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「靴磨きも溶接工も『市民軍』になった」…光州抗争の無名勇士たち

登録:2023-10-21 08:22 修正:2023-10-21 11:08
[インタビュー]『市民軍』を書いた作家のファン・グァンウさん
作家のファン・グァンウさん=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 「おい、グァンウ。抗争で亡くなった無名勇士や、銃を取って戦った抗争の主役たちにも関心を持ってくれよ」

 作家のファン・グァンウさん(65、人文研究院「冬孤松(トンゴソン)」常任理事)は、ある先輩に耳打ちされた。ファンさんは「当初は『ユン・サンウォン評伝』を書く計画だったが、先輩の一言で『5月(光州抗争)の無名烈士の評伝』を書くことへと方向を変えた」と回顧した。そして最初に『光州5月民衆抗争史料全集』(1990)に出てくる500人あまり人々の、血のにじむような証言に接した。続いて『あの年の5月、私は生きたかった』(2006)、『5・18の医療活動』などの5・18に関する史料集を10種類あまり探し出して読んだ。「主人公たちの名前と性格を知るためだった。いろいろと調べているうちに主役たちの声が聞こえるような気がした」

 そして2年かけて『市民軍』という本を出した。「忘れません」という副題がつけられた同書は「1980年の10日間の抗争の記憶を再現した5月の物語」だ。もっとも目を引くのは本の構成だ。『市民軍』は、300人あまりの光州市民の肉声を記しつつ、日付ごとにドキュメンタリーのように展開する。小説よりも残酷な「実話」だ。2007年に脳卒中で倒れたため体の不自由なファンさんは、左手だけでパソコンのキーボードをたたいて同書を書いた。ファンさんは「『市民軍』は光州抗争のドラマをリアルに再構成するための試み」だと話した。

『市民軍』//ハンギョレ新聞社

 ファンさんには、口述証言を読んでぜひ会いたいと思った人たちがいた。金づちを自ら作って光州の街頭に出た溶接工のキム・ヨスさん(1995年死去)、のり巻きを銃弾がかすめて行ったという食堂従業員のキム・ヒョンチェさん(2009年死去)、中学生の手術を拒否した医師に銃を突きつけた靴磨きのパク・レプンさん(2018年死去)、光州駅での戦闘を率いたチョン・オクチュさん(2021年死去)、「西の拳」キム・テチャンさんなどだ。ファンさんは「それらの方々の生と声が切実に迫ってきた。生きているだろうと思って会おうとしたが、ほとんどが他界していた。多くの無名勇士の最期はわびしいものだった」と話した。

 ファンさんは市民軍機動打撃隊7組のリーダーだったキム・テチャンさん(62)に会い、率直で生々しい話を聞いた。石工だったキム・テチャンさんは、5月20日までは大学生のデモが気に食わなかったが、知人の甥が空輸部隊に銃剣でやられたという話を聞いて抗争に参加し、5月27日の最後の日まで銃を手に道庁を守った市民軍だ。300人あまりの登場人物の中には、銃を手にした市民軍だけでなく、「輸血を助け、のり巻きを分け合った人々、負傷者を治療した医療関係者などの第2の市民軍」たちもいる。ファンさんはチャ・ミョンスクさん、イ・ミノさんら40人あまりに自らインタビューしている。

「光州市民軍」300人あまりの肉声を掲載
10日間の抗争をドキュメンタリーのように展開
5・18の既存の口述資料集をもとに
チャ・ミョンスクさんら40人のインタビューも
「会おうとした無名勇士の大半がすでに死去」
21日に錦南路の245ビルで本書の献呈式

持病のため左手だけでキーボード作業

 『市民軍』は、10日間の抗争で、目の前で繰り広げられた殺りくでどのように人々が死んでゆき、なぜ銃を取って戦わざるをえなかったのかを生々しく伝えている。本書には、死にゆく人々を見て武装する市民、死を覚悟したうえで最後を迎えた人々、彼らを治療した看護師や医師などの証言も掲載されている。市民軍報道担当のユン・サンウォンさんは1980年5月26日、米国「ボルチモア・サン」紙のブラッドリー・マーティン記者らとのインタビューで、「私たちは敗北するでしょうが、明日の歴史は私たちを勝利者にするでしょう」と語る。

 ファンさんは、150人あまりの英霊たちの生を記録した碑文も本書に盛り込んだ。「会いたい我が息子よ。…お前の笑う姿がいつも母さんのそばにいるよ。安らかに眠れ。母」。故チャン・ジェチョルさん(1957年生まれ、理容師)の母親のキム・ジョムネさんが書いた碑文だ。ファンさんは「300人の証言を再構成することで、不義を見れば我慢できず、困難にある隣人たちに温かな心で近づいていく真の民衆に出会った」と話した。『市民軍』の献呈式は21日午後4時から、光州市錦南路(クムナムノ)の245ビル9階大講堂で開かれる。

1980年5月21日の旧全羅南道庁前での集団発砲直前、チョン・オクチュさんがこちらに背を向けて壇上に立ち、デモ隊に全羅南道知事との交渉結果を発表している=資料写真//ハンギョレ新聞社
1980年5月27日の戒厳軍による全羅南道庁鎮圧作戦の直後、ノーマン・ソープ記者が撮影したアン・ジョンピルさん(手前)とムン・ジェハク君の遺体。ムン君は小説『少年が来る』の主人公の実在のモデル=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 ベストセラー『哲学コンサート』の著者でもあるファンさんは、1980年5月に関する人物の本を出し続けている。ファンさんは2016年5月にパク・ヒョソン(演劇で光州抗争の真実を伝えることに献身した作家)の演劇の台本を集めて『パク・ヒョソン全集』を出したのを皮切りに、2017年にはユン・ハンボン(光州抗争当時、指名手配を逃れ米国に亡命した運動家)の一代記を英文で記した『あなたのための行進曲』、2021年には『ユン・ソクトン(市民軍報道担当ユン・サンウォンの父)日記』や『ユン・サンウォン日記』などを出している。ファンさんは「『市民軍』の完成度を文学的に高めたい。全斗煥(チョン・ドゥファン)の完全犯罪劇を暴露するものを書いて補完したい」、「光州民主化運動の真の姿を全国民にきちんと認識させるとともに、その主役たちの精神をきちんと継承することが重要だ」と話した。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1112908.html韓国語原文入力:2023-10-20 07:00
訳D.K

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