験しているのではないかとも話した。 ハン・スンドン論説委員 sdhan@hani.co.kr,写真 四季節 提供

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/476771.html 訳J.S