原文入力:2011-03-24午後08:55:15(659字)
ノ・ヒョンソク記者
←寺蹟碑と推定される碑石破片
7~8世紀 新羅の代表的護国寺だった慶北、慶州の四天王寺跡から寺の来歴を刻んだ寺蹟碑と推定される碑石の破片(写真)が出てきた。
国立慶州文化財研究所は最近、寺の跡地入り口の南側亀跌(亀形の碑石台)前の地中から寺蹟碑の一部と推定される花こう岩碑石破片1点とイス(碑石上部の龍首模様の装飾)彫刻1点を発見したと24日 明らかにした。
碑石破片は横55㎝、縦11㎝、厚さ14㎝大で、平らに磨いた表面に3.5㎝間隔で楷書体文字が刻まれている。パク・ジョンイク研究室長は「当初は寺の跡地にあったと伝えられる文武王陵碑石の破片と考えたが、伝えられる文武王陵碑石拓本と内容が合致せず、石の色も異なるので寺蹟碑である可能性が高いと思われる」と語った。
碑文には全体15行に‘神将’,‘大王’,‘巨嶽’等、30字程度の文字が見える。統一新羅碑特有の精巧な刻字方式を帯びているが、1行当たりの文字が1~3字程度に過ぎず、文脈から内容の全貌を知ることは難しい。また、イス彫刻は碑石破片のそばから出たが、同じ碑石の一部であったものと見られている。
ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr
写真 国立慶州文化財研究所
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/469810.html 訳J.S