人間と他の動物を区別する様々な基準がある。言語と道具の使用の有無が代表的だ。理性と本能で双方を分けたり、利己心と利他主義をそれぞれの特徴として説明したりもする。しかし、そのような基準や説明に反する証拠が続々と現れ、今では人間と動物を決定的に区別する違いは事実上ないということが定説だ。
米国の行動生態学者でありゾウの専門家であるケイトリン・オコネル氏の『ゾウも葬儀場に行く』は、儀礼というプリズムを通じて、人間と動物の親縁性と共通点を説明する。儀礼はよく動物と区別される人間だけの特徴とみなされるが、動物たちにもそれなりの儀礼があるということが、この本(原題は「野生の儀礼」を意味するWild Rituals)の主張だ。
ここで扱う儀礼は範囲が広い。「正確な順序に従って何度も繰り返される具体的な行動は、すべて儀礼」に該当する。著者は、挨拶、集団、求愛、プレゼント、声、無言、遊び、哀悼、回復、旅行など10のカテゴリーに分け、動物たちが実践する儀礼を紹介する。同氏の専攻であるゾウだけでなく、シマウマ、サイ、ライオン、フラミンゴ、ゴクラクチョウ、ニワシドリ、カメ、オオカミ、オランウータン、チンパンジー、クジラなど様々な動物の事例が示される。動物と自然世界に関する新たな発見よりは、それが私たち人間の生活に与える教訓に主眼点が置かれている。
「儀礼は簡単であれ複雑であれ、参加者は体と心に変化を感じることができる。私たちは、互いに結びつき、厚いきずなを感じて、新しい秩序に身を任せ共同体に根をおろす」
儀礼のこのような効果は、動物と人間の間に差はない。むしろ、野生の動物たちが守る儀礼を人間はますます疎かにしているということが、この本の問題意識だ。つながりやきずな、共同体のような価値が希薄になったのには、コロナ禍が強制した非対面文化も一役買った。「私たちは10種類の儀礼を通じて、自身との関係、人々との関係、世の中との関係をよりいっそう強固に構築することができる」
過去30年間、毎年ナミビアのエトーシャ国立公園を訪問しゾウを研究してきた著者は、ゾウの挨拶方法から話を始める。母と娘の関係と考えられる2頭のゾウが、わずか数分ないしは数時間ぶりに再会して交わす騒がしい(!)挨拶が、著者を感動させた。2頭のゾウは、向かい合って立ち「鼻を高く上げ、雷のような声で吠え」、次に「互いに鼻を相手の口元に持っていった」。握手であるわけだ。その次に2頭のゾウが同じ方向で並んで立ち、「突然、すがすがしく小便をする」ことで、挨拶が終わった。「離れた時間がどれほど経過したのかは関係なく、ゾウの家族は、会うたびにそれを記念する意味をこめて挨拶をする」
挨拶の意味は、つながりやきずなを確認することだけに限定されるのではない。挨拶をすることで動物たちは「他の個体のホルモンや心理状態に関する情報をリアルタイムで集める」。そうした点で挨拶は「生存のための技術」でもある。生存に直結する儀礼は挨拶だけではない。しばしば非本質的な時間の消耗とみなされる遊びも、やはり「生存するために非常に重要な役割を果たす」。ライオンやオオカミのような猛獣の子どもが遊び形式で狩猟の練習をするという事実はよく知られている。すべてのヒト科の動物で遊びは認知発達と直接の関連があり、「革新を起こして探求するよう刺激する」。したがって「私たちの生存はいかによく遊ぶかにかかっている」のだ。
死んだ仲間に別れを告げる哀悼の儀礼も、やはり生存に直結する。人間の場合と同様に、動物たちにとっても、子どもや親、仲間の死を十分に悲しみ適切な別れの儀式を行うことは、残った個体が喪失感を克服し新しく生きていく力を得ることに役立つ。動物の哀悼の儀礼の中でも、この本のタイトル(韓国語版)となったゾウの事例は、特に感動的だ。動物園のボスののメスのゾウが安楽死した後、彼女と親しかった2頭のゾウは「死んだ友を、夜中に交替で静かに訪ねに行った。絶対に死んだ友をひとり放っておかなかった。行くたびにそれぞれが周期的に死んだ友の体に土をばら撒き覆ってやった」。翌朝、死んだゾウの体の上には5ミリ以上も土が被せられていた。野生のチンパンジー1頭が木から落ちて死ぬと、木の上の他のチンパンジーが死んだチンパンジーの体の上に木の枝を折って落とす様子が観察されたりもした。「死体は木の枝で完全に覆い隠された」と本は述べる。
主にオスの鳥にみられる派手な羽やダンス、さらには巣づくりやプレゼントといった求愛の儀礼は、捕食者の目を引き生存に不利に作用することにもなりうる。ダーウィンの自然選択理論に反するようなこうした現象は、どのように説明しなければならないのだろうか。「メスが特別の特徴を示すオスを選択する行動が、進化を主導する」という、ダーウィンのもう一つの概念である「性選択」理論が、それに対する答を提示する。羽の装飾や求愛のダンスは、オスの運動能力を示す。元気な子どもを産んで安全に育てられるかをオスの求愛儀礼を通じて確認できるようになるということだ。
「この本を書いて、私は夫と静かに見つめ合ったりスキンシップをするなどの簡単だが重要な求愛儀礼を疎かにしていたという事実に気づいた」
動物たちの儀礼を観察し紹介しながら、著者は、自身を含む人間がますます儀礼をないがしろにしているという事実を反省する。著者が様々な動物たちの各種の儀礼に注目する理由は、私たち人間が「ゾウ、クジラ、オオカミをはじめとする意識を持つすべての存在と結ばれている」という事実を確認し強調するためだ。「人間は独特で唯一無二な存在であるので、自然を支配するという」考えは、明らかに誤りだ。しかしまた、私たち人間には、2つの大きな力がある。「この惑星上の生息者とすべての生命を保護する力と、破壊する力だ」。私たちがますます忘れつつある野生の儀礼を取り戻すことによって、私たちは自然で人間が占める位置を確認し、自然の一部として他の動物たちと共存する知恵と方法を探せるはずだ。著者が本の結びで気候変動時代の人間の責任感を強調するのは、そのような流れからだ。