原文入力:2010-10-20午後09:49:10(1679字)
リュ・スンワン監督の映画‘不当取り引き’
イム・ジョンオブ記者
検事と警察官には人身拘束、押収捜索権限があり、場合によっては棍棒と銃器を使うことができる。簡単に言えば、彼らの暴力は合法化されている。そうであるからこそ彼らの職務は法で規定している。検事は公益の代表者として、その職務を遂行する時に国民全体に対する奉仕者として政治的中立を守らねばならず、与えられた権限を乱用してはならず(検察庁法第4条)、警察官の職権は職務遂行に必要な最小限度内で行使されなければならず、これを乱用してはならない(警察官職務執行法第1条)。リュ・スンワン監督の新作<不当取り引き>を見れば、検察と警察が公共性を失った時に帰結される姿を赤裸々に見せる。問題はその姿がいつも見ているもので、当然そうだろうと感じたという点だ。それで、より一層 りつ然とする。
同一犯人と推定される連鎖殺人事件が発生する。警察はずっと無駄足を踏み、全国が煮え立ちながら大統領までが出て犯人検挙を促す。有力な容疑者が警察のミスで‘亡失’するや、首脳部はにせ物の犯人を作り出すことにし、汚い仕事の演出者として広域捜査隊のエース チェ・チョルギ(ファン・ジョンミン)を指名する。警察隊出身ではない彼に昇進は美味しい餌であり、首脳部としてはいざという時には未練なしに除去できる非主流だったためだ。チェ・チョルギは自身のスポンサーである不動産業界の大物 チャン・ソック(ユ・ヘジン)を利用し‘俳優’を差し出すことにより事件を整理する。検察に送致され始末をつけられるかに見えたが、偶然 チェ・チョルギと関係の刺々しい検事チュヤン(リュ・スンボム)が事件を受け持つことにより絡まる。
チュ・ヤンもやはりまた別の不動産界の大物キム会長をスポンサーにしており、2人のスポンサーが途方もない開発利権を巡り競争関係にあった。自身の金脈であるキム会長がチェ・チョルギにより拘束されたことがあるチュ・ヤンは事件が釈然としないことに感づき、チェ・チョルギにある種の取り引きを提案する。
映画は善悪の対決構図ではない。チェ・チョルギやチュ・ヤンは善人でも悪人でもない、ただの大韓民国警察官であり検事だ。法により職権を委任された国家機構だが、彼らは通常 法の下にいる普通の人とは異なり、法の上に少なくとも法の横にいる人だ。不動産業者とは汚れた金と便宜をやりとりする共生関係ながらも、法的な存在である自分たちに遠慮なくつけ上がることには耐えられない。
検査の起訴独占主義のために映画は急流に乗る。起訴提起を検査だけが行うことができるようにしているこの制度を悪用し、チュ・ヤンはチェ・チョルギに取り引きを提案するが、チェ・チョルギがこれを断り検事と警察の戦い局面に変わる。チェ・チョルギはチュ・ヤンの弱点を握っており自信満々だが、はたけばホコリが出る筈とチュ・ヤンがチェ・チョルギの周辺を隅々まで調べる。食物連鎖の下でどうなるだろうか? 結局、チェ・チョルギは料亭で素っ裸でチュ・ヤンの前にひざまずく。
映画は検事の特別な点に注目する。事件が破局に突き進みながらチュ・ヤンと不動産業者との不適切な関係が知らされるが、彼には責任が帰ってこない。彼の‘特別な義父’は 「時間が過ぎれば忘れられることで、より大きな事件を弾けさせ埋めればそれまでだ」と話す。検事の顔色を見る対象は‘上の方’だけだ。監督の目には言論も気に入らない。酒席の接待を一度受け、検事が投げかける局面転換用記事の種をぐっと噛む犬。
ラストシーンは、検察庁屋上にかかったソウル市内全景である点が示唆的だ。映画を見て不快がる人々が結構いるかもしれない。 28日封切り
イム・ジョンオブ先任記者 blitz@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/444737.html 訳J.S