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[この人] "険難だった現代史の証言は知識人の責務"

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/392159.html

原文入力:2009-12-08午後06:59:24
自叙伝を初めて出版したハン・スンホン弁護士

ハン・スンドン記者

←ハン・スンホン(75)弁護士

8日自叙伝<ある弁護士の告白と証言>(ハンギョレ出版)の出版を知らせる記者懇談会で「今回の本がもっとも用心深く書いたので苦労した」とハン・スンホン(75・写真)弁護士は話した。「以前に書いた法治主義に関することや、社会批判文を書く時には感じられなかったが、今度は私自身の話であることに加え胸の内までみな明らかにしなければならないことなので、ややもすると自分の自慢にならないだろうかという心配もあった。」これまで30冊を越える本を出した彼が‘自叙伝’という形式で出した本は今回が初めてだ。だが通俗的な自叙伝の類からは抜け出そうと思った。「自叙伝はそれを書く人自身が主人公であり話者になる文だ。ところが私の人生の話だけで大事な紙面を埋めることはできなかった。むしろ私が接した光と闇の人物たちに対して言いたかった。不正と苦難の時代に義のために抵抗し、極悪非道な弾圧を受け、その一方で正しい世の中に向けた情熱を決して押し隠そうとしなかった人々の話を書こうと思った。結局、私は私自身だけを話す話者であるはずがなかったし、この世を正そうと‘生きて苦労した人々’を知らせる話者でありたいと思った。」

自身の生き様より民主化の人たちに焦点
"今は歴史の車輪が後退りするかたち"

今年初から5月初めまで<ハンギョレ>の企画物‘道を探して’で‘ハン・スンホンの広間 証言’というタイトルで連載したこれらの文は、終えてみれば「法律的に表現するなら、自叙伝としての必要的記載事項が脱落してしまった。」まったく自身の生まれ育った話はもちろん、妻や家族の話,健康と信仰,ユーモアあふれる話などは抜け落ちてしまったのだ。「本では連載した際の誤りや不十分な点なども補完したが、特に‘私自身をふりかえって’という主題の第9章はそのような部分を補充するために完全に新しく書いたもの」だ。

自身を常に主戦メンバーでなくアシストだったと語った彼は、しかし「派手な主役ではなくとも、誰かが引き受けなければならない大切な配役」程度に位置づけた。そこで今回の本も‘世の中助け人の歌’であり‘守備選手の備忘録’とした。だが今度は「避けられずに知らせること」という‘避知(PR)’をほどほどに抑えた。「少なくとも頭に墨汁(知識)が多少は入っている知識人として、特に社会正義と人権を語った弁護士として、あの険難な歴史のイバラの薮を払いながら生きてきた人ならば同時代と後代のための証言者,記録担当者としての責務があると信じる。」

1965年ナム・ジョンヒョンの<糞地>筆禍事件から民青連,金大中内乱陰謀事件などを経て2004年盧武鉉大統領弾劾事件まで、現代史のほとんどすべての大型司法事件の中に弁護人または被告人として登場した彼の個人史はもう一つの韓国現代史だった。

民主社会を作り上げることができた "その残酷な時代" に逃げず向き合った彼は今を "逆転する車輪" に比喩し "戦時の戦いでは勝ち、平時の‘管理’では失敗した結果となった" として残念がった。"大我の前にしまわれていた各自の小我が再発したためではないか。"

執権勢力に対しても一言発した。"法治主義の言っているが、近代的意味の法治とは上から下に指示する下向式ではなくボトムアップ式牽制がその本質だ。権力行使を法的手続き制限規定に従って言えということだ。独裁者であるほど下向式法治主義を強く強調する。"

彼自身が惜しんでいるが「この本は無茶苦茶だった暴力の歴史を記録したというのに、まるで一つの童話を読んだ後のようにさわやかな感動が残る。本当におもしろく格別だ」と書いたカン・グムシル弁護士の話のとおり、決してしつこかったり無味乾燥ではない。詩集と随筆集を出し文学団体の活動までした彼の卓越した作家資質によるところも大きいだろうが、何より "いかなる状況でも光るユーモア" と愉快な余裕と謙そんのおかげというのがカン弁護士の考えだ。
ハン・スンドン選任記者sdhan@hani.co.kr,写真ハンギョレ出版社提供

原文: 訳J.S