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[マガジンesc] 親環境ハイブリッドカーが環境を害する?

原文入力:2011-05-05午後03:03:34(2580字)
イ・ギョンソプの自動車公認仲介所

←フェラーリ458イタリア

リッター当り5.6km対29.2km…アハ! 燃費の逆説
あー、幸せな悩みだ。フェラーリを買うのが正しいのか、プリウスを買うのが正しいのか? 目の前がくらっとする程に魅力的な車体と、まばたきする間に時速100kmに至る当代最高のスポーツカーフェラーリ。そして燃費が素晴らしいという親環境ハイブリッドカーの先頭走者トヨタ プリウス。

いったいどういうことだ? 相手にもならない2つの車種を巡って悩むとは…。すぐには理解できないことだ。フェラーリ対ランボルギーニ、プリウス対インサイト程度なら分からないでもないが、フェラーリとプリウスとは。これはあたかも両開き型冷蔵庫を買うか、ロボット掃除機を買うかを迷いに迷っているようなものではないか。 理解を助けるために初めの質問に再び戻ってみよう。どんなものを買うのが‘良いのか’ではなくて‘正しいのか’だ。そうだ。個人的好みや使い途の話ではない。その上、今日の悩みは避けられない主題、親環境に関することだ。

毎朝出勤のために駐車場に出てきてマイカーを始動をする会社員として、出勤途上、道路をいっぱいに埋め尽くした自動車行列の中にはまり、やむなく媒煙を吹き出す運転者として地球環境に申し訳なくないならば それは人間ではない。忙しくて、業務のために、あるいは交通状況が意に添わなくて等々色々などうしようもない理由のために車を運転して出てきたとしても、北極の空に穴をあけ キリマンジャロの万年雪を溶かす行為に一助となっているということは明らかだ。それではどうしたら良いのか? 車を捨てるべきだろうか? 最も親環境的という車に直ちに変えなければならないだろうか? 車を変えるべきだとすれば親環境ハイブリッドカーしか答がないのか? そんなに退屈で消極的な方法しか答がないのか? 熱いフェラーリを買えば問題になるのか?

←トヨタ プリウス

環境は‘良いのか’ではなく‘正しいのか’の問題

あなたにお金が多かろうが少なかろうが、社会的地位が高かろうが低かろうが、無関係に、たとえレオナルド ティカプリオのようなハリウッド有名俳優ではなくとも地球環境に役立つ消費を選択しなければならないのは今日を生きる地球村構成員としての当然な姿勢だ。車を買う時も環境という偉大な命題を思い出せばフェラーリとプリウスは十分に深刻な悩み事になるに値する。

自動車とスピードを愛する人として(買えさえするならば)あっさりあきらめることはできないフェラーリ。<北極の涙>とか<アマゾンの涙>のような地球温暖化を扱った環境ドキュメンタリーを見て 目がしらを濡らすヒューマニストとして当然に選択しなければならない親環境ハイブリッドカー プリウス。二つに一つならば果たしてどちらが‘正しい’選択か?

ハハッ。こういうのを質問だと? 400m地点まで誰がはやく走るかを競うドラッグ レースならば分からないか、親環境を主題にした対決ならば見るまでもなくプリウスの完勝だ…と考えたとすれば水原の下の烏山(誤算)だ。あなたがもう少し思慮深い審判ならば確信に満ちて旗をフェラーリ側に上げただろう。どうしてか?

←フェラーリ458イタリアとトヨタ プリウス 諸原

フェラーリ458イタリアの公認燃費はリッター当り5.6km、北極グマの前で顔を上げられない地球上最悪の燃費だ。反面、プリウスの公認燃費は何と29.2kmに達する。 タンクローリーの排気ガスの臭いに当たっただけでもぴゅうぴゅう走りそうな幻想の燃費。価格や速度は言うまでもなく燃費が両極端の2車対決でフェラーリがさらに親環境的だと主張する底意は何か。ここで審査の条件が付与される。毎日毎日乗る‘出退勤+業務用’自動車としてのプリウス対一週間に一日、週末の午後にだけ乗るフェラーリならば? もう答が出ている。油をガブガブ飲む走り屋マシンが、ガソリン1リットルで何と30キロメートルも走るハイブリッドカーより親環境的だと主張できる理由は、まさに‘少なく’走るためだ。あまり走らないフェラーリが多く走るプリウスより親環境的な理由。

最善の環境保護は車に乗らないこと

完全無公害車というものは存在しないという時、如何に燃費が良い車でも毎日 長く走れば地球環境をそれだけ汚す。反面、いくら燃費が悪くても時々しか走らないならば毎日走る燃費の良い車より地球環境を多く汚しはしないという話。ここらで石が飛んでくる音が聞こえる。「ウー、でたらめ比較はもう止めろ。公正な比較とは、すべからく同じ条件、同じ距離、同じ時間を前提としなければならないと。」だが、読者たちよ、この世ですべての車が同じ条件で同じ時間、同じ距離を走るという前提こそ でたらめではないか?

←イ・ギョンソプの自動車公認仲介所

地球環境のためにできる最も良い方法は車に乗ら'ない'ことだ。だが、現実的にそれは難しい問題だとか、あえて見ぬフリをすれば、私たちが当面するすべての問題の解決法は‘しない’のでなく‘少なく’することから見つけられる。(むだな運転を)少なくして、(肉食も)少なくして、(浪費を)少なくして等々。毎日 自家用出退勤をして週末にも家族旅行に出発する‘燃費中心’運転者より、地下鉄出退勤をしながら週末にサーキットでタイヤを焼く暴走族運転者が環境に害をあまり及ぼさないのは自明な事実だ。だから地球温暖化を心配するあなたにぴったりの一台、フェラーリとプリウス、どちらを買えば正しいのか悩んでいるなら躊躇なくフェラーリをお買いになることを望む。ただ、週末だけ少し使うという前提の下。

(客観的にフェラーリがプリウスより美しくならざるをえない理由も、フェラーリが静かに立っている時間がプリウスよりはるかに長いためだ。信じようが信じまいが。)

文イ・ギョンソプ/月刊<モータートレンド>編集長

原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/476495.html 訳J.S