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慶州で国内最大青銅器の村跡 発見

原文入力:2010-12-16午前08:26:25(973字)
陽北面 山野 4万㎡規模
住居跡 300~400基 密集
"新羅以前 生活像 反映"

ノ・ヒョンソク記者

←感恩寺跡付近の慶州市陽北面の山野一帯で発見された国内最大規模の青銅器時代の村跡 一部分。ビニールで覆い表示したところが四角形の住居跡だ。

新羅の古都である慶州市郊外の丘陵地帯で2600余年前に古代人たちが集まり住んだ国内最大規模の青銅器時代の村跡が発見された。

遺跡が出たところは東海、大王巌と感恩寺跡から西側に2~3km離れた慶州市、陽北面、チョクヒョン村の後方山野4万㎡一帯だ。こちらから紀元前5~6世紀にできた大型の村跡である大小の四角形の住居跡300~400基が丘陵にぎっしりと埋まった姿で確認された。去る3月からハンビット文化財研究院と世宗文化財研究院、新羅文化遺産研究院が合同調査中のこの村跡は、輪郭線だけがあらわれた住居跡推定遺構まで合わせればおよそ1000基近い住居跡が密集していたと推定される。国内青銅器時代の村跡は忠南、扶余、松菊里、蔚山、検丹里遺跡などが知られているが、陽北面のように住居跡密集度が高い大規模村遺跡が出現したのは初めてだ。青銅器時代の単一遺跡としては国内で最も大きい村跡と評価されている。

住居跡には火をたいたかまどと柱を立てた場所、石棒、石矢尻と文様のない孔裂土器(口の下に小さな穴が一定間隔であけられた土器)等が出てきた。発掘団側は近隣の甘浦海岸と大鐘川一帯で漁労、農耕をした古代人たちが外敵の侵入時に避難しやすい丘陵に作った暮らしの場所と推定した。チャン・ジョンナム ハンビット文化財研究院団長は「新羅成立以前の慶州古代人の生活像と勢力分布などを示す遺跡」とし「新羅を建国した慶州政治勢力らの歴史的根元とも連結されることができ意味が大きい」と話した。

陽北面遺跡には月城原子力発電所を運営中の韓国水力原子力(韓水原)が調査後に社宅団地を作る予定であり、遺跡保存論難も予想される。

慶州/文・写真 ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/454050.html 訳J.S